昔から好きで良く聴く曲に、ヴァイオリンとオブリガートチェンバロのためのバッハのソナタがある、トリオ・ソナタ形式で構成されていました。つまり、ベースラインの上の2つの等しく一致した上声からなる3つの独立した部分です。
チェンバロは、連続する楽器の役割を果たし、数字のあるベースハーモニーを埋める代わりに、バイオリンと同等の条件で上部のメロディーラインの1つを取りながら、ベースライン(必要に応じて補強することもできます)ヴィオラ・ダ・ガンバの追加した演奏も好評。
資料に基づき再度ヴァイオリンとオブリガートチェンバロのためのバッハのソナタの考察を行なう、又このダヴィッド・オイストラフ(ヴァイオリン)ハンス・ピシュナー(チェンバロ)二人の演奏は透明度が強く現代の演奏する演奏家と比べ、クリスタル感も強く、テンポも少しゆっくり目のいかにも筆者が感じるバッハらしい演奏とも思う。
筆者の聴く10吋のTANNOY、IIILZ in Cabinet(Chevening)は基本的にオーケストラ等編成の少ない小編成の音楽には頗る良い音を聴かせるが、JAZZ、ロック、近代的なオーケストラ等には相性は何方かといえば苦手ですが、ARU付きのGOODMANS AXIOM 80の箱に移植して聴くようになり、この英国製のスピーカーは、所詮打楽器の連打のような曲は苦手であるが箱を変えた大編成の音楽も結果少しはマシになった。
バッハがアンハルト=ケーテン侯レオポルトに招かれ、この街に赴任したのは1717年のことだった。1723年5月に最後の地ライプツィヒに向かうまで、バッハは32 – 38歳の時間をここで過ごした。最初の妻マリア・バーバラを亡くしたのも、アンナ・マグダレーナと再婚したのも、ブランデンブルク協奏曲や無伴奏の器楽曲といった名作を次々に生み出したのも、この街だ。
ケーテン時代バッハが宮廷の職を辞めようと思ったのは13年つれそった妻を亡くしたことが原因らしい。最大の原因はケーテン公爵が音楽に対する気持ちの変わったことも原因があるようだ。実際この曲集の多くはとても暗く,沈鬱だ。しかし、この悲しさが分かるような演奏がこのスピーカーで聴ける。
バッハの音楽の全体として、トリオソナタ形式で書かれた楽器のソナタは少数です。離れBWV 1014-1019から六のある曲、トリオ・ソナタBWV525から530で、3つのヴィオラ・ダ・ガンバとハープシコード、BWV1027から1029のためのソナタ、フルートとハープシコード、のための3つのソナタBWV1030、BWV1031とBWV1032。
いずれの場合も、トリオソナタのテクスチャは、バッハが自由に使用できるミュージシャンの機能の一部である、特定の楽器の組み合わせではなく、作曲形態に由来しています。これは、カンタータの第2部を開始するシンフォニアとして始まったオルガンソナタBWV528の最初の動きによってよく示されています。
東ドイツの鍵盤楽器奏者ハンス・ピシュナー(チェンバロ)との演奏の中にD.オイストラフ唯一のバッハ/ヴァイオリン・ソナタ全曲録音、ステレオ初期の名盤がありました。まず一番最高なことは、実に安定したテンポとオイストラフのヴァイオリンの冴えた音色は特質ものです。勿論ヴィオラ・ダ・ガンバの演奏付きのBWV 1014-1019も良いが、この2人乗演奏は格別である。
https://www.youtube.com/watch?v=lp4fASv_pns
20世紀を代表するヴァイオリニストの一人、ダヴィッド・オイストラフ(1908~1974)は旧ソ連の至宝として、東側だけでなく西側にも演奏旅行を行い、行く先々でレコード録音やラジオ放送を行ったため、膨大な数の音源を残しました。
ただ、バッハのヴァイオリン作品の録音は極めて少なく、無伴奏ソナタは1曲のみ、ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ集も、全曲録音はこのピシュナーとのドイツ・グラモフォン盤が1種類あるだけ出そうです。
この全曲は旧東ドイツにあったドレスデンで1961年、1963年、1966年に2曲ずつ録音されて完成しました。このヴァイオリン・ソナタ集がもつ美しいメロディの描き方、スケールの大きな包容力において、オイストラフ以上の演奏は今なお見いだせないほどです。LP時代にたいへん人気があり、何度も再発売されたレコードです。
共演のハンス・ピシュナー(1914~)はチェンバロ奏者として活躍する傍ら、旧東ドイツのベルリン放送局音楽局長、文化省音楽部長、ベルリン国立歌劇場のインテンダントを歴任し、東西統一後もドイツ音楽界の重鎮として尊敬を集めています。
これら6曲のソナタは、主に、バッハがケーテンの宮廷楽長をしていた1717年から23年までの時期おそらくは、その後半期に作曲されたと考えられる。
しかし、構想はそれ以前のヴァイマール期にまで遡る可能性もあり、また、ある部分はバッハがライプツィヒに移った後の1725年頃に改訂された(特に第6番の幾つかの楽章)。バッハは、1720年前後に、チェンバロを初めて協奏曲の独奏楽器に起用した《ブランデンブルク協奏曲第5番ニ長調BWV1050》を作曲した。
この作品は、フルート、ヴァイオリン、チェンバロを独奏楽器とした三重協奏曲であるが、作曲上の力点は、当然、チェンバロ・パートの扱い方に置かれている。《ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ》の何曲かは、この《ブランデンブルク協奏曲第5番》と並行して書かれた可能性が高い。
チェンバロ・パートの扱い方には、大幅な影響関係が認められるのである。ただし、《ソナタ》の方では、作曲者の関心がどちらか一方の楽器に大きく偏ることはなかったと思われる。
これまでの多くの研究者や演奏家の関心は、バッハのヴァイオリン作品の中では、とりわけ6曲の《無伴奏ソナタとパルティータ》に集中しがちで、それ以外のヴァイオリン曲を不当に軽視してきたきらいがある。そのため、この曲集の特徴としては、室内楽におけるチェンバロの扱い方の新しさが第一義的に強調されすぎる傾向があった。
しかし、この曲集はバッハの一連のヴァイオリン作品のほぼ最後の方に位置しており、もしかすると部分的にはヴァイマール期の1715年以前に作曲された無伴奏曲集、ヴァイマール期からケーテン期にかけて作曲されたと思われる幾つかのヴァイオリン協奏曲(そのうちの相当数が失われた)という成果を踏まえ、ヴァイオリンとの取り組みの総決算、という作曲意図があった可能性も、十分視野に入れるべきである。
もう一言付け加えておくと、この《ソナタ集》は、「チェンバロの名手による作品」と捉えられ易い。少なくとも、この曲集を「ヴァイオリニストによる作品集」と考える人がほとんどいないことは確かである。
それは、今日では、演奏家としてのバッハは、専らオルガンとチェンバロの名手であったことのみが機会あるごとに強調されているからである。
しかし、これは「大作曲家は優れた鍵盤奏者である」という19世紀的作曲家観から来る悪しき先入観の顕れでしかない。バッハは優秀な弦楽器奏者でもあったのであるそうです。筆者は勿論鍵盤奏者と思っていました。
彼は、既に1712年にヴァイマール宮廷の楽師長(今日で言うコンサートマスター)となり、様々な弦楽器作品、オーケストラ作品の創作と取り組み、ケーテンの宮廷楽長になってからも、主にヴァイオリンあるいはヴィオラを弾きながら、自らの楽団を統率していた。
このことは、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの証言から明らかである。従って、《ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ》を人前で演奏するとき、彼が弾いたのはヴァイオリン・パートであったかも知れないのである。一般的想像と違うが、指揮者のフランツ・コンヴィチュニーもヴァイオリンと名手である。
ヨハン・セバスティアン・バッハ: ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ全曲
<CD1>
1. 第1番 ロ短調 BWV1014
2. 第2番 イ長調 BWV1015
3. 第3番 ホ長調 BWV1016
<CD2>
4. 第4番 ハ短調 BWV1017
5. 第5番 へ短調 BWV1018
6. 第6番 ト長調 BWV1019
ダヴィッド・オイストラフ(ヴァイオリン) ハンス・ピシュナー(チェンバロ)
1961年10月(5, 6)、1963年(2, 3)、1966年8月(1, 4)ドレスデン、ルカ教会(ステレオ録音)
【原盤】Deutsche Grammophon
バッハのヨハン・ハインリッヒ・バッハの手書きの1725年の最初の既知の情報源は、オブリガートチェンバロを明示的に指定しています。
そして、バッハの弟子ヨハン・フリードリッヒ・アグリコラの手による後のバージョンは、BWV 1014の開始時にわずかな「ヴァイオリンI」を持っているという事実にもかかわらず、キーボード、特にアダジオの上部のスコアリングムーブメントBWV 1016 / i、BWV 1017 / iii、およびBWV 1018 / iiiは、キーボード楽器には慣用的であるが、他の楽器には適さない数字を使用します。
この作曲スタイルは18世紀後半に普及しましたが、バッハの時代には珍しく革新的でした。
ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ全曲の演奏は実に多くの演奏者の作品があり、しかも最新版は録音技術も相当良く音質も優れるが未だ筆者にはこのアルバムが印象深KU聴くたびに感動を与えていただいてます。
すべてのソナタはトリオソナタ形式で書かれていますが、それぞれに独自の特徴があります。3番目は、協奏曲のスタイルで書かれたソナタであるSonate auf Concertenartの例です。
バッハは生涯を通じて、特に最後のソナタで3つの異なるバージョンで生き残ったスコアを洗練し完成させるためにソナタに戻ったと言われる。ブラボー!