フーガの技法 BWV1080[Die Kunst der Fuge BWV1080]J.S.バッハ (BACH, J.S.)The Art of Fugue BWV1080別冊として、《2つのチェンバロのための鏡像フーガ》BWV 1080の《フーガの技法》は、バッハが晩年に構想した理念的作品集の一角をなすものである。ベルリンの国立図書館に残される自筆譜は1742年に作られており、バッハがこれ以前の1740年頃から《フーガの技法》に着手したと考えられる。その後、たびたびの中断があり――その間フリードリヒ大王を訪問し《音楽の捧げもの》を仕上げたり、L.C.ミツラーの「音楽学術交流会」に入会して《カノン風変奏曲「高き天より」》(BWV 769)を書いたり、旧作のオルガン・コラールを改訂して所謂『シューブラー・コラール集』や《17のコラール》をまとめたり、《ロ短調ミサ曲》を完成させたり・・・、また《フーガの技法》の当初の計画にいろいろな変更を加えた所為で、とうとうバッハ自身の手で出版は実現しなかったと言うより出来なかった様です。
最大の謎は、バッハが最終的に望んだ《フーガの技法》とは、どのような内容、配列によるのか、という点である。1751年6月1日に新聞に予告された出版譜が、具体的に誰の手配によるのかは判っていない。が、この初版の内容はおそらく、作曲家の意図をかなり無視したものとなっている。それはたとえば、Cp.10の初期稿が第14曲として組み込まれていること、Cp.13を単純に2台チェンバロ用に編曲したに過ぎないものが第18曲に入っていること、終曲にコラール編曲が置かれていること、あるいは未完のままのフーガが第19曲として収載されたこと、また、1742年の自筆譜の配列とは大幅に異なっていることなどから推察される。
バッハはなぜ、自らの名を刻んだフーガを未完のまま放置したのだろうか。仕上げる前に命数が尽きてしまったといえばそれまでだが、そもそもこのフーガの全体の出来に不満があったればこそ作曲が捗らなかったのではないか。とすれば、これを《フーガの技法》に含めることは、作曲者の意図に反するかも知れない。さらに奇妙なのは、コラール編曲〈我ら苦しみの極みにあるとき〉が終曲に置かれたことである。フォルケルは『バッハ伝』の中で、死の間際にバッハがこのコラールを口述筆記させたと伝えている。予定されていた最終フーガが未完となったので、この曲が補完に充てられたというのが実情であり、従って、コラール編曲を《フーガの技法》に含めるのが作曲者の意に叶うとは思えない。更にいうなら、絶筆となったのが果たして本当にこの曲だったのかどうかも、確証は得られない。より本質的な問題として、『個人略伝』とフォルケルの『バッハ伝』によれば、計画していながら完成されなかったフーガは2曲あった。「未完フーガ」はそのどちらかであろうが(フォルケルは「未完フーガ」を「3つの主題を持つ」「最後から2番目のフーガ」としている)、残る一方は完全に失われている。バッハが構想した《フーガの技法》は永遠の謎となってしまった。
筋の通った配列という問題は、未完フーガの補完と同じくらい、これまで多くの音楽家の関心を集めてきた。しかし、配列それ自体は作品の演奏にとっては大きな問題ではない。どのみち全曲とおして演奏することは想定されていないからである。
楽器編成について、こんにちではほぼ、鍵盤作品として、それもクラヴィーアのために書かれたと考えられている。処々に現れる長い保続音は確かにオルガンのペダル・ポイントに適しているようにもみえるが、全体はクラヴィーアにふさわしい語法に満たされている。また、鍵盤以外の楽器の特徴はほとんど見出せない。なお、現代のピアノで演奏する場合には、特に手の交差に関してチェンバロやオルガンほどの効果が得られないので、工夫が必要である。
此処でフーガの技法BWV 1080の演奏を密閉型の3/5aで聴く、チェンバロ、ピアノ演奏も大変良い音が聴ける、今思えばこの3/5aスピーカーは2019/02/13に入手して、約2年間聴き続け最近まで自分が、お思い描く音が鳴らなく、あらゆる手直し、創意工夫したが全く美音は聴けない状態でした、最終的には接続部分の破損で原因が原因で解明できた、これは筆者においては大変ラッキーな事でした、然し売主は良い音がすると言っていたが今でも大変疑問に思う。
このような事故はこの3/5a以外の製品は起らなかったかもしれないが、今となってはこの事故に大変感謝しています。タンノイの音質とも若干違いはあるが、陰影も品位の有り少し渋めの音質が響く音質は相当気にいってます。アンプはシングルよりプッシュプルアンプを使った方が3/5aの真価が発揮できる様である勿論ジャズを鳴らしても満足しています、正に怪我の功名であろう。
実は筆者も5年程前よりオーディオ愛好を再開しバッハ中心の音楽を聴くことに戻ったが、所有するスピーカーを色々聴いて見たが、現在アンプは未だ真空管の仕様が一番に思う、真空管に替えて聴くと何故か安堵感を感じるのだ。此の匂いを嗅いでしまうと後戻りが出来ない始末の悪さが残るのだ・・・。
以前も紹介はしたがこのメンバーの奏でるゴルドベルグ変奏曲は大変美しい演奏が聴けた、Bach: The Art of Fugue / Fretwork比較的に分かり易い演奏です、英国のスーパー・ヴィオール合奏団、フレットワークがバッハの最後の大作フーガの技法を録音!筆者はこの演奏が好きで良く聴く、それと見出しに最近自筆譜版をもとに、『フーガの技法』を完成された作品として演奏!
数の象徴がもたらす神秘的な美しさ、名手たちの至高のアンサンブル、アルベルト・ラージRoberto Rasi(指揮)興味本位で聴いた。
自筆譜の曲順と曲種を読み解くと、バッハがそこに「数の象徴」を盛り込んでいたことが分かりました。BACHをアルファベット順に数字に変換すると2-1-3-8となり、バッハはその合計数14を象徴的に作品に潜り込ませていたことが知られています。自筆譜の『フーガの技法』は基本となるフーガがまず2曲、次に半終止(ラ、Aの音!)で終わるフーガが1曲、そして反行形や対主題を伴うフーガが3曲、最後に複雑さを極めていく8曲というように構成されています。8曲のセクションは2-1-2-1-2と細分化でき、拡大・縮小を伴うフーガ、カノン、多重フーガ、カノン、鏡像フーガ(正立+倒立で1曲とする)と書法が発展していきます。
バッハは曲集のタイトルを「Die Kunst der Fuga」としました。フーガの綴りだけイタリア語になっています。これは上記の方法で数字に直したとき158になり、「Johann Sebastian Bach」もまた158になる、という数遊び。1+5+8=14(BACH)、というのもバッハは気に入っていたようです。
このアルバムではアンサンブルでの演奏が採用されています。スコアの音域に即した楽器が選択され、各種ヴィオールが美しく響き、机上の空論的な楽曲と思われがちな『フーガの技法』から驚くほど音楽的な対話が生まれています。オルガンは通奏低音として入ったり時にソロで弾いたりとアレンジも面白く考え抜かれていて、最後に未完フーガを添えているのも嬉しいところです。アッカデミア・ストゥルメンターレ・イタリアーナはこれまでStradivariusやDIVOXに録音があり、今作がChallenge Classicsでの初作品。リーダーのアルベルト・ラージはサヴァールに学んだヴィオール奏者です。
構成数 | 1枚
合計収録時間 | 01:08:13
【曲目】
J.S.バッハ:フーガの技法 BWV1080(ベルリン自筆譜版)
[1] コントラプンクトゥスI (基本形による単純フーガ)
[2] コントラプンクトゥスIII (反行形による単純フーガ)
[3] コントラプンクトゥスII (基本形による単純フーガ)
[4] コントラプンクトゥスV(反行形を伴うフーガ)
[5] コントラプンクトゥスIX(12度対位法による対主題と基本形によるフーガ)
[6] コントラプンクトゥスX(10度対位法による2つの対主題と反行形によるフーガ)
[7] コントラプンクトゥスVI (反行、縮小を伴うフランス様式によるフーガ)
[8] コントラプンクトゥスVII (反行、拡大と縮小を伴うフーガ)
[9] 8度のカノン
[10] コントラプンクトゥスVIII (3声の3つの主題によるフーガ)
[11] コントラプンクトゥスXI (4声の4つの主題によるフーガ)
[12] 反行と拡大によるカノン
[13] コントラプンクトゥスXIIa(4声の鏡像フーガ・正立)
[14] コントラプンクトゥスXIIb(4声の鏡像フーガ・倒立)
[15] コントラプンクトゥスXIIIb(3声の反行形を伴う鏡像フーガ・正立)
[16] コントラプンクトゥスXIIIa(3声の反行形を伴う鏡像フーガ・倒立)
[17] 3つの主題によるフーガ(未完)
【演奏】
アッカデミア・ストゥルメンターレ・イタリアーナ
[ロゼッラ・クローチェ(ヴァイオリン)、
トレブル・ヴィオール)、クラウディア・パセット(テノール・ヴィオール)、
パオロ・ビオルディ(バス・ヴィオール)、
ミケーレ・ツェオーリ(ヴィオローネ)、
ルカ・グリエルミ(オルガン)]
ともすれフーガの技法は、バッハが晩年に構想した理念的作品集の一角をなすものである。
ベルリンの国立図書館に残される自筆譜は1742年に作られており、バッハがこれ以前の1740年頃から《フーガの技法》に着手したと考えられる。その後、たびたびの中断があり――フリードリヒ大王を訪問し《音楽の捧げもの》を仕上げたり、L.C.ミツラーの「音楽学術交流会」に入会して《カノン風変奏曲「高き天より」》(BWV 769)を書いたり、旧作のオルガン・コラールを改訂して所謂『シューブラー・コラール集』や《17のコラール》をまとめたり、《ロ短調ミサ曲》を完成させたり――、また《フーガの技法》の当初の計画にいろいろな変更を加えた所為で、とうとうバッハ自身の手で出版は実現しなかった。
最大の謎は、バッハが最終的に望んだ《フーガの技法》とは、どのような内容、配列によるのか、という点である。1751年6月1日に新聞に予告された出版譜が、具体的に誰の手配によるのかは判っていない。が、この初版の内容はおそらく、作曲家の意図をかなり無視したものとなっている。それはたとえば、Cp.10の初期稿が第14曲として組み込まれていること、Cp.13を単純に2台チェンバロ用に編曲したに過ぎないものが第18曲に入っていること、終曲にコラール編曲が置かれていること、あるいは未完のままのフーガが第19曲として収載されたこと、また、1742年の自筆譜の配列とは大幅に異なっていることなどから推察される。
バッハはなぜ、自らの名を刻んだフーガを未完のまま放置したのだろうか。仕上げる前に命数が尽きてしまったといえばそれまでだが、そもそもこのフーガの全体の出来に不満があったればこそ作曲が捗らなかったのではないか。とすれば、これを《フーガの技法》に含めることは、作曲者の意図に反するかも知れない。さらに奇妙なのは、コラール編曲〈我ら苦しみの極みにあるとき〉が終曲に置かれたことである。フォルケルは『バッハ伝』の中で、死の間際にバッハがこのコラールを口述筆記させたと伝えている。予定されていた最終フーガが未完となったので、この曲が補完に充てられたというのが実情であり、従って、コラール編曲を《フーガの技法》に含めるのが作曲者の意に叶うとは思えない。更にいうなら、絶筆となったのが果たして本当にこの曲だったのかどうかも、確証は得られない。より本質的な問題として、『個人略伝』とフォルケルの『バッハ伝』によれば、計画していながら完成されなかったフーガは2曲あった。「未完フーガ」はそのどちらかであろうが(フォルケルは「未完フーガ」を「3つの主題を持つ」「最後から2番目のフーガ」としている)、残る一方は完全に失われている。バッハが構想した《フーガの技法》は永遠の謎となってしまった。
筋の通った配列という問題は、未完フーガの補完と同じくらい、これまで多くの音楽家の関心を集めてきた。しかし、配列それ自体は作品の演奏にとっては大きな問題ではない。どのみち全曲とおして演奏することは想定されていないからである。
楽器編成について、こんにちではほぼ、鍵盤作品として、それもクラヴィーアのために書かれたと考えられている。処々に現れる長い保続音は確かにオルガンのペダル・ポイントに適しているようにもみえるが、全体はクラヴィーアにふさわしい語法に満たされている。また、鍵盤以外の楽器の特徴はほとんど見出せない。なお、現代のピアノで演奏する場合には、特に手の交差に関してチェンバロやオルガンほどの効果が得られないので、工夫が必要である。
フーガの技法は、謎めいた未完のフーガやバッハ最晩年の逸話とあいまって、伝説的なオーラを放っている。作曲家の死の直後に出版されてからこれまで絶えず人々の関心を集め、なかば崇拝にも近い賛辞を贈られた。しかし栄光に反して、実際に演奏される機会はそれほど多くない。それは、バッハの意図した楽器や編成が判然としないことに大きな原因があるが、伝説的なオーラが近づきがたいイメージを固めてしまった所為でもある。バッハは確かにかなり抽象的、理念的性質をこの曲集に与えたのではあるが、実際に演奏可能なことが何よりの大前提だった筈だ。そこで、具体的に各曲に迫るためにまず、この作品にあらわれる「技法」とは何か、それらが音楽的にどのように成功しているのかを確かめてみよう。ここに含まれる作品は、おそらく全曲とおしての演奏を想定して作られてはいない。フーガの技法を単一主題によるフーガ変奏曲のように扱うのは、そもそも聴き手の集中力に鑑みて無理があるように思われる。
作品全体の構成をこちらに示す。また、作品の成立に関わる問題については最後にこちらに簡単に述べるにとどめる。以下、文中で略号「Cp.」はContrapunctus(コントラプンクトゥス)を表す。また、「テーマ」という場合には第1曲の冒頭で提示され、この曲集全体を貫く旋律のことを、「主題」という場合にはフーガの楽式ないし作曲技法上の主要旋律のことを指す。
このようなことを考えると、鍵盤楽器の演奏、チェンバロ又はオルガン演奏が良い方法なのかもしれないと思ったりもする。ここでバッハ:フーガの技法BWV1080を楽しむは色々なパターンの演奏を聴くことをお勧めする、意外と面白い演奏と巡りあわせる事もあり筆者も最近聴いたピアノでの演奏も近藤 伸子は興味深く試聴した、新潟県出身のピアニストである。現在、国立音楽大学教授。現代音楽を積極的に演奏、紹介すると同時に、バッハの鍵盤作品にも強い関心を寄せて演奏活動を行なっている。
近藤伸子ピアノ演奏のJ・S・バッハ:フーガの技法バッハ晩年の傑作《フーガの技法》には、近づきがたい作品というイメージがあるかもしれません。対位法の魔術師バッハが音楽家人生の集大成として編纂した「フーガの技法」。多くの謎に包まれていますが、そのひとつが「何の楽器のために書かれたか?」です。
此処で筆者お勧めは、鍵盤奏者トン・コープマン指揮者。1944年オランダ、ツウォレ生まれ。アムステルダム音楽院でレオンハルトにチェンバロを、ヤンセンにオルガンを学ぶ。ソロ活動から始め、79年にオリジナル楽器によるアムステルダム・バロック管弦楽団と合唱団を組織し、コンサート、録音と活発に活動をしている。即興演奏の名手で、情熱的なソリストとしての演奏はそのままオーケストラ演奏でも当てはまり、生気に富んだ演奏がバロック音楽に新しい息吹を吹き込んだ。
夫婦であるトン・コープマンTon Koopmanとティニ・マトーは両者ともにチェンバロ奏者です。
この2人の録音は名盤が多いですが、ティニ・マトーTini Mathotはトン・コープマンのプロデューサーとしてのイメージのほうが世間的には強いようです。
Ruckersモデルのチェンバロをコープマンが、Couchetモデルのチェンバロをティニ・マトーが演奏しています。
コープマン/バッハ:フーガの技法(2台の技法バロズ季)『フーガの技法』は、劇する楽器取名せずに、「フーガ」であるの作曲曲をするちの「小宇宙」フーガの技法フーガの技法、世界史上特筆しか与え性を頂この作品は、絶壁の技法の家の技法志意をかき立てます。
此処で筆者お勧めの、フーガの技法BWV1080トン・コープマン( チェンバロ)ティニ・マトー(チェンバロ)録音:1993年を挙げます。
「フーガ」という当時の作曲様式を徹底して追求した作品で、バッハの絶筆のひとつと言われています。ひとつの「小宇宙」ともいうべき荘厳さを持ち、音楽史上特筆すべき特異性を有するこの作品は、絶壁のように演奏家の挑戦意欲をかき立てます。当代最高のバッハ演奏家コープマンによる刺激に満ちた再現。
チェンバロ奏者、トン・コープマンとティニ・マトーとの共演によるバッハ「フーガの技法」を収録した1993年録音盤。
バッハ:フーガの技法
【演奏】
トン・コープマン、ティニ・マトー(チェンバロ)
【録音】
1993年
1.コントラプンクトゥス1
2.コントラプンクトゥス2
3.コントラプンクトゥス3
4.コントラプンクトゥス4
5.コントラプンクトゥス5
6.コントラプンクトゥス6
7.コントラプンクトゥス7
8.反行の拡大カノン
9.オクターヴのカノン
10.コントラプンクトゥス8
11.コントラプンクトゥス9
12.12度のカノン
13.コントラプンクトゥス10
14.10度のカノン
15.コントラプンクトゥス11
16.コントラプンクトゥス12[正立形]
17.コントラプンクトゥス12[倒立形]
18.コントラプンクトゥス13[正立形]
19.コントラプンクトゥス13[倒立形]
20.3つの主題によるフーガ
2.コントラプンクトゥス2
3.コントラプンクトゥス3
4.コントラプンクトゥス4
5.コントラプンクトゥス5
6.コントラプンクトゥス6
7.コントラプンクトゥス7
8.反行の拡大カノン
9.オクターヴのカノン
10.コントラプンクトゥス8
11.コントラプンクトゥス9
12.12度のカノン
13.コントラプンクトゥス10
14.10度のカノン
15.コントラプンクトゥス11
16.コントラプンクトゥス12[正立形]
17.コントラプンクトゥス12[倒立形]
18.コントラプンクトゥス13[正立形]
19.コントラプンクトゥス13[倒立形]
20.3つの主題によるフーガ
【演奏】
トン・コープマン(チェンバロ)
ティニ・マトー (チェンバロ)
【録音】1993年
バッハ
フーガの技法 BWV 1080(2台のチェンバロによる演奏)
録音:1993年(デジタル)
『フーガの技法』は、演奏する楽器さえ指定せずに、「フーガ」という当時の作曲様式を徹底して追求した作品で、ひとつの「小宇宙」ともいうべき荘厳さを持ち、コープマンは指揮、鍵盤演奏、作曲・編曲をこなす古楽界の鬼才。当代最高のバッハ演奏家コープマンによる静かな刺激に満ちた演奏です。
筆者は昔からバッハは親しんで聴いて来たが、同曲での多数な演奏を聴き比べる余裕と時間はなく、第二の人生を迎え暇な時間に楽しめる事に感謝する次第である、後は知らない情報はネットで探しiTunesのハイレゾで楽しめる、PC(Mac)使用は早20年にもなるが、実に手軽で便利な時代に突入した事も事実であろう。今回ここに掲げたフーガの技法BWV1080の演奏も4枚もの演奏を試聴する為にこの様な比較は無理であった。当時は大卒時の初任給の10%がLPの価格で、輸入盤のLPは相当高価であった。
合奏版は賑やかになるし、独奏だと技術的に困難な部分もあり、「2台のチェンバロによる演奏」がぴったりかもしれません。コープマンは、この論理的抽象的で難解かもしれないバッハ最後の大曲を誠実で落ち着いた雰囲気で深く静かに演奏しています。
瞑想に誘われる名演です。CD2枚ものになる演奏も多いですが、このCDは1枚に収められております。ブラボー!