信州生坂村「山紫水明 食と文化癒しの郷!」

山清路、大城・京ヶ倉等の自然。赤地蔵、百体観音等の伝統。おやき、おにかけ等の食文化を持つ生坂村!

信濃十名勝「山清路」の風景&お墓の掃除

2022年08月07日 | 生坂村の風景

 7日(日)は晴れたり曇ったりでも、蒸し暑さが続き熱中症対策が欠かせませんでした。

▽ 毎朝恒例の撮影は、山清路に行き、新山清路橋の近くからドローンをフライトさせ、様々な風景を撮影しました。

信濃十名勝「山清路」の風景

 撮影前の早朝から私は息子と一緒に、毎年8月第1日曜日恒例のお墓掃除をしました。既に我が家の本家と新宅が来ていて、我々も草取りと枯葉集めから始めました。

 小舟集落の藤澤仲間のお墓は、昔からあるそれぞれの家のお墓の区画を、父が発起人で整備して、藤澤同姓のご先祖様のお墓をまとめ、大本家から分家した家が分かる様になっています。

 我が家のお墓は、1時間半ほど掛けて二人で掃除をしましたので、とても綺麗になり、これでお盆を迎える準備の一つが済みました。

 昨今は、核家族化や跡取りがいないなどで、墓終いをする家があり寂しい限りですが、我々藤澤仲間のお墓でも12軒の内、4軒が村内にいない状況であり、我が家は未来永劫続いて欲しいと思いました。

 お墓の掃除が終わった後は、頼まれた粗大ごみをB&G下の駐車場で処分をお願いしてから、やっと毎朝恒例の撮影のため山清路に行きました。

 北アルプスの名峰「槍ヶ岳」を源とする犀川は、松本盆地を北流し長野盆地の川中島で千曲川と合流する河川でして、その流れはところどころで蛇行しながら、美しい峡谷である「犀峡」を造り出しています。

 犀川は生坂村で、支流の金熊川、麻績川と合流するところが「山清路」と呼ばれる景勝地になっていて、この地は、民話『犀龍と泉小太郎』の山清路伝説の場所です。

 松本平は太古、一面に湖でありました。ここに犀竜が住んでいて、白竜王(日輪、大日如来の化身)との間に泉小太郎が生まれ、泉小太郎に自分の姿を見られることを恥じて、湖水に隠れてしまいました。

 泉小太郎は母の行方をたずね歩き、やっと熊倉の下田奥の尾入沢(松本市島内と安曇野市豊科田沢の境)でめぐり会うことができました。

 犀竜は「我は諏訪大明神の化身である。氏子を繁栄させたいと思う。背中に乗りなさい。この湖水を突き破り平地とし人里にしたい」と言いました。

 泉小太郎は言われるままに尾入沢から犀竜に乗り、山清路の大岩を突破し、水を越後の海に流し落として、松本平を肥沃な人里としました。

 この後、犀に乗った所を犀乗沢、そこから千曲川までの川筋を犀川というようになったと伝えられています。

 山清路は泉小太郎が一番苦労して突破した難所であり、そのおかげで生坂の地も人里と なりました。かつては、感謝とこの地の発展を祈って毎年5月に犀龍小太郎祭が盛大に行われていました。

 山清路の名勝は明治以降、犀川下りの人々により有名となり、昭和3年新愛知新聞社 主催により、信濃十名勝の第二番に選ばれました。

 昭和62年には朝日新聞社、長野県、テレビ信州、森林文化協会の公募により、長野の自然100選の一つに認定されました。

 当村としては山清路のVR動画、パンフレットの製作、看板の修繕、百体観音の遊歩道整備、駐車場整備、山清路遊歩道の整備などを行い、山清路を当村北部の観光名所にするため取り組んでいます。

 本日生坂村では、長野県知事選挙投開票日、粗大ごみ有料収集、ラフティング教室などが行われました。