よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

JR採銅所駅開業100周年記念ウオーク(福岡県田川郡香春町)

2015-11-27 16:14:00 | JR九州ウオーキング

11/21(土)は、今年、開業100周年を迎えた日田彦山線「JR採銅所駅」を歩くウオーキングに参加しました。

スタートは、JR香春駅。駅からは、五木寛之さんの小説「青春の門」に出てくる筑豊のシンボル「香春岳」が見えています。

出版された時と比べ、山の形もだいぶん変わったのではないでしょうか?

   

駅前では、鉄道グッツが販売されていました。「やまぐち号」のプレートは、4万円です。

  

道の駅「香春」で休憩。

   

ウオーキングコースの横を日田彦山線が通っています。途中には撮り鉄の方がいらっしゃいます。ここのアングルがいいのでしょうか?

  

先に行きますと「60尺鉄橋」(正式名:第2金辺川橋梁)があります。

現在の日田彦山線、「小倉~添田」は、大部分の区間が私鉄の小倉鉄道が大正4年(1915年)に開業しました。この区間の最大の難所が金辺峠を貫く1,4kmの金辺トンネルと

金辺川を跨ぐ第2金辺川橋梁です。この鉄橋は、高さ、更には中央の橋脚の両端である空間が約18mの為、地元では通称「60尺の鉄橋で親しまれています。

アーチ橋の曲線に対し、第2金辺川橋梁は、直線美とともに中世ヨーロッパの城壁を思わせる石積み構造が鉄道建築物として高く評価されています。

  

  

香春町採銅所の町に入ってきました。私、採銅所という名は、ハルさんが歌っていた「筑豊の子守唄」の中で初めて聞きました。

遠賀河原で 英彦山見えるよ  採銅所から香春町  ホタル追いかけ遊んだね  そうくさ そうばい そうやろが・・・・・・ 

採銅所とは、昔、この地で銅が採れたことからそれが地名になっています。昔は、この一帯に「間歩(まぶ)」と呼ばれる銅山の坑口がありました。

間歩の中でも神間歩(かみまぶ)は、

説明文によると、香春町採銅所は、金、銅、鉛鉱などの採掘や製錬地で、官営の機関「採銅使」が置かれた所である。

奈良時代、清祀殿と「神間歩(蟹間覆ともいう)」は、銅を精錬し宇佐八幡宮へ御神鏡鋳造、奉納した所縁の地であると「古宮八幡宮御鎮座伝記」などに記されている。

それらによると、清祀殿での御神鏡鋳造に先立ち、香春岳を御神体とした「お山開き」の祭事が行われ、古宮八幡宮の神官が、山ノ神に御神酒を供え、幣帛、祝詞を捧げ、

次に摩覆の口に注連を曳き、御幣八本を立て、散米、榊葉を供え、禊を修めてそれから金銅を掘っていたということである。

「神間歩」は、その深さ、鉱壁、位置、掘り出された坑口、石塊、付近の構造等合わせて考える時、神事を行った場所と推察される。

奥壁には、祭壇らしきものがあり、千二百数十年を経た今日でも「神」をとって「神間歩」と呼称されている。

尚、神間歩の上部にも銅を掘った間歩(坑口)が数か所ある。更に三の岳周辺には、古宮、横鶴、水晶、床屋、宗丹、ズリネなど金、銅鉱山跡が多く点在している。

  

清祀殿(せいしでん)

宇佐八幡宮へ送った御神鏡を実際に鋳造した場所が清祀殿跡だと考えられています。

拝殿風の建物(写真)の屋根は板葺で、九尺間を一間とする三間四方。土間の中央には鍛冶床があった。この建物の後ろには祠と花崗岩の石柱が3基あり、

この石柱に完成した神鏡を安置していたと思われます。1956年に福岡県の文化財(史跡)に指定されました。

 

 

古宮八幡宮

 

香春岳で産出する銅を宇佐神宮の御神体(銅鏡)として奉納していたことが縁となり、同神宮の御祭神であった応神天皇、神功皇后の神霊を勧請したことに始まるとされます。

 

祭神としては豊比売命も共に祀られていますが、豊比売命は近くに在る香春神社例祭の時には香春神社へ下向し、例祭が終わると再び古宮八幡宮に戻る。

  

町の中を歩いていると玄関先に飾り物?が付けられています。何だろう

近くの人に聞くと、これは、神幸祭での幟の一部で家内安全のために付けられているそうです。

採銅所駅に着きました。

  

大正4年(1915年)開業。駅舎はモダンな洋風の装飾がほどこされています。採銅所駅は山から切り出した石灰石やセメントの原料を運び出す貨物輸送の拠点として栄えていましたが、

物流の主役が車へと移ったため貨物の取り扱いは廃止、昭和55年に無人駅になりました。

今日は、開業100周年記念のイベントが行われています。日頃は、無人駅ですが、この日は、沢山の方が来られています。

  

  

模擬店では、手打ちそばが300円で売られていましたので、いただきました。美味しかったです。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


麻生「大浦荘」~NHK朝ドラ「あさが来た」に出てくる九州の炭鉱

2015-11-25 06:19:05 | JR九州ウオーキング

11/23は、JR九州ウオーキングで「麻生大浦荘」に行ってきました。

JR天道(てんとう)駅を出発。麻生大浦荘まで約9kmを歩きます。

途中、民家の庭先で見つけた「含羞草(おじぎそう)」。1本の木から、白と赤の花が咲いていました。ねむの木によく似ていますね。

  

約1時間半で「麻生大浦荘」に到着。大浦荘は、「筑豊御三家」の一つに数えられた麻生家の別邸です。
和風入母屋書院造の邸宅は大正末期に建てられました。春と秋に一般公開されています。

ここの紅葉は、見事なんですが、今年の九州の紅葉は、やはり暖かいせいでしょうか、寒暖の差がなく色づきが悪いですね。

  

   

下記は、2012年の同時期に行った「麻生大浦荘紅葉」のデジブックです。この時は、きれいでした。クリックしてご覧ください。

 

http://www.digibook.net/d/5395adb3909fa418ac68cd1236bb1b0e/?viewerMode=fullWindow

 

JR九州ウオーキングのコースは、ここまで。

早々と大浦荘を後にし、飯塚歴史資料館に行きました。ここでは、NHK朝ドラ「あさが来た」の主人公「広岡浅子と明治時代の筑豊炭鉱」の企画展が開かれています。

残念ながら、館内は、撮影禁止でした。

  

広岡浅子(ドラマでは、白岡あさ)は、京都・出水三井家の出身で、大阪の豪商・加島屋に嫁ぎ家業を立て直し、筑豊の炭鉱経営を経て、日本女子大学の創設に尽力し、大同生命の設立に携わりました。

江戸時代末期・明治・大正の激動の時代を駆け抜けた浅子の生涯の中で強烈に印象付けるものは、筑豊の炭鉱・潤野炭鉱(ドラマでは、加野炭鉱)とのかかわりです。

明治19年(1886年)に夫の広岡信五郎(ドラマでは、白岡新次郎)は、福岡県穂波郡潤野村(現 福岡県飯塚市潤野)にあった潤野(うるの)炭鉱(ドラマでは、蔵野炭鉱)を買収し炭鉱主となりました。

潤野炭鉱は、明治16年に帆足義方が採掘を始めていた炭鉱でした。

明治初期の筑豊炭鉱は、江戸時代の福岡藩の統制がなくなり、一攫千金を夢見る旧藩士や農民、村役人たちが手がけました。その後国の政策と指導により大手資本が進出し、出炭量は増大し全国有数の

産炭地となりました。然し、当時は、新興産業で小炭鉱の多い筑豊は、群雄割拠の状態でした。明治10年(1877年)代には、600余りの炭鉱がありました。

その後、機械化が進み、大規模化する採掘には豊富な資金が必要でした。大阪や東京にも出資者を求め、浅子もそんな時代の流れに沿って筑豊飯塚の潤野炭鉱にやってきました。(以上飯塚歴史資料館の資料より)

    

さて、潤野炭鉱は、どこにあったのか、資料館の人に聞くと、現在の福岡県立嘉穂高校の敷地にあったそうです。

車を走らせ、嘉穂高校へ。

   

嘉穂高校弓道場近くに浅子の炭鉱の立坑があったそうですが、学校の敷地内ですし、許可をもらっていませんので外からの撮影です。

正門の前の墓地には、明治36年(1903年)死者64人を出した爆発事故があった慰霊碑がありました。浅子は、明治32年にこの潤野炭鉱を売却していました。

                     

飯塚には、昨年上半期の朝ドラ「花子とアン」にでてきた「伊藤伝右衛門邸」もありますし、朝ドラブームの再来ですね。

 

 

 


城下町熊本・みずあかりナイトウォーク(熊本市)

2015-10-11 19:28:24 | JR九州ウオーキング

10/10(土) JR九州ウオーキング。

まだまだ膝の状態が万全ではないため、今日は、平坦なコース、しかも"~3時ごろから出発できる「城下町熊本散策とみずあかりウォーク」にしました。

博多を14:30に出発し、熊本駅には、16:35に到着しました。今日と明日は、「熊本みずあかり」駅前でも出店があり、多くの方が来られていました。

  

コースは、白川に掛かる橋沿いに歩きます。私、熊本には、もう何十回も来ていますが、白川沿いに歩くのは、初めてです。

白川に掛かる橋は、昔からの橋が多く、散策する価値もあります。

白川橋は、昭和35年築造。

  

泰平橋は、白川橋と同じ昭和35年の築造。形も白川橋に似ていますね。橋を見ると文字が消えていますが、「汽車制・・・・・・・」と読むことができます。

この橋に汽車かなんか走っていたのでしょうか?昔は、泰平橋という電停があったそうですが・・・・・・・

  

続いては、「長六橋」です。慶長6年(1601年)にできたから「長六橋」と命名されたそうです。現在の橋は、平成2年にできたものです。

長六橋は白川に架かる橋で、河原町と迎町とを結ぶ国道3号線の橋であり熊本市内で一番交通量の多い橋です。

 橋には左右2体づつ、合計4体の裸婦像があります。明治10年の西南戦争のときは、この橋を渡り薩摩軍が進撃してきました。

 

  

私は20代の頃、熊本に約半年間住んだことがあります。熊本市街地に行くときには、この白川沿いにピンク色した屋台がありました。

地元の方から行かない方がいいと言われていましたので1回も行ってませんが、あれから約40年・・・・・・その屋台は、形が無くなっていました。

辛島公園では、熊本県内の食を集めた「大にぎわい市」が行われていました。

この地には、熊本交通センター、元県民百貨店がありますが、再開発計画があり、2018年春には、ホテルを含めた一大プロジェクトが完成するそうです。

 

みずあかり」会場に来ました。熊本の著名人により願い事を書いた竹灯籠に灯りをともしています。

 

   

道路は、歩行者道路になり、スタッフの方が一生懸命準備されています。

  

  

熊本城にかかる坪井川では、スタッフの方が川に入り、準備中です。

 

18時を過ぎ、だんだん暗くなってきました。

  

今日は、熊本城もライトアップされていますので、熊本城に行ってみます。

  

熊本城のライトアップは、初めてですが、素晴らしいですね。

  

  

暗くなってきましたので、メイン会場に行きます。

 

  

  

熊本のみずあかりは、初めてでしたが、幻想的な雰囲気が何ともいえません。大満足です。

 

 

 

 

 

 


糸島泉川沿いを歩く(福岡県糸島市)

2015-09-29 17:07:57 | JR九州ウオーキング

9/27は、JR九州ウオーキングで糸島・泉川沿いを歩きました。

8:40 筑前前原駅をスタート。糸島市役所庁舎には、糸島のゆるキャラ「イトゴン」が描かれています。

糸島半島は、地図を見ると恐竜みたいな形をしているので、「イトゴン」というゆるキャラが誕生したそうです。

   

「荻浦古墳」に着きました。荻浦古墳は、初めてです。6世紀中ほどの古墳だそうです。

この一帯は、旧唐津街道沿いにあり、この先には、加布里「釜塚古墳」、一貴山「銚子塚古墳」があります。昔は、街道沿いに集落があったのですね。

  

荻浦には、境界石があります。江戸時代、糸島は、福岡領、中津領、対馬領、幕府領などに分割されていました。

荻浦の多久川から西が中津領、深江から西側が対馬領となっていました。幕府領は、香力など雷山地区でした。

  

 雷山川下流の「泉川」に来ました。泉川沿いは、春は、「桜」、夏は「はまぼう」、秋は、「彼岸花」と四季折々の花が咲いています。

今は、彼岸花です。よく見ると桜の花びらが数輪咲いています。この時期は、春の気候と同じで桜も間違えて花を開いたのではないかな???

 

 

病院近くの所には、初夏、きれいに咲いていたねむの木が実を付けていました。その横には、水面に菱が・・・・・・・

こんな身近な所にも菱があるのですね。桶みたいな船に乗って収穫されるのかな?

  

今日のコースは7km。ゴール近くの前原商店街に入ってきました。

今日は、日曜日で軽トラ市が開催されています。野菜なんかずいぶん安く売られています。

近くでアナウンスしている声が聞こえましたのでそちらに行くと、なんと糸島PR隊の「ラビッツ」です。

皆さん、高校生ぐらいかな?可愛いですね。糸島市内の各イベントに参加され糸島を盛り上げているそうです。

 

10:20 ゴールの筑前前原駅に到着。

今日は、昼からソフトボールの試合がありますのですぐ帰りました。

 

 

 

 


見返りの滝のアジサイ2015(佐賀県唐津市相知町)

2015-06-16 12:21:17 | JR九州ウオーキング

今年もJR九州ウオーキングで「見返りの滝」に行ってきました。

これで4年連続の参加です。

8:20JR相知駅をスタート。

 

途中で佐賀ミカンジュースをいただきました。

  

  

美化協力金200円を払い、滝へ向かいます。途中、川辺にもたくさんのアジサイが咲いています。

 坂道を登り、あじさい橋に着きました。ここからの滝とアジサイが撮影ポイントです。

  

  

     

見返りの滝は、日本の滝百選に選ばれています。前日の雨で水量も増し、滝つぼでマイナスイオンをたっぷり浴びました。

10:35ゴールのJR相知駅に到着。今日のウオーキングの距離は、10kmでした。

 

 


パン博へウオーキング(福岡県川崎町)

2015-05-28 16:10:53 | JR九州ウオーキング

5/24(日)JR九州ウオーキングで「川崎パン博ウオーキング」に参加しました。

  

集合場所は、日田彦山線「西添田駅」。8:30到着の列車は、満員状態。皆さん、この西添田駅で下車されます。

  

   

中元寺川沿いの田園地帯を眺めながら、魚楽園までの「雪舟ロード」を歩きます。室町時代に僧侶であり水墨画家として活躍した雪舟が、田川郡に一時滞在していた際に「魚楽園」を築庭したといわれており、

国の名勝にも指定されています。雪舟ロードは、1988年(昭和63年)9月に廃止になったJR上山田線の跡地を歩行者道にしたものです。

※「旧上山田線」・・・・・・石炭輸送を主な業務とし、その合間で旅客輸送を行っていた。明治28年に飯塚駅から臼井駅までが開業、同36年に上山田駅まで繋がった。
その後昭和41年に、周防灘沿岸の苅田(かんだ)港まで延伸させる計画の一環として、現在のJR日田彦山線・豊前川崎駅まで延ばされ、全長25.9kmとなったが、
その頃には石炭需要は衰退し、苅田港までの延伸は不要となって、結局、豊前川崎駅が終点となってしまった。
その後は他のローカル線の例と同じく赤字が続き、昭和63年、とうとう廃止された。  

   

  

約1時間ほどで、「魚楽園」に到着。この庭園は、僧雪舟が、天然の山を利用し、池を掘り石を畳み水を引き、枯淡愛すべき庭園です。

「魚楽園」という名は、詩経の「魚楽しければ人又楽し、人楽しければ魚又楽し」というのから命名したそうです。

 

   

この魚楽園には、周りにモミジが植えられており、秋の紅葉シーズンは、素晴らしい光景でしょうね。

魚楽園を後に、再び雪舟ロードを戻って行きます。途中、旧上山田線「真崎駅」跡の碑がありました。その隣には、川崎町産直販売店「De・愛」があります。

  

これから今日のメインイベント「パン博」に向かいます。10:00オープンですので今から行けば、11時前には、着きそうです。

自然と急ぎ足になりました。11時川崎町役場にある「パン博」会場に着きました。見ると、入場制限が行われており、私たちの前には、約200人の方が並ばれています。

係りの方にどのくらい待てば入れるかと尋ねますが、「わからない」とのこと。おまけに今日はいい天気で気温も30度近くありそうです。

10分ぐらい並んでいましたが、一向に進まず、あきらめてゴールの豊前川崎駅に向かいました。

  

折角美味しいパンが食べられるなと期待してましたが、残念です。当日は、25,000人ぐらいの方が詰めかけたそうです。

なお、このパン博、6/1~3まで規模は小さくなりますが、博多駅9階でも行われるそうです。そちらの方に行ってみるつもりです。

今日のGPSです。帰り際、道の駅に立ち寄り、「石炭ソフト」をいただきました。チョコと竹炭で石炭の「黒」を現しています。

 

  

 

 

 


杵築お城まつり(大分県杵築市)

2015-05-08 12:32:06 | JR九州ウオーキング

5/4 (祝)は、JR九州ウオーキングで大分県杵築(きつき)市「お城まつり」に行ってきました。

7:36博多発特急「にちりん」で杵築駅へ。杵築着9:36.

元来、この地は大友氏の一族である木付(きつき)氏が領していた。しかし、文禄2年(1593年)、大友義統が豊臣秀吉の勘気に触れ除封となると木付氏も同時に滅びた。後に、杉原長房、早川長政が入封し、

次いで細川忠興が慶長4年(1599年)、丹後国宮津12万石に加えこの地(6万石)を領有し、松井康之、有吉立行などを杵築城代として統治させた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの戦功により、

豊前一国を加増された忠興は本拠を中津城に定め、木付と呼ばれたこの地も領地の一部となった。細川家は藩庁を小倉城に移し小倉藩となるが、寛永9年(1632年)、忠興の子忠利が熊本藩に転封となる。

小倉には小笠原忠真が封じられ、木付には、忠真の弟で旗本の小笠原忠知が4万石の大名に取り立てられ入封。ここに木付藩が成立した。

正保2年(1645年)、忠知は三河国吉田藩に転封となり、代わって松平英親が3万2千石にて豊後国高田藩より移封され、明治維新までこの地を領した。平地の少ない領地であったため、

新田開発や工芸作物、特に藺草(いぐさ)の栽培を奨励した。新田開発においては三河より100余人の農民を呼び、俗に「三河新田」と呼ばれる農地を開墾した。

3代重休の正徳2年(1712年)、幕府より与えられた朱印状において「木付」が「杵築」と書き誤っていた。そこで、幕府に伺いを立てた上、この地を杵築と表記するようになった。 (wikipediaより引用)

誤字だと気づいても幕府には逆らえなかったのでしょうね。 余談ですが、広島の安芸も昔は「阿岐」と呼ばれていたそうです。

  

この日は、杵築の「お城まつり」。ウオーキング受付にも着物姿のJR女性社員の方が見られました。

  

中野酒造は、明治7年(1874年)創業。お酒の名は、「智恵美人」。創業当時の女将さんの名前から命名したそうです。

「紅茶梅酒」というのがありましたのでそれを購入。かぼす焼酎で割ると飲みやすいということでそれも購入。駅まで配達してくれるそうです。ありがたいですね。

  

杵築の城下町は、サンドイッチ型城下町と呼ばれています。杵築城を中心として南北の高台に武家屋敷、その谷あいに老舗が残る商人の町。

そんな武士が商人を挟んで暮らした凸凹のあるサンドイッチ型城下町は、日本唯一と言われています。

   

 

 

鏝絵とは、明治、大正、昭和の初期頃まで諸負、普請の最後は、左官の仕上げで工事は、完了したものです。左官は、お礼の意を表すために白壁に鏝一本でその家が栄えるようにと願いを込めて

縁起物の絵を描いたものです。

卯建(うだつ)とは、遠くから見ると兎が立っているように見えることから卯建と呼ばれている。本来は、隣家との防火壁の役目をしているもので、家の軒先の左右に建てたもので

一種の装飾的な意味もあったと思われます。

 

   

  

  

酢屋の坂の上では、火縄銃の実演が行われていました。火打石から火をおこし、それを縄に着けていきます。

  

  

  

 

大名行列は、12時から行われますが、現在11時前、時間がありますので杵築駅まで歩いて帰ります。その時向こうから、はなまりんさんご夫妻と対面。

この少し前、はなまりんさんは、今日は、海ノ中道に行かれているのでは?と家内と話していたところでした。短い時間でしたが、来月の札幌遠征について打ち合わせをしました。

12:15杵築駅にゴール。

そのあと、昼食を食べようと4/23にオープンした大分駅アミューズプラザに行きましたが、GW期間中とあって、駅の中は、人、人、人・・・・・・・・

食事する所も行列が続いており、パニック状態です。

それにしても大分駅前は、変わりました。

 

 

 

 

 


うきは市「なんじゃもんじゃ通り」(福岡県うきは市)

2015-05-05 16:46:53 | JR九州ウオーキング

GWは、JR九州ウオーキングを満喫しています。

5/2は、うきは市、筑後吉井駅~うきは駅まで歩きました。

  

吉井の町は、もう何度も来ていますので大体の道は、わかっています。国道沿いの川には、鯉のぼりが元気よく泳いでいます。旧家の町並みにも鯉のぼりがつけられています。

  

吉井小学校横の川には、小学生手作りの鯉のぼりが泳いでいます。町並みに鯉のぼりがよく似合っています。

  

田園地帯に入ると、出番を待っているがごとく、巨峰の小さな実が迎えてくれます。もう2カ月~3か月もすれば、甘くておいしい巨峰がいただけますね。

  

県道151号線から流川に入った所に、「なんじゃもんじゃ通り」があります。15年ほど前、この通りが整備された際に植えられたもので、400mの間に4~5mほどの「なんじゃもんじゃ(ヒトツバタゴ)」が

52本あります。係りの方に聞きますと満開が4/29だったそうで、この日は、もう散りかけていました。

   

  

流川沿いを歩いていると右側にたくさんの鳥居が見えます。92個ぐらいあるでしょうか、「うきは稲荷神社」です。

  

一の瀬焼き」では、春の陶器市が開かれていました。

今から400年前、豊臣秀吉が朝鮮に出兵した際、連れ帰った陶工たちによって開かれたのが始まりと言われています。近世は久留米藩の御用窯となっていましたが、明治維新の際しばらく廃窯となり、

昭和34年に再興し、現在6軒の窯元があります。

花瓶・茶器など実用的なものを中心に、その素朴な中にも作り手の情熱が光る作風が人気を呼んでいます。
  
 
  
 
「道の駅うきは」では、エビネ蘭の販売が行われていました。エビネ蘭は、日本原産の野生ランで地表近くにある根茎が海老が連なっているように見えるので「エビネ(海老根)」の名前があります。
 
   
 
11:50ゴールのJRうきは駅に到着。
そのあと、汗を流しに「花立山温泉」に直行しました。
 
  
 
 
 
 

 

 

 

 

 


「うみで山開き」(福岡県宇美町)

2015-05-03 22:13:57 | JR九州ウオーキング

4/29唐津ウオークを終え、次のコースへ移動。

10:55 JR須惠中央駅に到着。ここから11:03宇美行の電車に乗車します。受付は11:00までですが、とりあえず行ってみることにしました。

11:11宇美駅に到着。まだ受付は行われていました。然し、今日は参加者が多いのかマップは、コピーでした。

 

このコース3年連続の参加です。宇美駅から昭和の森を経由して須惠中央駅までの11kmです。

今日は、宇美町昭和の森で山開きが行われます。したがってタイトルも「うみで山開き」です。

  

今年から新たに博多織工場見学がコースに入りました。

博多では、博多人形と共にこの博多織が地元特産です。民謡「正調博多節」にも ♪ 博多帯締め 筑前絞り 歩む姿が柳腰・・・・♪ と歌われています。

  

山手の方を見ると頂上にレーダーがある山があります。これは、三郡山といって福岡平野と筑豊盆地の間にあり、筑紫野市、宇美町、飯塚市の境界に位置します。

今日は、この山への登山もおこなわれたようです。

  

昭和の森に向かって歩いていると、民家の藤がきれいでしたので写真を撮らせていただきました。

  

向かいの家では、モッコウバラが満開でした。

  

宇美駅を出発後、約1時間で山開き会場に到着。例年ですと、ここで花の苗のプレゼントがありますが、私たちが行ったときには、もう売り切れでした。

  

帰りには、須惠町を通って行きます。須惠町佐谷地区には、水害復興碑がありました。

昭和48年(1973年)7月30日夜から翌31日午前2時にかけて、寒冷前線の南下に伴い、福岡市の南東部に位置する宝満・三郡山系を中心に集中豪雨をもたらし、県下始まって以来の短時間の集中豪雨により、

約3,500箇所の山腹崩壊を起こし、土石流となって各渓流を流下し、多々良川水系、御笠川水系等では各所に堤防の破堤、橋梁や道路の流出による交通の寸断途絶をおこし、

死者24名、流出等被災家屋35,143戸、その他田畑の冠水埋没2,628ha 等の被害が出た。・被害総額は、226億円に達した。

  

   

丁度このころ、私、社会人になりたての頃で、工場が須惠町にあり、よく連絡係りとして須惠の工場に行っていました。この水害で確か、志免町で橋が流されたと記憶しています。

須惠町では、ツツジ祭りが行われていましたが、もう閉会式でした。

14:20ゴールの須恵中央駅に到着。

唐津とこの宇美の両方をウオーキングしました。2つのコースで約20km歩きました。

  

 

 

 

 

 


唐津街中ウオーキング(佐賀県唐津市)

2015-05-02 06:14:21 | JR九州ウオーキング

4/29昭和の日

この日は、JR九州ウオーキングで「唐津街中歩き」を楽しみました。

8:00前に唐津駅に到着し、8:30の受付を待ちます。マップ番号5番と6番。こんな一桁の番号をもらったのは、久しぶりです。

 

8:25唐津駅スタート。町田3丁目交差点の手前から左折。ここは、「唐津茶碗通り」と称され、唐津焼を代表する「中里太郎右衛門」の窯元があります。

道路のインターロッキングには、唐津焼の絵柄がプリントされています。

 

 

茶碗通りを抜けると町田(ちょうだ)川があります。町田を「ちょうだ」とは、普通は読めませんね。

 

京町商店街には、唐津の有名な豆腐店「川島豆腐店」があります。朝が早いのでまだ回転していませんでした。

唐津では、今日から「やきもん祭」が開かれています。

  

 

旧唐津銀行は、明治45年(1912年)に竣工した旧唐津銀行本店。
その誕生は、東京駅を生んだ唐津出身の建築家「辰野金吾」が、唐津近代産業の牽引役であった藩校の同級生「大島小太郎」より依頼を受けたことから始まる。建築家として最盛期を迎えていた辰野は、

永年の夢であった国家プロジェクト「東京駅」設計工事の真っ只中であったため、唐津銀行の設計を愛弟子の「田中実」に委ねた。田中は、師匠の故郷であることに配慮し、

建築全体のデザインには典型的な「辰野式」を採用するとともに、「建築家田中実」として赤レンガ調タイル等を用いた独自のデザインを取り入れた。まさに、辰野と田中の師弟愛から生まれた共作であった。

竣工当時、辰野金吾57歳、田中実27歳。
日本初の建築家として夢へ挑み続け、その生きざまを郷土へ遺すことを最愛の弟子に託した辰野。師匠の故郷を前に、崇高な使命感と強い意志で臨んだ田中。おのおのの情熱から、

旧唐津銀行の美しい建築が生まれたのだ。先人たちの熱き精神と、人間物語を知らずして、もはや唐津は語れない。(旧唐津銀行HPから引用)

旧唐津銀行の地下には、レストラン唐津迎賓館として営業しています。佐賀牛のランチなんかいいでしょうね。

旧唐津銀行の隣には、明治39年(1906)創業の自転車屋さんがあります。初代が唐津藩の刀鍛冶をされていたそうで、明治時代、自転車店を創業されたそうです。

店の前には、招き猫ならぬ「マネキング(招きライオン)」があります。

  

町田川沿いに歩くと松浦川との合流地点に「城内橋」があります。この橋が、唐津城に続いています。

  

 

右手を見ると、鏡山、浮嶽が見えます。

  

  

唐津城を廻り、西の浜海岸に出ます。大島、鳥島、高島・・・・・・ 左手に船の形をした建物があります。これは、唐津少年科学館です。

  

唐津神社に来ました。唐津神社は、鳥居が白いのが特徴です。奈良時代創祀といわれる由緒ある神社。住吉三神と神田宗次公神霊を祀っている。唐津神祭は唐津神社の秋季例大祭で、

一般に「からつくんち」と呼ばれ、16世紀の終わりに始まったと伝えられている。今日は、唐津神社春の大祭で曳山が並んでいます。

 

   

9:45 唐津駅へゴール。ゴール後次の目的地に向かうため、すぐ移動しました。