NHKは世界各地の公文書館や関係者に取材を行い、判事たちの公的、私的両面にわたる文書や手記、証言を入手した。浮かび上がるのは、彼ら一人一人が出身国の威信と歴史文化を背負いつつ、仲間である判事たちとの激しいあつれきを経てようやく判決へ達したという、裁判の舞台裏の姿だった。
11か国から集まった多彩な背景を持つ判事たちの多角的な視点で「東京裁判」を描く。人は戦争を裁くことができるか、という厳しい問いに向き合った男たちが繰り広げる、緊迫感あふれるヒューマンドラマ。
本当に此の裁判は公平な裁きだったのであろうか?多くの疑問点が残る。
それは戦勝国の各国の裁判官が纏めた当にでっち上げのの形式的な裁判のような気がします。でも戦前の日本の帝国主義の教育はよくないのだが、明治時代のころのが良い気もします。日本民族に贖罪意識を植え付ける柱となったのが、東京裁判として知られる、極東国際軍事裁判だった。
第二次世界大戦以前には、一国の指導層を戦争行為の犯罪人として、訴追した前例はなかったし、国際法のなかにも、そのような条文は存在していなかった。東京裁判も、『ポツダム宣言』に明らかに違反するものだった。
『ポツダム宣言』は、「我々の捕虜を虐待せる者を含む、一切の戦争犯罪者に対して、厳格なる裁判が行われるべし」と、定めているが、これは非戦闘員を殺傷したり、 捕虜を虐待することを意味するものだった。
東京裁判で、被告たちは「平和に対する罪」と、「人道に対する罪」によって裁かれたが、ニュルンベルク裁判が開かれるまで、「平和に対する罪」などという概念すら、存在していなかった。
東京裁判は、「裁判」という名にまったく価しない、ペテンだった。
日本はアジアを侵略した罪によって、裁かれた。ところが、この裁判劇が進められていたあいだ、イギリス、オランダ、 フランスは、マレー半島、インドネシア、ベトナムを再び植民地として支配するために、侵略戦争を戦っていた。
侵略を継続しようとしたのは、戦勝国の側だった。このこと一つをとってみても、連合国のペテンは明白だ。 東京裁判では、日本が犯したとされる悪事のみが、一方的に訴追され、連合国が犯した戦争犯罪には、いっさい触れることが許されなかった。
東京大空襲によって一夜のうちに十万人以上、広島、長崎に原爆を投下して、国際法で殺傷を禁じられている、非戦闘員と、民間人を、大量に殺戮したことだけをとっても、アメリカが、重大な戦争犯罪を犯したことは明白だ。
マッカーサーの側近で、GHQの二人の最高幹部の一人だったウィロビー少将は、オランダのレーリング判事に、この裁判は、有史このかた、最悪の偽善だ。このようなひどい裁判が行われる以上、戦争に敗れれば、 戦犯として縛り首になるなら、自分の息子が軍務につくことは、許さない」と、語っている。(笑)
筆者の生まれ故郷には、殉国七士廟(じゅんこくななしびょう)があります、
愛知県西尾市東幡豆町の三ヶ根山にある廟。三ヶ根山頂上付近。処刑後(ドイツでは処刑された戦犯の骨は粉砕されて飛行機上から吹き飛ばされた。
マッカーサー司令部が七氏の遺体も遺骨も家族に渡すつもりがないことが判明し、なんとか遺骨だけは手に入れたいと考えた人達がいた。七氏の火葬は横浜市久保山の火葬場で米軍によって12月23日に行われた。
火葬場は武装した米兵に囲まれ、場内には飛田場長ら4人の日本人係員が入れたのみだった。彼らは米兵の目を盗んで七氏の遺骨を七つの骨壷に納めることに成功した。しかし隠した場所に香をたいたため米兵に見つかり没収されてしまった。米兵は遺骨を鉄棒で粉砕、小箱に納めて持ち去り、残りは骨捨て場に遺棄した。)
その遺骨を此処に持ってきたそうである。
東京裁判判決に従い死刑を執行された7名の軍人・政治家を祀っている。
高さ5メートルほどの石碑で、「殉国七士墓」と彫られており、作られた当時の首相、岸信介の揮毫である。7人の遺骨は実際に碑石の下に埋まっている。
ぶっとい柱に刻まれた『殉国七士廟』の書は、第56・57代総理大臣である『岸信介』が書いたものだそうです。此の岸も戦犯だった事は有名な話ですが・・・・
そしてこれがそのお墓であり、殉国七士廟そのものです。
ここに板垣征四郎、松井石根、東條英機、木村兵太郎、土肥原賢二、広田弘毅、武藤章の7名のA級戦犯の遺骨があるわけです。
靖国問題が中国、韓国等で参拝反対など言われているが、戦犯と言われたお墓は此処にあるのです。何故此処に作ったのかは疑問ですが、此の山から見える風景が戦地に似ているとう言う説もありますが、三河湾が一望でき、天気の良い日は誠に美しい風景が見られます。写真中央の島が竹島です
この辺には他にも戦没者のお墓があったり、昭和神宮建設予定地(結局ポシャったそうな)があったり、東條英機の孫である東條由布子さんの何か施設があったりとなかなか濃いです。鶴田浩二の物もありました。
ちなみに終戦記念日には特別何かが行われることはなく、むしろ昭和天皇誕生日の4月29日に毎年祭が行われているらしいです。
夜景も大変綺麗です。正月には参拝客も多いそうです。
現在岸信介の縁者安倍が日本の総理になり、自衛隊法案を小賢しい手で変えているが、余り簡単に法案を通過させ・・・・・・今まで70年平和を保った国を変えようとするのか?とても疑問である!
最近の日本の政治は違った方向に狂いはじめてます・・・馬鹿な議員と・・・・意外と安倍が人気があることも不思議であるが、最近の政治家は馬鹿な政治屋さんばかりで・・・基本敗戦国の日本、ドイツ、イタリヤは未だ敗戦国の汚名を返上出来ない国なのですよ!今や経済大国と言われていますが、今後日本の将来がとても心配である。
あれから歳は変わっても、森、加計問題も適当にあしらう、デタラメ安倍の自民、其れでも自民は圧勝?小池も悪い癖が出て、国民からは見放され、此の国の政治は何処にいくのか?的確な舵取りのいない、国民不在の政治をする、我が日本丸は何処に進もうとするのか?
此の選挙で当分国政選挙はないのですが、一度今の政治で本当に良いのか考える時期なのかも知れない。