バッハの時代のライプツィヒにはコーヒーハウス8軒があり、大繁盛していたが、このコーヒーハウスの中には音楽も提供する店が出てきて、バッハ自身もコレギウム・ムジクム(大学生主体の演奏団体)とともに出演していたといわれている。
さしずめ現在のライブハウスといったところか。このコーヒーカンタータもおそらくはこのコーヒー店で演奏されたものと考えられている。
話の筋は、流行のコーヒーのことばかり考えている若い娘のリースヒェンに、頑固おやじのシュレンドリアンが、何とかコーヒーをやめさせようとするやりとりから成り立っている。作詞は農民カンタータと同じくピカンダーであるが、もともとの歌詞は第8曲までしかなく、最後の2曲は追加された。
聞いてみるとこの追加された第9曲に話しの"落ち"があるのだが、この部分を追加したのがピカンダー自身かバッハの手になるものなのかは不明である。
爽やかな朝の目覚めは淹れたての熱いコーヒーに限る、この味を味わったバッハも此の素敵なコーヒーに創ったのかも知れないカンタータです。
現在、カンタータという呼び名はほとんどの方が知っています。
カンタータといえばバッハの教会カンタータといわれるくらいバッハが有名です。
もともとカンタータなる言葉は、イタリアの世俗的な歌を指していました。つまり、カンツォーネ(イタリアの大衆歌曲)です。なんと恋の歌なのです(驚)
当時のコーヒー事情は現在とは全く異なったものでした。
ロンドンのコーヒーハウスは女人禁制とされ、バッハの生きた時代のドイツでも「女性はコーヒーを飲むべきではない」とされていました。 このような風潮に反発する女性の声を代弁したのが詩人のピカンダーでした。
当時のコーヒー事情を風刺して書かれた『おしゃべりをやめて、お静かに』(1732年頃)という作品は、娘のコーヒー好きをなんとか止めさせようとする古風な父親の奮闘ぶりが詠われたコミカルなやり取りの内容です。
1734年頃、この作品に曲をつけたのがバッハで、今日では『コーヒーカンタータ』と呼ばれています。
バッハは、1750年にその生涯を遂げました。バッハの遺産リストの中には、楽器や楽譜と並んで、5つのコーヒーポット及びカップ類が含まれていたそうです。
楽器の個性を深く見つめたように、コーヒーの味わいもきき分けていたのでしょうか。 現在でこそ誰もが楽しめるコーヒーですが、昔は高級なものとされていました。
また、コーヒーを飲むことで「子どもが産めなくなる」、「肌が黒くなる」と言われていたため、イギリスではコーヒーハウスが女性禁制の場所になっていました。ドイツにコーヒーが伝わったのは、イギリスより遅れること約20年後の1670年。
ドイツにおいても、コーヒーハウスが女性禁制となりましたが、主婦たちはこの流れに怒り反対運動を起こしています。
J.S.バッハ(1685-1750):名作カンタータ集
【曲目】
コーヒー・カンタータ「そっと黙って、おしゃべりなさるな」BWV211
農民カンタータ「おいらは新しい領主様をいただいた」BWV212
カンタータ「不実な愛」BWV203
【演奏】
トン・コープマン(指揮)、アムステルダム・バロック管弦楽団
アンネ・グリム(ソプラノ(*))
ポール・アグニュー(テノール(*))
エルス・ボンゲルス(ソプラノ(+))
クラウス・メルテンス(バス)
【録音】
1996年1月(*)、1996年9、10月(+)、1995年5月(#)、アムステルダム、フランス改革派教会
J S Bach "Schweigt stille, plaudert nicht" "Kaffeekantate", BWV 211 Ton Koopman
カンタータ211番「静かに、おしゃべり召されるな」バッハ47才頃の作品。
コーヒー好きの娘とそれを止めさせようとする父親のやりとりという他愛のない内容を描いたカンタータ、俗に「コーヒー・カンタータ」と呼ばれていて、コーヒーが大流行した当時を反映した音楽です。バッハの世俗カンタータの中でも傑作で、実に楽しく心がうきうきして来る音楽です。
まことに単純ですけどコーヒーを飲みながらこの曲を聴くのがささやかな楽しみになっていす、・・・この曲とコーヒーで過ごす休日の朝っていいです、ちょっとした幸福感!。
コーヒー事情を風刺「おしゃべりをやめて、お静かに」このような女性の反対運動を風刺して、詩人のピカンダーは「おしゃべりをやめて、お静かに」という作品を発表しました。この詩は・・・・・・
娘:「1000のキスよりも愛おしく、ぶどう酒より甘いコーヒー。私はコーヒーをやめられない」
父親:「コーヒーを止めないなら、結婚パーティーはおろか散歩にも行かせない!」
娘:「コーヒーをくれるなら構わないわ」といった、
コーヒー好きな娘とコーヒーを止めさせたい父親とのやり取りをコミカルに描いた喜劇的なものです。
バッハが詩に曲をつけた「コーヒー・カンタータ」この詩に、曲をつけたのがバッハでした。カンタータ第211番で、この詩を使って作曲をしたため「コーヒー・カンタータ」と呼ばれるようになりました。
バッハは多数のカンタータを世に残しましたが、このコーヒー・カンタータは“バッハっぽくない”といわれる少々変わった作品として語られているのです。
(ソプラノ、テノール、バス)
猫はねずみとりが止められないように、
娘はコーヒーがやめられない。
母さんも、おばあちゃんも、
みんな飲んでる、
そんなコーヒーを娘がやめられるわけないでしょう!
まるで落語のオチの様な終わり方も楽しめる曲なんでしょう。
バッハは、音楽を神に捧げるだけでなく、演奏の場を「教会」から「コーヒーハウス」にまで広げた人物でもあります。
ドイツのライプツィヒの街にあった「ツィンマーマン・コーヒーハウス」という名の店で、1729~1737年、1739~1741年の間、毎週金曜日の夜にライプツィヒ大学の学生を率いて「コレギウム・ムジクム」という演奏団体の指揮をしていました。
火屋のアンプで特にカンタータを聴くと実にリアルに感じます、内容より歌声も含めた演奏は素晴らしい、特に大衆にも楽しめ音楽の素晴らしさを与えたバッハの音楽は心地よい。この様な非常に民衆化して曲も含め幅広い音楽を残して頂いたバッハには感謝です。
勿論筆者も珈琲は大好きで毎朝淹れたての珈琲は欠かせないが、銘柄を楽しんで見たが最近はブレンド珈琲が一番美味いと思う、音楽の音も基本は素直な音がすべての曲を公平に聴け一番心地よいだろうと思う。
先日購入の初段MT管TELEFUNKENの音に疑問もあり、以前から持っているELECTRO-HARMONIX300Bに交換して視聴したが結果は全く良くなかった。
むしろカンタータなどの声楽はPSVANE 300Bが良かった、初段管6BM8/PCL82はTELEFUNKENのMT管に疑問がわく、松下製(ナショナル)が音楽を聴くことは楽しめそうである。
勿論球の交換で音質が変わり、此れまで海外製も色々試して見たが、現在松下製を中心に、東芝製、NEC製の国産品を愛用している、三菱製、日立製は未だ試してません。真空管アンプに変えて確かに音質は少し代わり低域はよく響き高域の弦楽器の音色はとても聴きやすい音になった事は事実である。
又当時はコレギウム・ムジクムは、夏はコーヒーガーデンで、冬はツィンマーマンのコーヒーハウスで演奏していた。聴衆はコーヒーを飲みながらコーヒーをめぐる音楽劇を楽しんだというわけである。この曲は淹れたての美味しい珈琲を頂きながらリラックスして聴くことを勧めます。
余談ですが珈琲を1日に3〜4杯飲むことは身体にも良いと言われているようですので、安心して淹れたての珈琲をお飲みください
J.S. バッハ:コーヒー・カンタータ/農民カンタータ(ファイローニ室内/アンタル)の演奏は音質が良いドイツの春、ライプチヒの春を思わせる心躍る聴いて楽しい愉快なイタリア風の様式による「コーヒー・カンタータ」と純ドイツ=ザクセン風の響きが強く支配的となる「農民カンタータ」の魅力溢れるカップリングも良い組み合わせでしょう。
この大バッハのイタリアの風が吹いているとも言われる。
「コーヒー・カンタータ」が18世紀前半のドイツにおける学芸の中枢都市でもあるライプチヒの街の春!の姿と魅力を、当時のライプチヒ市民層でのコーヒーの民間的大流行という興味深いテーマによる「音で描かれたコーヒー」とも言うべき形で今日に等身大の大きさで後世に伝えて再現してくれているとすれば、19世紀前半のライプチヒの街の様子は大作曲家で、大バッハの宗教声楽の大作「マタイ受難曲」の歴史的な復活初演を1829年にベルリンで試み敢行した
大バッハの音楽のリバイバル・ブームの蘇生の火付け役であり功労者でもあったフェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ(1809~49)のかの有名な1844年作曲・初演の名作の華であった「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」(Op.64)によって描き切られ
表現されていると言っても言い過ぎではなかろう、ブラボー!