「いまでは人に勧める仕事をしている」と話していた
その人は親が糖尿病で健康管理に気を使うようになった
調べているうちにプーアール茶に出会ったと資料を見せた
私は「そうですか」とさほど興味もなく聞きながら足湯に浸かっていた
さらに若杉友子の新聞切り抜きをもっていて「本を買う予定だ」と言った
「その本はすでに持っている」と 私はついうっかり自慢げに成ってしまった
そんなことはすっかり忘れた翌日の散歩 いつもより2時間遅い出発
遅いと 人も働きだす 途中で人に会い 帰りは3時間遅くなる
ブルトーザーで河川敷の整備をしている 同級生が声かけた
完成はいつかと聞くと 土が足りないと話した
長居は仕事の邪魔になる さらに歩くと知人が畑にいた
いま聞いた河川敷の土不足の話しをすると
川幅を広げるために牛尾山を削っている話へ変わる
牛尾山といえば戦争中の殺人光線と話は移った
戦争中といえば航空隊の門が牧之原に残っていると進展
門は まだ見たことがない 早速見に行くと行動を示した
門を見つけて 横の掲示板を見ると近くに資料もあるとの案内
資料も見に行く それを見て防空壕に向かう途中に お茶屋があった
店先にプーアール茶の旗が揺れていた県産茶葉使用
店内で試飲させてもらった くせはなく飲みやすい
新茶もどうですか 羊羹いかがですかと勧めてくれた
全部いただき何も買わずに店を出たが 嫌な顔もしない
店員は笑顔で「またお寄りください」
防空壕を見た帰りに また寄った
足湯で話を聞かなかったら買うこともなかったプーアール茶
2時間遅く散歩に行かなかったら 土不足の話しもない
牛尾山の話もない 戦争跡の話 門を見て資料館見て防空壕
笑顔との出会どれが欠けても いまここにプーアール茶はない
私の所に来るべき運命にあったお茶 そう考えると
全てのものは運命の下で動かされている気がする