伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

近くにあった印旛沼公園の散策

2015年06月18日 | 写真撮影

流石に入梅時期ですが、曇り空の間に、近くの公園を散策。

本日は「アランフェス協奏曲」を聞きながら

「アランフェス協奏曲」より第2楽章adagio/ホアキン・ロドリーゴ

此の曲を聴くとROPEのコマーシャルを思い出します。あの頃はJUNなんてメーカーもありました。

印旛付近にも城跡があるようです。今回は印旛沼公園に行って参ります。

途中に咲いていた花珍しい花なので

見事な佇まいです。

雉もの雌も見かけましたが、今回は望遠レンズ持参していませんので

近くの花畑を

全体で見ると

黄色って何となく幸福感がありますよ!

旧印旛(いんば)村といえば、ナウマンゾウの化石が見つかったことでも有名ですが今回は

印西市(旧印旛郡印旛村)の印旛沼畔にあった城、師戸(もろと)城です。

印旛沼といえば、田沼意次ですね

田沼意次は、天明年間(1781~1789年)に水害防止や新田開発、舟運整備を目的に、 印旛沼の干拓事業を

展開します。 しかし、大洪水や田沼意次の失脚により工事は中止され、水野忠邦によって再開されます。

水野忠邦も失脚し再び工事は中止されたそうです。

此の場所まで家から30分程でつきます。

途中で自分撮りしちゃいました(爆)

さて此の城の歴史を調べますと、

築城年代は定かではないが、鎌倉時代の14世紀に臼井城の支城として築城されたといわれる。

築城当初は師戸四郎なる人物が在城していたらしい。その後は臼井城の臼井氏、原氏の傘下に置かれたものと思われる

臼井城とは「渡し」で結ばれ、臼井城の防衛に大きな役割を果たした。

文明十一(1479)年の太田持資・資忠、

永禄九(1566)年の上杉謙信による臼井城攻撃でも、糧道を守る搦手の城として機能したと想像される。

天正十八(1590)年の小田原の役で落城し廃城となった。

 

最近話題になった映画「のぼおの城」もあの時代の豊臣政権は凄まじい勢いだったと想像出来ます。

筆者は愛知の三河で生まれ壮大な名古屋城を始め有名な城は見てきましたが

関東に来て歴史認識は江戸幕府以降と考えていましたが、

歴史はそれぞれ有るようで、認識を新たにしています。

 

先日立ち寄った大多喜城も小さな城ではありますが、町が未だに、城下町の雰囲気が漂ってました。

これも最近写真撮影に興味があって、立ち寄ったからなんですかね?

 

さて印旛沼公園入口から駐車場まで

ほぼ20台ほど止められる駐車場が有ります。

入口から駐車場までの道路何か風情があります。苔生した石垣何となく雰囲気がいいですよ!

そこから展望台に歩きます。

紫陽花が昔の堀の思われる場所に咲いてとても綺麗です。

駐車場も2台ほど止めてあり全体には人気も無くゆっくり感情に浸れます(笑)

早速展望台まで歩きます。

徒歩で5~6分で展望台まで行くのですが途中の紫陽花が綺麗で写真に収めました。

実にひなびた感じがいいですよ!昔の城の雰囲気が伝わります。

そして展望台到着です、

其処は広場があり印旛沼が一望に見渡せます。

晴れた日はきれいだろうなぁ!

テーブルといすが所々あり家族ゆっくり出来ますね!

又花も咲いて展望台付近より見ますと前は印旛沼と

後ろは石垣といかにも、構築場所には適した構造をしてるようでした。

ひまわりも咲いてますョ!

そこから散歩コースをたどりますと梅園となります。

梅が一杯なって梅の木の下は梅で一杯でした。

そこから野球のグランドもあり何となく昔を思わせる広場もあり

30分程で一週してしまいました。

でも家の近くにこの様な場所があるとは知りませんでした。

今後も近場の歴史探索をしてみたいと思いました。

 

帰りに紫陽花の綺麗な場所で紫陽花を撮しました。

此の紫陽花は凄く大きくびっくりです。

近づくとこんな感じです。

可愛い花も

そして筆者の好きな 額アジサイ

帰りはもう夕方です!

同じ夕焼け風景を少し撮り方を変えて撮って見ました。

どちらの写真がいいのかね?

同じ風景なのに雰囲気違いますね?

 

最近釣りのアップが少なく誠に申し訳ありません。

これからも家から近くの歴史探索をと考えています。

 

 

 

 

 

 

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