今日も地震がエクアドルでM7.8の地震。
日本も変わらず熊本中心に地震が続いています。
みなさまに被害が及ばないように、一刻も早く終息しますようにお祈り申し上げます。
我が家の庭にも例年のようにカキツバタが咲きました。
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル Georg Friedrich Händel
バロック後期の二大巨匠であるバッハとヘンデルが、同じドイツに、
しかも同年に生まれているという余りにも有名なことは前述したが、
よく比較されるようにその性格、音楽性さらにはその人生までもが全く異なるものであった。
バッハは有名はマタイ受難曲言うまでもない、古今の傑作であります。
フリードリッヒ・ヘンデル(Georg Friedrich Handel)である。
当時のドイツは三十年戦争によって深刻な打撃を受けており、
政治的には300もの領邦国家に分かれているという不安定な状況にあった。
イタリアでオペラを学んだヘンデルが訪れた当時のイギリスは、
2つの革命を終え市民層が台頭し始め、
国家権力の弱化に伴って宮廷音楽が衰退し、
劇場音楽へと移行している頃であった。
イギリスの持つ自由な空気はヘンデルにとって魅力的であり、
ヘンデルはオペラの創作に燃え、ロンドンに劇場を設立しその運営の中心となるなど、
音楽事業にも意欲的に取り組んだ。
イギリスでのヘンデルの活躍は順風満帆であるように思われた。
しかし対立勢力の出現、オペラ・スタッフ内部での人間関係、金銭的問題、
さらには彼が50代になる頃、聴衆がブルジョア趣味的なイタリア・オペラに飽きを感じ始め興行の失敗が続き、
華々しい活躍も長くは続かなかった。
そこでヘンデルはこのような風潮の変化に伴って、新しいスタイルの音楽を作る事に挑戦し始めた。
1741年、ヘンデルは彼の活動の本拠地であるロンドンではなく、
アイルランドの総督ウィリアム・カヴェンディッシュ(William Cavendish)から、
慈善演奏会用のオラトリオの作曲を依頼された。
ヘンデルはこの申し出を受け、以前「サウル」など過去何度か彼のためにオラトリオのテキストを書いた
友人チャールズ・ジェネンズ(Charles Jennens)に新しいテキストを依頼した。
深い聖書への理解なくしては書けない素晴らしい「救世主」の物語、
「メサイア」の台本は 当時窮地に陥っていたヘンデルの意欲をかきたてた。
ヘンデルは部屋に閉じこもり、 食事にも手をつけない日々が続き、
時として祈りと共に涙を流しながら作曲したという伝説も残っている。
かくしてオラトリオ「メサイア」は僅か24日間にして書き上げられ、
アイルランド・ダブリンの初演では大評判となった。
今回はYouTubeでボールト指揮 ロンドン響&合唱団が全曲聴くことが出来ます。
これは実に素晴らしいことです。感激しています。
第一部がキリストの降誕(予言とその成就)、
ヘンデル オラトリオ「メサイア」第1部 HWV 56 ボールト指揮 ロンドン響&合唱団
第二部は受難と贖罪、
ヘンデル オラトリオ「メサイア」第2部 HWV 56 ボールト指揮 ロンドン響&合唱団
第三部で復活と永遠の生命が讃えられてゆく、
ヘンデル オラトリオ「メサイア」第3部 HWV 56 ボールト指揮 ロンドン響&合唱団
演奏はサー・エードリアン・ボールト指揮(Adrian Cedric Boult)
ロンドン交響楽団&合唱団 特に私の好きなのは第二部です。
筆者も此のLP盤は以前購入して大切に保存しています。演奏はイングランドの演奏を選びます。
歌が英語なので全くわからないドイツ語より柔らかに聞こえます。
又J.S.バッハのマタイ受難曲も聴きますが、 ヘンデルのメサイヤが何か庶民的で聴きやすいようです。
その後「メサイア」は後にロンドンでも上演され、
低落傾向にあったヘンデルの人気を呼び戻すと共に、
オラトリオ作家としてのヘンデルの地位を不動のものにした。
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