11/21(土)は、今年、開業100周年を迎えた日田彦山線「JR採銅所駅」を歩くウオーキングに参加しました。
スタートは、JR香春駅。駅からは、五木寛之さんの小説「青春の門」に出てくる筑豊のシンボル「香春岳」が見えています。
出版された時と比べ、山の形もだいぶん変わったのではないでしょうか?
駅前では、鉄道グッツが販売されていました。「やまぐち号」のプレートは、4万円です。
道の駅「香春」で休憩。
ウオーキングコースの横を日田彦山線が通っています。途中には撮り鉄の方がいらっしゃいます。ここのアングルがいいのでしょうか?
先に行きますと「60尺鉄橋」(正式名:第2金辺川橋梁)があります。
現在の日田彦山線、「小倉~添田」は、大部分の区間が私鉄の小倉鉄道が大正4年(1915年)に開業しました。この区間の最大の難所が金辺峠を貫く1,4kmの金辺トンネルと
金辺川を跨ぐ第2金辺川橋梁です。この鉄橋は、高さ、更には中央の橋脚の両端である空間が約18mの為、地元では通称「60尺の鉄橋で親しまれています。
アーチ橋の曲線に対し、第2金辺川橋梁は、直線美とともに中世ヨーロッパの城壁を思わせる石積み構造が鉄道建築物として高く評価されています。
香春町採銅所の町に入ってきました。私、採銅所という名は、ハルさんが歌っていた「筑豊の子守唄」の中で初めて聞きました。
遠賀河原で 英彦山見えるよ 採銅所から香春町 ホタル追いかけ遊んだね そうくさ そうばい そうやろが・・・・・・
採銅所とは、昔、この地で銅が採れたことからそれが地名になっています。昔は、この一帯に「間歩(まぶ)」と呼ばれる銅山の坑口がありました。
間歩の中でも神間歩(かみまぶ)は、
説明文によると、香春町採銅所は、金、銅、鉛鉱などの採掘や製錬地で、官営の機関「採銅使」が置かれた所である。
奈良時代、清祀殿と「神間歩(蟹間覆ともいう)」は、銅を精錬し宇佐八幡宮へ御神鏡鋳造、奉納した所縁の地であると「古宮八幡宮御鎮座伝記」などに記されている。
それらによると、清祀殿での御神鏡鋳造に先立ち、香春岳を御神体とした「お山開き」の祭事が行われ、古宮八幡宮の神官が、山ノ神に御神酒を供え、幣帛、祝詞を捧げ、
次に摩覆の口に注連を曳き、御幣八本を立て、散米、榊葉を供え、禊を修めてそれから金銅を掘っていたということである。
「神間歩」は、その深さ、鉱壁、位置、掘り出された坑口、石塊、付近の構造等合わせて考える時、神事を行った場所と推察される。
奥壁には、祭壇らしきものがあり、千二百数十年を経た今日でも「神」をとって「神間歩」と呼称されている。
尚、神間歩の上部にも銅を掘った間歩(坑口)が数か所ある。更に三の岳周辺には、古宮、横鶴、水晶、床屋、宗丹、ズリネなど金、銅鉱山跡が多く点在している。
清祀殿(せいしでん)
宇佐八幡宮へ送った御神鏡を実際に鋳造した場所が清祀殿跡だと考えられています。
拝殿風の建物(写真)の屋根は板葺で、九尺間を一間とする三間四方。土間の中央には鍛冶床があった。この建物の後ろには祠と花崗岩の石柱が3基あり、
この石柱に完成した神鏡を安置していたと思われます。1956年に福岡県の文化財(史跡)に指定されました。
古宮八幡宮
香春岳で産出する銅を宇佐神宮の御神体(銅鏡)として奉納していたことが縁となり、同神宮の御祭神であった応神天皇、神功皇后の神霊を勧請したことに始まるとされます。
祭神としては豊比売命も共に祀られていますが、豊比売命は近くに在る香春神社例祭の時には香春神社へ下向し、例祭が終わると再び古宮八幡宮に戻る。
町の中を歩いていると玄関先に飾り物?が付けられています。何だろう
近くの人に聞くと、これは、神幸祭での幟の一部で家内安全のために付けられているそうです。
採銅所駅に着きました。
大正4年(1915年)開業。駅舎はモダンな洋風の装飾がほどこされています。採銅所駅は山から切り出した石灰石やセメントの原料を運び出す貨物輸送の拠点として栄えていましたが、
物流の主役が車へと移ったため貨物の取り扱いは廃止、昭和55年に無人駅になりました。
今日は、開業100周年記念のイベントが行われています。日頃は、無人駅ですが、この日は、沢山の方が来られています。
模擬店では、手打ちそばが300円で売られていましたので、いただきました。美味しかったです。