ショット

見えないものを見る 感じたことを写真と文章でつづる暮らしと自然のフォト日記

あれから13年

2008-01-17 19:56:48 | フォト日記

今地震があった 東海地方は震度1 
大した事はないが 家の中にいるとわかる

最近大きくないが地震が多くなったように感じる
大地震につながらなければ良いが 

奇しくも今日は阪神・淡路大震災があった日だ
今日は寒い日だった あの日も寒い日だったと聞く 
あれから13年経った (写真は能登地震2週間後に撮ったもの)

「1.17のつどい」で淡路では千の風になってを合唱した 
神戸では遺族代表の言葉を高校3年生の竹中基治さんが述べた
育ててくれた母への感謝 励ますことのできる人になるという決意
心打たれたのでコピーして公開する
被災者の思いなど 風化されないように若者達に受け継いでいってもらいたいと思った

 僕は阪神・淡路大震災で、父を亡くしました。
五歳でした。当時のことはあまり記憶にありません。
父のことも、あまり覚えていません。
しかし、母からよく父のことを聞かされました。
その中で印象に残っているのは、僕が父によくなついていたことです。
父にしかられた時、普通なら泣いて母の所へいきますが、
僕は泣きながら父親に抱きついていたそうです。

 母は僕ら五人きょうだいを一生懸命育ててくれました。
震災前から看護師をしていましたが、
僕たちの世話をしながら夜間勤務がある看護師を続けることは難しく、
看護師を辞めスーパーのパートタイムで働きました。

 しかし、慣れない立ち仕事ということもあり、左足を傷め、
手術をしないと治らなくなりました。
それでも母は、僕らのために、手術もせずに働きました。
僕はそんな母を、尊敬し、感謝しています。

 僕が、ここまで成長できたのは、母や家族はもちろん
「あしなが育英会」や多くの方に助けられたおかげです。

 僕は小さいころ、両親がいる人から父親の話を聞くのが嫌いでした。
自慢をされているみたいで、不愉快で、なぜ僕に父親がいないのかと悔しかったからです。

 高校一年生の夏に「あしなが育英会の高校奨学生のつどい」に参加しました。
その会では、自分の過去を話し、他の遺児の方々の過去の話を聞く機会がありました。

 その中で、父子家庭、母子家庭や両親を亡くしていても、
今の境遇を理解し、目標を持ち、一生懸命頑張っている人がいることを知りました。
僕もその人たちみたいになりたいと思いました。

 僕は春から大学に進学することになりました。

 毎年参加していた「あしなが育英会の高校奨学生のつどい」や
「遺児のつどい」では、支えられる側から、支える側に変わります。
そこで、心に決めたことがあります。
それは、僕も、支えてくれた人たちのように、
遺児たちを励ますことのできる人になるということです。
遺児たちを支えていけるよう頑張っていきたいと思います。