伝統ある英国の10吋ユニットで聴く、音楽の父のJ.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

シギスヴァルト・クイケン(vn)弦楽器を聴き思い立つ、「ho's systemのLS3/5a」の改造計画を考察する。

2021年02月13日 | クラシック音楽・オーディオ


GOODMANS AXIOM 80にはA.R.U.付きの箱に入れたTANNOY10吋ⅢLZMKⅡモニター・ゴールドから響く音楽は実に耳触りも大変良く、サブのLS3/5aを聴くことが徐々に遠ざかっている。あれだけ欲しかったLS3/5aの音はこの程度なんだろうか・・?疑問がまとわりつく。今回は少し改良を試みた事を述べる。しかし普通に考えればエンクロージャーのサイズからは想像以上の音は出るのだが、後少しの重量感が欲しくなる。
無理は承知であるが、音質向上のために少しの努力をしてみることにした。



最近少し在庫の珈琲は少なくなってきた、「いつもの珈琲」を注文したが、先日到着した新しい珈琲タイトル名が「焙煎したてのコーヒー」の名前が気に入り注文した。
封を切り開けた途端にいい香りが漂う瞬間は実にまろやかな時間が立つ。どの珈琲も焙煎後直ぐに挽いて淹れる新鮮なものは一番美味いと思う。



早速手回しのコーヒーミルで弾き珈琲を淹れる。勿論ミルで挽くときの香りは最高である。漂う香りの旨さでもある。
最近入れ方もネットで調べた新しい入れ方が香りも良く、その淹れ方模写しています。

淹れたての珈琲を頂きながら少しは味も期待したが「いつもの珈琲」と比べあまり変わらない、体調もあるだろうし、普通に美味かった。ここで注意は筆者の定番の銘柄で白のパッケージの名前が「いつものコーヒー」と言ふ名前だ。



久しぶりにオームさんが語る虚構世界の狩人―私的選書(1980年)の中より「AXIOM-80」を再度読み直したが、オームさんの購入のAXIOM-80A.R.U.付を指定の箱に入れ鳴らしたがさい者は全く上手く鳴らなかったそうだ。

(その後の数年間は AX'-80 から少しでも良い音を抽き出そうという努力に終始して、そして私の直感に狂いはなくやがてAX'-80は美しい音で鳴ってくれ、私はますますこのスピーカーに惚れ込んでしまった。
そうした努力のプロセスで、一個のスピーカーをより良く鳴らすためにプレイヤーからエンクロージュアまでがどうあるべきか、そのコツのようなものをAXIOM-80は会得させてくれたし、またそうした技法にとどまらず、オーディオの、いやオーディオにさえとどまらず広く物の見方や考え方を、どれほどこのスピーカーから学ぶことができたか計りしれないが、いまはそのことに触れようとしているのではなく、たった一個のスピーカーが、一人の人間をそこまで啓発する、あるいはそこまで惚れ込ませる、その魅力、いわば《物》自体の魅力について語ってみようと思うのである。)
と語っている。



AXIOMを上手く鳴らす事に随分苦労をし、部品アンプ等を吟味し満足する音にしていった努力は大変であったんでしょう。
昔の諺に「弘法筆を択ばず」という言葉があるが、一般的には、意味は弘法大師のような書道の名人は、筆の良い悪いを問題にしないの意) と解説するが、真にその道にひいでた人は、どんな道具を使っても優れた成果を上げるものである。道具の良い悪いにこだわるのは真に腕前のある人ではないの意。と解説しているが、筆者が思うに、実は奥が深い考えもあり、筆達者の人は上手く使える筆を選ぶ事が出来、多くの筆の中より自分に有った筆を選ぶという事が出来ると解釈しています。

今回のエンクロージャーの改良は目の上がった(遠視)の方には可也難しい方法である、意外と手間のかかる仕事であることはお勧めしないが・・・

今回の改装は東芝音響事業部に所属した友人の昔の話である『そのむかし、東芝オーレックスの全盛時代、ステレオグランプリ?オーディオグランプリでしたか、そのスピーカー部門での入賞を狙い色々と手を尽くし、評論家から評価を受け、確か瀬川冬樹氏に色々言われたので、トコトン改良して行き、有響室無響室でのデータを取ったり模索の連続で吸音材に鉛の玉を埋め込むのは最終手段だったと記憶したいます。それでスピーカー部門のグランプリを取ることが出来ました。スピーカーの形状は台形型のフロア型でした。』この言葉をヒントを受け今回の改造を実行した。



其のような事を思いながら最近サブのLS3/5aの不満を考えると、これは低域の体感の不満が一番で、解決方法は大型エンクロージャー?バックロードホーン等に変更することであろう、そうなるとLS3/5aではなくなってしまう、ここで旧友(元某大手音響事業部に属していた)の語った事を思い出す。当時スピーカーの音響の事で鉛玉の活用のため吸音材に鉛玉を注入したことを教えて頂いた、筆者の仲間が大変手間のかかる方法だが確かに音質は良くなったとい言う言葉を信じ藁をも掴む心境だ。



しかし此のような事は他人が見ればなんと阿呆のようにも思われるだろうが、本人は大マジで釣具屋に買い物に走り、細かな作業を実行する、たかがこれはスピーカーの音質に変化があるかの疑問追求の事で一般の人には実に馬鹿げた話である。一般的に見れば狂人と言われると思われるであろう、其れが趣味の世界なのだと自分に言い聞かせ、これで音質に変化があれば救われるのだ。

そこで考えつく方法は釣具の噛み潰しの鉛玉である、3号程の釣り糸に10mm間隔程に噛み潰しの鉛玉を付け吸音材に詰める方法がある、実際にはこの方法では試したことは無いが、オトキチにとってはあまり金額は掛けず手間はかかるが試して見てはと、早速釣具屋に走る。
鉛の噛み潰し(300個ほど)と釣り糸3号(テグス)を購入し、LS3/5aを解体する、そして吸音材を取り出し、テグスに噛み潰しを10mm間隔で取り付ける。
このテグスに噛み潰しを付ける作業は実に手間が必要で時間がかかります。たまに目薬をつけ、目をしょぼつかせ行う作業は実に惨めな姿です。メガネも徐々に度数が上がるようです。



この作業は実に面倒で側面2枚裏蓋1枚の合計3枚分の重りを付けるのに2日間掛かってしまった、作業して思うは、音質が良くなれば良いのだがと何度も思う変わらなければ苦労だけが残る。

この鉛に関する事で思い出すのは筆者の友人で、今は亡き友人に大変は車好きの男がいた、死亡原因は偏食の塊で野菜嫌いは有名であった、彼は大型の車が好きで当時70年台の日本車は2000ccの車が最大で、当然高価な車だが乗るのはメーカーをワンランク落とし元々マツダのデイラーに務めた事はあり、比較的安価にマツダの最高機種の2000ccの車にに乗っていたが、彼曰くトヨタ車センチュリー等との違いは板金の違いで、ドアーの開け締めで音が違うと力説する、そのためドアー部分を分解し薄い鉛板を挟むと同時に運転席助手席等の床に薄い鉛板を強化したという、他にも薄い鉛板が挟める所には挟んだそうである。

結果修理後助手席に乗ったが、もちろんドアーの開け締めは、高級車のような重低音の「ドッス」と音がして密閉性が良いのか静粛感が大変優れた、運転しながら小声も勿論判別でき、室内の音響も意外と良いサウンドが聴こえた。車の運転で疲れることは室内の静粛性が肝心と言っていた。
改造費を伺うと材料費は大したことは無いが、手間賃が10日分は必要と言っていた、確かに鉛効果はある程度期待できることかも知れない。私もその後3リットルのレクサスアリストに乗っていたが確かに静粛性は抜群でエンジン音も静かで快適だった但しスピード感は無い事が特徴であった。



そのような事を思い出しながらLS3/5aの中の吸音材に切り込みを入れテグスに挟んだ鉛玉を入れ込み、LS3/5aを組み立てる。
当時オームさんの購入のAXIOM-80もこのような涙ぐましい努力と知識と折合わして徐々に美音に近づいたのかも知れない。

結果はとりあえず片側のスピーカーで確かめた見る、片側の修理だけで3日間かかってしまった。スピーカーケーブルを繋げ恐る恐る音出しをする。

勿論他の方法で音質を高める方法もあり、一番手軽な方式はパワーアンプの良質な物にとの交換が簡単だが、気に入ったアンプはとても高額で貧困老人には手は届かない、自作出来ることなら一番だが技術力は全く無いので無理である。



テストに使用は今まであまり上手く聴こえない、ヘルムート・ヴァルヒャ[1907-1991]がステレオ初期にEMIに録音したバッハのチェンバロ作品集の中よりこれらの音源は、ドイツの音響技師、エーリヒ・ティーンハウス博士[1909-1968]によって、ハンブルク=ブランケネーゼのスタジオでセッションを組んでレコーディングされたものです。

使用楽器はドイツのアンマー社が製造していたモダン・チェンバロで、澄んだ美しい音に特徴があります。ヴァルヒャの演奏は、オルガニストとしてのヴァルヒャのスタイルを想起させるもので、繰り返し現れるフレーズの形を正確に再現することによって得られる対位法的な効果を随所で感じさせますが、謹厳実直なヴァルヒャのことですから、こまかな感情移入などは一切顧みられず、結果としてゆるぎない造形構築がより際立つことにも繋がっているようです。
特にアンマー・チェンバロの美質でもある音色も聴きもので、たとえばゴルトベルク変奏曲第3変奏と第19変奏のリュート・ストップの使用は、全体の生真面目な様相に変化を与えて魅力的でもあります。



筆者のTANNOY10吋ⅢLZMKⅡモニター・ゴールドにユニットに替えて聴いたが、以前より重厚さが増して聴こえた。この改造したLS3/5aはいかに、早速アリアから鑑賞するが、今までとはあまり違いが解らない、しばらく慣らし運転のつもりで、音楽を楽しみ、翌日アンプに火を入れ再度試聴すると、なんとなく高域が若干涼やかな感じに聴こえる程度である。

暫くしてエンクロージャーに近づき聴くと、若干だがしっかりした低域が感じる音がした、でもリスニングポジションで試聴は多少の高域が心持ち良くなったように感じた程度だった。基本はあまり際立った変化はしなかった。

ここまで実行して中途パンパな感じも嫌なので、両方の改造を考えながら、弦楽器の曲を聴く・・、おや?違う、思わず乗り出す、実にリアルな演奏を感じる、勿論低音から高音まで実にリアル感のある弦楽器の音に変わったように聴こえる、LS3/5aは只者では無いのだTANNOYのお株が奪われるような鳴り方、でもTANNOYとは違うリアル感が優れているように思う。弦楽器を聴けば後3日間テグスに鉛玉を付けあと1本のエンクロージャーを改装することに勇気づけられた。

少しは期待した感じも合ったのだが肩透かしを食ったようであるが。弦楽器の音質が確かにリアル感が出たのだ、ここで筆者の好きな曲でもと思い、レオンハルト(cemb)を聴くことにした。



ドイツ・ハルモニア・ムンディ バッハ名盤撰、J.S.バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ集 (全曲) BWV.1014-1019:シギスヴァルト・クイケン(vn)/グスタフ・レオンハルト(cemb)
『J.S.バッハ: ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ集(全曲)』をじっくり味わってみる。


【曲目】
 1)ソナタ 第1番 ロ短調 BWV1014
 2)ソナタ 第3番 ホ長調 BWV1016
 3)ソナタ 第6番 ト長調 BWV1019
 4)ソナタ 第5番 ヘ短調 BWV1018
 5)ソナタ 第2番 イ長調 BWV1015
 6)ソナタ 第4番 ハ短調 BWV1017
【演奏】
シギスヴァルト・クイケン(バロック・ヴァイオリン…マッジーニ派,17世紀)
グスタフ・レオンハルト(チェンバロ…J.D.ドゥルケンのモデル[1745年アントワープ]によるマルティン・スコヴロネク製[1962年ブレーメン])
【録音】
1973年6月13日 アメロンゲン城,オランダ
ADD/STEREO/96KHz/24-bitリマスター [45:25+48:59]

録音は古いが、今までとは違った生々らしいヴァイオリンの弦音が鳴った、実に透き通って美しい独特の艶のる音色が聴こえた、此の改造は意外と良い方法かも知れない。現在昨年末に届き交換したTANNOYの10吋のテストも未だ途中だ、今回LS3/5aの改装が完了し試聴テストが終了するには随分先になるのであろう。勿論声楽、オペラ、オーケストラからJAZZまで調べる必要がある。当分楽しみが続く。



レオンハルトは歴史的チェンバロの奏法は、彼の弟子たちによって世界中に広がったのである。アラン・カーティス、アンネケ・アウテンボッシュ、クリストファー・ホグウッド、ジョン・ギボンズ、鍋島元子、トン・コープマン、ボプ・ファン・アスペレン、シェティル・ハウグサン、ロバート・ヒル、グレン・ウィルスン、スキップ・センペ、ピエール・アンタイ、リチャード・エガー、ケネス・ワイス……。そして孫弟子たち、アンドレアス・シュタイアー、クリストフ・ルセ、鈴木雅明、アリーン・ジルベライシュなど。実際に習ったことはないが、大きな影響を受けたことを公言しているトレヴァー・ピノックのような人たちを加えると、その人数は果てしなく膨らんで行く。

レオンハルトが不世出の名演奏家であったことには議論の余地がないが、「創始者」という面に着目しただけで、もし彼がいなかったら今日の古楽の世界は成立していなかったのではないかという感を強く抱かせる。その意味で、彼が、20世紀後半から今日にかけてのクラシック音楽界において、最も大きな影響力を持った音楽家の一人であったことが実感されるのである。



シギスヴァルト・クイケン(Sigiswald Kuijken)1944年、ベルギーのブリュッセル生まれ。ヴァイオリニスト。7歳のときにルネサンス音楽とその楽器を知り、弟のヴィーラントとともに独学でヴィオラ・ダ・ガンバをマスターした。ブリュージュとブリュッセルの音楽院でヴァイオリンを学んだのち、1969年から、古いヴァイオリン奏法の復活に取り組んだ。顎当てや肩当てを使わず、楽器を顎の下にはさまないで演奏するこの奏法は、多くの演奏家に影響を与えた。

ヴァイオリンとチェンバロのための6つのソナタ。「無伴奏」と区別するため通称「伴奏付き」のソナタ全曲集です。無伴奏とは別の曲で、無伴奏の影に隠れがちですが、傑作です。古楽作品バッハ作曲トリオソナタの感銘。

この曲はヴァイオリンが一声、チェンバロが一声+通奏低音の二声で、三声のポリフォニーを奏でるように作曲されているので、両者には同じくらいの音量が求められるのですが、現代ヴァイオリンとチェンバロでは、チェンバロの声部がかき消されてしまいます。そのためこの曲には、バロックヴァイオリンとチェンバロ、または現代ヴァイオリンとピアノの組み合わせが合っているのですが、これは前者の古典的な名演で、対位法的からみがよく聴き取れます。もともと鍵盤が主役の曲なので、キャリアの問題がなくてもレオンハルトが主導しているのは、ある意味当然のことといえます。



録音は70年代のアナログ録音としては悪くありませんが、チェンバロの演奏は少し古い録音だと響きの硬さが気になり、80年代以降の演奏と比べると今ひとつですが、それを補って余りある名演です。以前と比べ弦の音が良くなった感じはします、この後々少し残り作業をして完成させて再度視聴するつもりです。

これはピアノでのヴァイオリンモダンヴァイオリンで上手く演奏する演奏者を探して見ようと思います。ブラボー!

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