伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

美味しい珈琲を金谷の香豆珈琲に、デューク・エリントン:「女王組曲」の考察。

2022年10月09日 | 日記

先日イギリスのエリザベス女王が、北部スコットランドにある静養先のバルモラル城で亡くなりました。96歳でした。「エリザベス女王(Elizabeth II)」の悲報が世界を賑わした国葬が9月19日(現地時間)、ロンドンのウェストミンスター寺院で執り行われる。
英国全体が喪に服す葬儀までの流れと、一般市民の弔問等が行われ世界中が見守るなか、現地時間の9月19日、エリザベス2世女王の国葬がロンドンのウェストミンスター寺院で行われた。女王は、2021年に亡くなった夫フィリップ殿下が眠るセント・ジョージ礼拝堂に埋葬された。



筆者も大変興味深くテレビ、YouTube情報などしっかり拝見させて頂きました。今まで見たことのない厳格で荘厳なもので流石大英帝国エリザベス女王の最期にふさわしいものでした。厳格で荘厳でこれほどまでのものを見たのは初めてでした。そして現代においてまだ可能なんだなと思わされました。
英国市民の声も「彼女はイギリスのシンボルでした」「とても悲しいです。ひとつの時代の終わりですね」とこの様な声も上がっております。

戦後英国も随分文化的に変化した国であった、まず衝撃的事件でしたのがミニスカートのツイギーの登場でした。そして世界の音楽史を替えたリバプールの若者のグループ、ザ・ビートルズでした。この登場は衝撃的事件でした。ファッション会の変化、それと新しいものポップス音楽です。歴史ある国だからこそ出来る此の様な変化の要素があるようです。



2022年9月8日、イギリス女王のエリザベス2世が96歳で死去した。エリザベス女王は1952年に25歳で即位し、以来70年間、女王の地位にあった。この6月には、在位70年を記念するプラチナ・ジュビリーの式典が盛大に開催されたばかりであった。熊のパディントンと共演した女王様がハンドバックからマーマレードサンドを取り出すお茶目な姿を記憶している人も多いことだろう。9月19日には、ウェストミンスター寺院で国葬がなされ、500人を超える国家元首や高官が参列した。
現在の日本に於ける皇室ファミリーは何故か疑問が残る事を冒している様で、国民として大変心配する、誠に嘆かわしく思うは筆者でけなのであろうか・・・?
筆者も皇室の事はあまり問題にしたくないが、将来の汚点に成らなければ良いと思うのですが男系家系での次の天皇陛下は問題山積に成らないことを祈る。

我々時代の人間は当時の大英帝国には憧れと日本と同様の伝統の国の誇りも感じている人々も多く、日露戦争における当時日英同盟でロシアに勝利したとこは今も歴史は物語る。音楽も英国は欧州の中でも昔から最大の音楽最大の輸入国であった様です。昔は演奏する楽譜を輸入したと言われている。オーディオ機材も軍事物資として成長し多くのメーカーが有った様です。



その様な名残もあるのか、今だに50年前のTANNOY IIILZMonitor Goldユニットを後生大事に取り扱っているのかも知れない。
そして最近は10月になりめっきり涼しく過ごしやすい季節になりましたが、頻繁に台風の影響で風雨が多く些か何処も出かけられない、友人から電話が入り一度プチ遠出した香豆珈琲( kou's coffee)に行かないかとのお誘いがあり昨日まで雨が降っていたが、雨も上がりドライブ日和となりモジャ君と早朝の散歩モア割軽めの朝食を取り早速出かけます。

途中車の中での楽しみに一枚のCDを選びました。アルバム名Duke Ellington / The Ellington Suitesk日本語訳「女王組曲」を聴きながら堕かけました。と此処が筆者の乗っている車は音響装置は大変お粗末でただ音が出ている程度の物ですがが我慢しながら聴き続けると不思議なことに音が頭の中で変換し想像して何度か聴ける音に変化する、自宅で聴く10吋のIIILZMonitor Goldユーユニットに置き換わるとい塩梅ですかね・・・?
穴川付近の高速は渋滞していましたが、其処を通過すれば後はスムースに走る。途中一度小休止して休憩をとる。



目の前に海が広がる、昨日の雨でやや濁りでしたは、正面に見える富士のシルエットが見える。富士の見える日は海が波けがあると言われているそうです。

この時期からは始まる館山方面での肝パンのカワハギ釣りにはアサリの剥き身を支度して良く通いました。



肉眼では片別できないが、ファインダー越しに風景を見るとすっかり秋めいて木々の葉の色は秋色に染まり出してる事がわかる。あと少しで金谷である自宅から70キロ弱である。



すっかり秋色の気配、今後海水も徐々に冷たくなっていくのであろう。



ドライブインを後にして少し走ると金谷のフェリー乗り場が見える、この先に香豆珈琲の駐車場に到着する。



車を止め駐車場から徒歩1分ほどでお店に到着。営業案内告知。



入れ口付近アンテークの入り口も風情があり、写真を収める。



お店に入るとマスターのおで向い、友人も勿論、珈琲は飲み終わっていたが・・・、筆者も早速美味しいコーヒーを注文する、お客様は略満席である。

高速道路での便が良くなり東京、神奈川のお客様も多いそうです。



ここでのお店のお水は大変美味しく、この水から淹れる珈琲の旨さの秘密でもあろう、隣には水抽出による珈琲もセットされいた。



このお店の壁面は意外と不思議な感じが滲み出て好きなった壁面である。多分一度グレーの壁材を塗り城の漆喰で不均一に仕上げアンテーク調にした感じの仕上げです。



お気にいる壁の撮影をしたが筆者にはナイスショットで有った。1時間程雑談をしマスターの珈琲の淹れ方は見ているだけでも大変参考になる。



今日は簡単いお湯の温度が測れる温度計を教えていただく。唯ケットルの蓋に穴えお開ける事は大変でしたと、話していただく。

そうして付近お散策と近くのお蕎麦屋さんを教えていただく。早速散策の開始である・



徒歩5分程で内房線「浜金谷」駅があり、この駅は鋸山登山口と繋がっているため週末の乗降客が意外と多いそうである、如何にも鄙びて風情が伝わってくます。駅員さんに許可をいただき中を見させていただく、プラットフォームも全く昭和の世界が現れ、日本は変わらない国に安心感さえ感じてしまった。



国道を走っていては見つからない意外と風情のある街並みが続く、駅知近くのあるのがおそば屋さんである、店構えからは想像できない、和蕎麦屋さんである、友人は何時も此処の蕎麦屋さんを利用するという、勿論手打ちそばである。
店舗名は「SOBA&COFFFE」と言う名前らしい。



メニューより早速ここ迄きたのですので金谷名物の「かじめそば」を注文した、この「かじめ」もネバネバ海藻の一つなんです。



見た目より食感はツルッとしたノゾ越しが良く、そばと一緒に頂く蕎麦昼食は満足でした。
「かじめ」は「とろろめ」や「サガラメ」などと呼ばれいる海藻です。味噌汁に入れても大変美味しくいただけます、筆者は「とろろめ」風に白米に混ぜて食べるのも大好きです。美味しく「かじめそば」を頂き散策は続き、次は表の国道を横切り金谷漁港です。



徒歩5分ほどで到着です。連休中でテントを張り水辺で遊ぶ若者もいたりする、そして車を止めた駐車場に戻ります。



駐車場近くに鋸山ハイキングコースに沿ったところで神社を見つけ、参拝をして、夕方は交通渋滞が始まるので14時30分頃友人と別れ、帰路につきました、此の時間から帰路に着くと渋滞もなくスムースに自宅まで到着した。

帰り次第写真を現像しながら、早速Duke Ellington / 「女王組曲」を口直しに聴き直す、この曲は是非ダブルプッシュのラックスA-3500パワーアンプとIIILZMonitor Goldユーユニットで聴くが真空管アンプの仕様でより自然な演奏が楽しめる様に思う、一般的に優しい音なんで言われる方もおられる様ですが筆者が感じるのがより透明感が優れて演奏がより一層楽しめる様に思う、確かに一度真空管で聴くと手放せな点は大きいです。

「なぜ真空管を使うのか?」「一体、魅力とは何なのか?一度でも真面目に掘り下げたい議題でもあるが、筆者自身技術的に詳しくないので割愛させていただいてますが、肝心の音の魅力についてが一番気になるところですよね。再生帯域幅など、数値上でみれば明らかに最新の技術を使ったモデルのほうが性能が良い。
なのになぜあえて古典的な真空管のオーディオを使う人がいるのか?一般的によく言われるのが「無機質さのない人間らしい音楽性」「ぬくもり」を感じるのが真空管の魅力といえます。石のアンプから真空管アンプに変更した瞬時に思ったのが何故が懐かしい音が聴こえ思わず筆者の顔が綻んだ時を思いだす。
これは実際に聞き比べてもらわないと伝わりにくいのですが、角の立ためず、耳にスッと入ってくる音は他に変えがたいものがあります。
刺激的なファンファーレもジャズの要素が折り込まれ、エリントンらしいジャズ模様の王女に捧げた音楽性は流石である。



詳しく調べてみますと、次のように記事があります。1958 年、ヨークシャーの芸術祭で、デューク・エリントンがエリザベス 2 世女王に贈呈されました。彼らは王室の歓待を交換しながら、数分間レセプションラインを縛りました。私たちの公爵は女王陛下と丁寧に対談したそうです。その後まもなく、おそらくその夜、エリントンはクイーンズスイートの動きを概説しました. 彼は翌年、オーケストラと一緒にそれを録音し、女王陛下に送り、生前に公開することを断りました。エリザベス女王がそれを聞いたかどうかは明らかではありません。



エリントンは女王の組曲に特別な注意を払い、最終的に彼のオリジナルのスケッチに忠実になりました。その 6 つのエピソードは、彼の旅で遭遇した自然現象に触発されました。カナダの道端、そしてオハイオ川沿いのウシガエルの合唱を伴う何百ものイナゴマメのバレエ。エリントンの分身であるウィリアム・トーマス・ビリー・ストレイホーンは、アメリカ合衆国のジャズピアノ奏者はその夜そこにいませんでしたが、エリントンの説明から「稲妻虫とカエル」を作曲しました。勿論スタンダードナンバーの『A列車で行こう』の作曲者であり、 デューク・エリントンとの共同作業がよく知られている。



デューク・エリントンがビリー・ストレイホーンと一緒に書いた組曲は、ゆるやかに結びついていることがありました。クイーンズ スイートは、クラリネットの顕著な使用によって統一されており、その木質が自然のテーマを強化しています。エリントンは、「類人猿と孔雀」という楽章を通じて、それを彼の王室の主題に結び付けています。これらは、聖書のソロモン王に贈られた毎年恒例の賛辞の 1 つでした。君主の喜びのために提示された自然の驚異です。The Ellington Suites の新版に掲載されており、そのうちの 3 つが掲載されています。
Goutelas Suiteは、Strayhorn が亡くなった後の 1971 年に録音されました。それは、エリントンが数年前に参加した式典を記念したもので、復元された中世のシャトーの翼がフランスの丘で除幕されました。エリントンは日記の中で、田舎の貴族と庶民、つまり知識人、職人と労働者、カトリック教徒と共産主義者がすべてこのプロジェクトに団結した方法について温かく書いています。エリントンのオーケストラのコンセプトは、子供の頃に DC のビリヤード ホールでぶらぶらして学んだ、「すべてのレベルが混ざり合う可能性があり、また混ざり合うべきである」という同様の考えに基づいていました。



アルバムThe Ellington Suitesには、ウィスコンシン大学のフェスティバルのために作曲された1972 年の Uwis Suiteも含まれています。エリントンの斬新なポルカ「クロップ」で最もよく覚えられています。しかし、エリントンが録音した多くの電車の歌の最後である「ロコモディ」も含まれています。これは、1924 年の彼の最初のセッションから始まった伝統です。新しい編集により、フェードアウトまであと 3 分あります。スイートの一部ではありませんが、Uwis セッションから未発表の曲もあります。「The Kiss」は「Loco Madi」と同様に、リズム セクションにエレクトリック ベースが追加されています。それらのパフォーマンスはどちらも、アンサンブルの洗練のモデルではありません。しかし、すべてが女王のスイートであるとは限りませんが、死後のエリントンはすべて興味深いものです。
Duke Ellington / The Ellington Suites
「女王組曲」(1-6)、「グーテラス組曲」(7-12)、「ユーウィス組曲」(13-15)が集められたアルバム。とくに「女王組曲」は1958年エリザベス女王に謁見したエリントンがその感激から帰国後に全て自費で録音し、たった1枚だけをプレスして女王に献上した作品。
その後何度も発売の話が持ち込まれたがエリントンは最後まで承諾せず、没後2年経って発売されたもの。


パーソネル
 Duke Ellington (piano)
 Clark Terry, Cat Anderson, Shorty Baker, Ray Nance (trumpet)
 Britt Woodman,Quentin JacksonJohn Sanders (trombone)
 Johnny Hodges (alto sax)
 Jimmy Woode (bass)
 Jimmy Johnson (drums)...etc
曲目
 1. The Queen's Suite: Sunset And The Mocking Bird  <女王組曲> サンセット・アンド・ザ・モッキング・バード
 2. The Queen's Suite: Lightning Bugs And Frogs  <女王組曲> ライトニング・バグス・アンド・フロッグス
 3. The Queen's Suite: Le Sucrier Velours  <女王組曲> ル・スクリエール・ヴェルール
 4. The Queen's Suite: Northern Lights  <女王組曲> ノーザン・ライツ
 5. The Queen's Suite: The Single Petal Of A Rose  <女王組曲> ザ・シングル・ペタル・オブ・ア・ローズ
 6. The Queen's Suite: Apes And Peacocks  <女王組曲> エイプス・アンド・ピーコックス
 8. The Goutelas Suite: Goutelas  <グーテラス組曲> グーテラス
 9. The Goutelas Suite: Get-With-Itness  <グーテラス組曲> ゲット・ウィズ・イットネス
 10. The Goutelas Suite: Something  <グーテラス組曲> サムシング
 11. The Goutelas Suite: Having At It  <グーテラス組曲> ハヴィング・アット・イット
 12. The Goutelas Suite: Fanfare  <グーテラス組曲> ファンファーレ
 13. The Uwis Suite: Uwis  <ユーウィス組曲> ユーウィス
 14. The Uwis Suite: Klop  <ユーウィス組曲> クロップ
 15. The Uwis Suite: Loco Madi  <ユーウィス組曲> ロコ・マディ

エドワード・ケネディ・エリントンは、1899年4月29日、昭和天皇に2歳先んじてワシントンD.C.に生まれている。ホワイトハウスの黒人執事だったという黒人上層階級に属するエリントンの家庭環境は、“Duke”というあだ名が示しているような雰囲気を持っていたのだろう。

デュークは、7歳でピアノをはじめ10代に入ると作曲に取り組んでいる。そして、ほかの多くのミュージシャンと同じ、18歳で音楽を目指して学校を辞めている。ワシントンD.C.周辺で演奏を続けていたデュークは1923年、ニューヨークを目指して上京。当時、「ハリウッド・クラブ」と呼ばれたジャズクラブを根城に演奏を始めている。
1927年、「コットンクラブ」と契約を結び、安定した状況でバンドの音楽的な進化を進めていった。1931年2月にはここを辞して、死ぬまで続くことになるバンドツアーへと歩みを進めている。恐慌期を乗り切ったデュークは順調にバンドの発展を続け、アイヴィー・アンダーソンをフィーチャーしたテーマ曲“スイングしなけりゃ意味ないね”のヒットを飛ばす。長年の盟友であり、優れた作曲家、そして、デュークの最大の理解者であるBilly Strayhorに続き、不世出の天才ベース、Jimmy Blanton、テナーの最初のスター、Ben Websterが続いて入団。ここにデューク・エリントン楽団は最初のピークを迎えた。

Cootie Williams、Johnny Hodges、Harry Carney、ら綺羅星のようなメンバーが揃って1940年代にはデュークの理想のバンドが完成する。しかし、戦争が終わり「スイングの時代」が終焉、ビッグバンドは、経営難に陥っていった。
そして、1956年、ニューポート・ジャズフェスティバルに現れたデュークは、モダンに進化したエリントン・サウンドで観客を魅了した。その後、60年代は『Anatomy of a Murder』『Paris Blues』といった映画音楽や、 Frank Sinara との共演作品、さらに世界各国をツアーをしながら作った『極東組曲』といったアルバムによってエリントン・サウンドの表現領域を拡大していった。



そうした中、英国のエリザベス女王に捧げられ、後に『Ellington Suite』としてリリースされたのが『Royal Suite』だった。1973年1月8日に録音された、Joe Pass、 Ray Brown、 Louis Bellsonとの『Duke's Big Four』は最後期のエリントンの姿を捉えた作品。
こうして50年にわたってジャズ界を引っ張ってきた偉大なる存在、Edward Kennedy Ellingtonは、1974年5月24日、ニューヨークで永眠した。

じっくり「女王組曲」を聴きエリントンが演奏した曲でのエリザベス女王との偉大さ、その影響は、ジャズ音楽をはるかに超えてすべての音楽ジャンル、そして、アルヴィン・エイリーをはじめ多くの舞踏団、さらにクラシック界にも及ぶ。
音楽ってジャンルで分けらた世界でなく全て平和な世界が続くために神により造られた世界の様な気になってます、ブラボー!

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