よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

清水山ボタン園(福岡県みやま市瀬高町)

2015-04-30 22:22:32 | JR九州ウオーキング

4/26は、JRウオーキングで「清水山ボタン園」に行ってきました。集合場所は、JR瀬高駅。

受付で羊羹とおせんべいをいただきました。

  

このコース、秋の紅葉コースでは、何回か訪れていますので、大体のコースは、わかっています。

清水山に入りました。ここから登りになります。山道の傍には、「シャガ」が群生しています。

  

清勝院に行く途中、眼鏡橋がかかっています。説明文によれば、

この橋は、大塚地区を流れる返済川に掛けられた石造りの独特な構造を持った眼鏡橋です。

文久4年(1864)大塚地区民が中心となり、女山、草葉の人々によって造られたもので、出資者は、女山の梅野六之平氏、設計は大塚の西田氏(のちに学習院長になる)、施工は、湯谷村(現在の大牟田市四箇)の石工、

儀平氏と中原村(現在の山川町中原)の宗右衛門氏によるものと伝えられています。石材は、飯江山(飯盛山)より切り出されたもので、石質は、女山の神龍石と同質のものです。

この度、返済川の改修に伴い、この地に永く伝えるため移転したものです。  平成元年5月

 

清水山ボタン園です。入園料は、300円ですが、JRウオーキングに付、本日だけ200円です。

園内には、80種約2500株のボタンが咲き誇っています。ただ、全般的に見てちょっとピークを過ぎたかな?という感がします。

以前5月の連休に唐津・肥前町のボタン園に行ったことがありますが、その時は、ピークでした。今年は、全般にお花の咲くのが早いような気がします。

 「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は、百合の花」。これは、芍薬のように風情があり、牡丹のように華麗で、百合のように清楚という女性の美しさを形容する言葉です。

牡丹は、花の王(花王)、百花の王とも呼ばれています。唐獅子牡丹、緋牡丹・・・・・あれあれ、何か昔の東映映画、高倉健さんの「唐獅子牡丹」、藤純子(現、富司純子)さん「緋牡丹博徒」が思い出されますね。(笑)

そうそう、「白牡丹」というのもありましたね。あれは、広島のお酒の名前です。

ボタン園から清水寺(きよみずでら)へ向かいます。山門までの急な階段を上るとまた階段です。ふうふう言いながら登ってきました。

 

   

寺の言い伝えによると伝教大師は、唐から帰朝の折り、有明海の東方山中に美しく輝く光を発見されました。
その光を求めて、一羽の雉を道案内にこの山に分け入ったと ころ、苔むした合歓(ねむ)の霊木に出会われたのでした。
このうえなく喜ばれた大師は、大地から生えたままのこの樹に一丈六尺(約5メートル) の 千手観音像を刻まれました。
そして大同元年(西暦806年)にお堂を建立し、その観音様を お祀されました。

このお堂が現在の本堂です。本の木で刻まれたお観音さま ですから、清水寺の山号を本吉山と言います。 (清水寺HPより)

お寺では、御朱印をいただきました。(最近、御朱印を集めるのも趣味になりつつあります)

 

  

清水寺本堂を更に上った所に「三重塔」があります。

総高約26.5メートル、本瓦葺の三重塔。大阪・四天王寺の五重塔を模して1836年(天保7年)に建立され、1984年(昭和59年)に修復されてました。

1955年(昭和30年)3月5日、福岡県有形文化財に指定されています。

   

三重塔の上にある食堂「竹屋」には、藤棚があって今が一番の見ごろです。藤棚に見とれていると、鳥籠の中に見慣れない綺麗な鳥がいます。鳴き声は、鶯と小綬鶏の鳴き方を2で割ったようなもの。

聞いてみますと「朝鮮ウグイス」だそうです。

帰って調べてみると、「相思鳥(そうしちょう)」でした。インド北部、中国南部、ベトナム北部、ミャンマー北部に自然分布。日本、ハワイ等に移入したそうです。

     

展望台には、野生?のウサギが2頭いました。近づいてもそんなに逃げません。人間に慣れているのかな?

特産品の販売所では、郷土玩具の「キジ車」がありました。キジ車っていうと、人吉の郷土玩具と思ってましたが、伝説で 「伝教大師(最澄)が道に迷った時一羽の雌雉が現れ光明輝く合歓の霊木に案内した」

とある雉にちなんだ郷土玩具雉子車(きじぐるま)です。

  

駅に向かって歩いていると清水公民館にてお接待がありました。お茶とお芋の蒸かしたもの。ちょうどお腹も減っており美味しくいただきました。

駅に向かっていると民家のお花が綺麗でしたのでカメラで撮りました。

  

11:25瀬高駅にゴール。鹿児島本線瀬高駅発11:31で帰途につきました。

 

 

 

 

 

 

 


「中山大藤まつり」(福岡県柳川市三橋町)

2015-04-28 05:51:52 | JR九州ウオーキング

4/25 JR九州ウオーキングで柳川市三橋町の「中山の大藤」を見に行きました。

  

筑後船小屋駅を出発。筑後船小屋駅周辺には、ソフトバンクホークスの2軍練習場が建設されています。

来年春完成予定ですので来年は、駅周辺も変貌するのではないでしょうか。

  

筑後広域公園内では、紅空木(卯の花)が咲いています。毎年5月ぐらいに咲きますので今年は、少し早い開花です。

   

途中、目野酒造に立ち寄りました。

目野酒造は、明治23年(1890)創業。現在の当主は、6代目だそうです。店内では、試飲コーナーがありました。

私、どちらかと言えば、日本酒は苦手の方で一口だけ試飲しましたが、とてもおいしかったです。

  

中山の大藤(昭和52年4月 福岡県の天然記念物に指定)の発祥は、江戸時代の享保年間(1716~1735)に遡ると伝えられています。伝承によれば、当地で酒屋を営む通称「万」さんという人が、上方見物をし、

河内野田の藤のあまりの見事さに心を奪われ、藤の実を持ち帰り、自宅に植えたと伝えられています。 数十年後、四尺程度(約120cm)の見事な花を咲かせられるようになり多くの見物客で賑わったと伝えられています。

 その後、現在の熊野神社境内に移植され、地元保存会の方が念入りに手入れをされてあります。 

   

  

  

 

 

藤といえば、日本古来の花木。万葉集にも詠まれています。藤のトンネル、藤のカーテン・・・・・・そして、甘い香りが漂ってきます。

見ているだけで気持ちがよくなります。花の廻りには、大きな蜂が飛んでいますが、この蜂は、何にもしませんが、大きさゆえにちょっと怖い気さえします。

10:50 ゴールの筑後船小屋駅に到着。

今日は、朝早かったのでお腹も減ってきました。お昼にはまだ早いですが、駅の横に九州芸文館があり、その中に「ななつ星」というレストランがあります。ここに入りました。

ちょうどランチタイムだったので私は、カレーセット、家内は、チキンの南蛮を注文しました。

  

 

 

このお店、筑後に本店がある「麦の石橋工業」が経営していて、ご飯は、雑穀米、食材は、地元産を使用しています。とてもヘルシーで美味しかったです。

食後のコーヒーは、デミコーヒーでなく、普通サイズのコーヒーでした。

ですが、このお店、来月(5/10)で閉店するそうです。

  

閉店まであと2週間あまり・・・・・・また食べに行きたいな~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


門司港から下関を歩く

2015-04-14 18:50:50 | JR九州ウオーキング

 

4/12 JR九州ウオーキングで門司港~下関を歩きました。

     

8:21門司港駅に到着。すでに受付が始まっており、コース地図をいただきスタートします。レトロ地区では、御衣黄(ぎょいこう)が咲いていました。

       

プラタナスの葉も新芽が出てきています。レトロ地区今日は、どうもワンちゃんの数が多いなあと思っていましたら、ドックフェスティバルが行われていました。

和布刈神事で有名な「和布刈神社」にお参りし、関門人道トンネルで下関にわたります。途中、街路樹の桜は、まだ花弁がついていますが、風が吹くとそれが花吹雪みたいに舞っています。

    

   

  

関門人道トンネル下関側から火の山に向けて歩きます。山陽道の時は、もっと遠回りしていたような気がしますが・・・・・

  

ロープウェイで展望台へ。ここから見る関門海峡は、ビューポイントです。

  

展望台から降りてきます。丘の斜面には、トルコチューリップがいっぱい咲いています。

4年前、福島のKさんが下関に来られた時に見に行き、感動してデジブックを作りました。

今回は、関門橋を模した花壇もありました。

  

  

火の山を下りてくると、壇ノ浦があります。そこでは、紙芝居が行われていました。亀山宮では、世界一の「ふく」の像があります。

  

さて、お腹もすきましたので、下関のHさんお薦めの「英国館」に行きました。ここは、1906年に建設された旧英国領事館です。

今は、食事や喫茶が出来るようになっています。

カレーセットを注文しましたが、このセット前菜、食後のデザートもついています。カレーもおいしく、とてもハッピーな気分になりました。

英国館では、ピーターラビット展が行われていました。

   

  

お腹も一杯になり、ゴールへ向かいます。ゴールは、門司港駅横の九州鉄道記念館。唐戸から渡船に乗りましたが、この日、風が強くすごく揺れました。

   

※4年前に行ったときの火の山公園、トルコチューリップのデジブックです。 ↓ ↓ ↓

デジブック 『トルコチューリップ』


JR九州ウオーキングでわが町を歩く(福岡市西区)

2015-03-10 17:03:39 | JR九州ウオーキング

3/7(土)は、JR九州ウオーキングでわが町を歩きました。花粉症対策でマスクを着用してのウオーキングです。

 8:30 JR今宿駅をウオーキング仲間十数人とスタート。 今津橋を渡ると左側にコンクリート基礎部分が見えてきます。

今では、野鳥の休息地になっていますが、これは、昭和初期、毘沙門山から石を切り出し今山に運んでいたケーブルの跡です。 ここは、夕陽撮影のビューポイントです。

  

橋の右側には、江戸時代、筑前五ヶ浦廻船の一つ「浜崎港」があります。現在は、レジャーボートの停泊地になっています。

橋を渡り、しばらく行くと、左側に「カブトガニ産卵地」の看板が建っています。生きた化石と呼ばれるカブトガニは、夏至ごろ産卵にやってきます。

  

更に先に進むと「大泉坊 誓願寺」の幟が見えてきます。そこから右折し、しばらく歩き、左折します。突き当りが「誓願寺」です。

誓願寺は、筑前怡土(ちくぜんいと)・志摩(しま)両郡の荘園であった怡土荘の豪族仲原(なかばら)氏の娘の発願で、 安元元年(1175)に、渡宋のためこの地に赴いた栄西 1141~1215を招いて創建されました。

日本の臨済宗の開祖である栄西は、比叡山で天台の教義を学び、二度の渡宋により臨済宗を伝え帰ったことで有名です。日本初の臨済宗のお寺を福岡・博多「聖福寺」に建立しました。

栄西は、二度目の渡宋の前、宋版一切経(そうはんいっさいきょう)の渡来を待って本寺に十数年間滞在し、 その間に数々の著述を行いました。なかでも「誓願寺盂蘭盆縁起(せいがんじうらぼんえんぎ)」は、 栄西筆の書として国宝に指定されています。

 本寺には中国の呉越国(ごえつこく)907~978年から分与された「銭弘俶八万四千塔(せんこうしゅくはちまんよんせんとう)」、 元からもたらされた「孔雀文沈金経箱(くじゃくもんちんきんきょうばこ)」など、対外交流を裏付けるものが多数伝えられています。 これらは、いずれも国の重要文化財に指定されています。(案内板より)

国宝の「誓願寺盂蘭盆縁起」は、九州国立博物館に所蔵されていますが、このお寺には、レプリカがありました。意味は、わかりませんが、さすがに達筆です。

誓願寺には、今津の中に、子院が42もあり、町内には、今もなお、「寺小路」という地名も残っています。

 

   

誓願寺を下りてくると、右側に「登志(とし)神社」があります。昔々、今津は、「登志郷」と呼ばれていました。朝日が昇ってくる場所という意味だそうです。(多分、可也山(糸島富士)から見て)

今津という地名で呼ばれるようになったのは、平安末期頃からで、博多津に代わる新しい港、すなわち「今津」です。瑞梅寺河口に位置し、怡土荘の入口でもあります。

また、平安末期には、博多津の宋人街が襲われたりして世相不安な所もあり、今津になったという説もあります。

その「今津港」ですが、江戸時代、筑前五ヶ浦廻船の一つでしたが、今では、その面影がありません。

登志神社の横には、「元寇殲滅之處」の記念碑が建っています今津には、元寇防塁が復元されています。

博多湾岸の東西に延びる史跡元寇防塁は、建治2年(1276)時の鎌倉幕府執権北条時宗が、当時世界の大半を征服して世紀の英雄といわれた元の国王フビライの日本襲来に備えて

文永の役(文永11年・1274)直後九州の諸武将に命じて築かせた石築地(いしついじ・防塁)である。その高さは1.8メートルないし3メートル、幅1.8メートルないし2.4メートルあったといわれ、

東は箱崎地蔵松原から西は今津長浜にいたる延長20キロメートルにおよぶ大規模なもので、2度目の弘安の役(弘安4年・1281)には、この防塁が、わが国の防衛上大きな貢献をなした。

石築地は、わが国の歴史上からはもちろん世界史上からも重要な史跡である。

ここ今津は、日向、大隅の両国の担当でした。また、蒙古の兵士を供養した「蒙古塚」は、志賀島が有名ですが、ここ今津にも野の花学園の敷地内にあります。

 

 

JA福岡市今津支店では、福岡産イチゴ「あまおう」の試食がありました。今津は、砂地で昔からイチゴの栽培が盛んでした。

 

今津は、郷土芸能として「今津人形芝居」も有名です。今津人形芝居は、歴史が古く、弘化元年(1844年)に今津・大原で若者の中に賭博を流行するのを抑えるため農村健全娯楽として始まりました。

それからしばらく空白の時がありますが、明治24年復活しました。今でも毎年10月ごろ記念公演を行っています。

  

今津干潟は、満潮の為、野鳥が観察できませんでしたが、絶滅危惧種「クロツラヘラサギ」、鴨、シギ、それに時々ではありますが、北帰行の時にコウノトリが羽を休めに来ます。

また、日の出の名所でもあります。

   

  

今日のウオーキングは、1000人以上の方がわが町に来ていただきました。満足して帰られたかな?

 

 

 

 

 


「アクティブ65」三日目 「中津、別府」

2015-02-27 12:14:06 | JR九州ウオーキング

アクティブ65を使い、3日目(2/22)は、JR九州ウオーキングで「城下町中津のひなまつり」に行ってきました。

博多発7:00のソニック3号で大分県中津へ。中津8:39着。今日も雨。雨の中のウオーキングです。中津では、今日(22日)から城下町中津ひなまつりが開催されます。

    

駅をスタートし、寺町に向かいます。このあたりには、お寺が集中しています。昨年大河ドラマ「軍師官兵衛」に出た「赤壁合元寺」もこの一角にあります。

  

寺町を抜けると、「福澤諭吉記念館」があります。昨日は、佐賀に行き、「大隈重信記念館」に立ち寄りました。有名私大の創設者が九州出身というのは、九州人として誇りです。

中津城城内では、河津桜のつぼみが大きくなりあと数日で開花するみたいです。

  

中津城では、雛祭り期間中、「人間雛飾り」が開催されます。新婚の方が、お内裏様、お雛様になるそうです。これは、来週2/28、と3/01に行われます。面白いでしょうね。

中津城では、福澤先生の「独立自尊」の碑が建っていました。「一身独立して一国独立す」国民の一人一人が自立し、賢くなることが国家の近代化と繁栄をもたらすという考え方です。

    

中津の雛祭りは、諸町周辺でも行われています。この一角には、九州で初めて人体解剖を行った村上玄水の資料を集めた「村上医科資料館」があります。

   

小学生や幼稚園、保育園児が作った雛飾りも展示されています。

    

おきあげ雛や珍しい次郎左衛門雛もあります。次郎左衛門雛は、江戸時代、寛文(1660年代)の頃、京都の雛屋「次郎左衛門」が創始したという雛の総称。丸顔に細い眼、小さい唇と鼻などが特徴とされています。

一文雛」は、豪華な御殿に対してその中に入っているお内裏様、お雛様は、安価で小さい雛でした。これを一文雛と呼んでいます。庶民に愛されたお雛様です。

   

   

  

  

諸町の雛めぐりを終え、駅に帰ろうと思いますが、今日(22日)は、NHKのど自慢大会がここ中津で行われます。ちょっとコースアウトして会場の中津文化会館に行ってきました。

中を覗くと、観客の方がれつをなして並んでいました。ゲストは、八神順子さん、山本譲二さんだそうです。

   

中津雛祭りは、今日13:30から雛祭りパレードが行われますが、雨も降っていますし、ゴールに向かいます。10:30中津駅にゴール。

このあと、お昼を食べに、別府・松原町の冷麺の専門店「六盛」に行きます。ここは、行列ができるお店で有名です。お店に着くと既に10組ぐらいの方が待たれていました。

私達も名前を書き、並びます。約30分ぐらい待つとやっと私たちの名前が呼ばれました。冷麺が専門なんですが、まだ寒いし「温麺」を注文します。

ここの麺は、手作りだそうですが、韓国の冷麺の麺とはいささか違うようです。味は、韓国の冷麺を思い出させるようなとても美味しいです。ただ。接客の方は、あまりよくありませんでした。

  

六盛から別府温泉「不老泉」に行っていると商店街の中に行列ができているお店があります。魚料理「いづつ」です。「海鮮丼」の幟に引き付けられます。然し行列は20~30人ぐらい待たれています。

並ぶ時間がないのでスルーします。今度別府に来ることがあったら是非行ってみたいです。メニューを写真に撮ってきました。

  

さて、アクティブ65の最後を飾るのは、別府温泉「不老泉」。ネットで調べるとこの「不老」という言葉が気になり行くことにしました。

アクティブ65を使って「不老」とは、シャレにもなりませんね。(笑)

入湯料は、@100。タオル、石鹸、シャンプーはありません。浴槽は、ぬるい湯と熱い湯があり、ぬるい湯の方に入りますが、ぬるいといっても43℃あります。

では、熱い方はどうかといいますと、チャレンジしますが、あまり熱くて入れませんでした。48℃ぐらいあるのではないでしょうか?

ぬるい湯で体を温め、再び熱い湯に挑戦。一気に入ると入れました。然し、熱くてすぐ出そうになりましたが、「我慢」「我慢」と言い続け、何とか5分間入ることが出来ました。  

お風呂から上がると雨も止んでいました。

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2/20~2/22までの3日間「アクティブ65」を使い、北部九州を旅しました。3日間の総行程は、1141km、乗換回数14回(新幹線含む)、乗車時間15時間19分。

充実した3日間でした。次回は全九州版を使ってみたいです。

 

 

 

 

 

 

 


「アクティブ65」二日目、佐賀、長崎へ

2015-02-26 17:30:13 | JR九州ウオーキング

アクティブ65二日目(2/21)は、JR九州ウオーキングで「佐賀城下雛祭り」へ行ってきました。

博多発7:17のかもめ5号で佐賀へ。佐賀駅着8:01。JRウオーキングの受付番号は、9番。一桁の受付番号は、久しぶりです。

佐賀市内でも今日(2/21)からひなまつりが開催されました。佐賀駅でも雛人形が飾られていました。

  

このコース、途中でお菓子の試食があるのですが、今日は早いためまだ準備できてなく、仕方なくスルーします。

「肥前通仙亭」では、茶粥のサービスがあるのですが、まだ準備できてなくここもスルー。ゴールの佐賀駅に着いたのは、10:35。

  

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佐賀駅から、長崎に移動します。今日は、長崎でもJR九州ウオーキング「長崎ランタンフェスティバル満喫ウオーク」が行われています。

佐賀駅発10:56のかもめ15号で長崎へ。長崎12:21着。今、春節の真っ最中。長崎駅構内では、大きな龍の飾り物がありました。

長崎駅から長崎水辺の森公園に向かうと長崎港が見えます。ここから五島、軍艦島への船がでています。港には、帆船が停まっていました。

 

今日の天気予報は、昼から雨。佐賀では、雨に遭わなかったのですが、長崎に着くとポツリポツリと雨が落ちてきました。

コースは、活水女子大学近くのオランダ坂を通ります。このコース何回も来ていますが、この坂には、泣かされています。坂の先には、「唐人屋敷跡」があります。

 

江戸幕府は、一般の日本人と外国人との交流を避けるため、オランダ人(当初はポルトガル人)の住居を出島、唐人の住居は、唐人屋敷と定めました。唐人屋敷は現在の館内町のほぼ全般にあたり、

元禄2年(1689年)完成しました。これ以降唐人の市内居住が禁止されました。

   

【天后堂】 南京地方の人々が、航海の安全を祈願し、航海の神「天后聖母」を祀ったのが起源とされています。

【観音堂】 本堂には、観世音菩薩と関帝が祀られています。元文2年(1737)創建されたと思われます。現在の建物は、大正6年(1917)に改築されました。

 

  

【土神堂】 土神の神「土神」を祀ったお堂です。元禄4年(1691)建てられ、その後数度の債権を経て、現在の建物は、昭和52年に復元されました。

【福建会館】 唐人屋敷廃止後の明治30年(1897)に建てられました。会館本館は、原爆により倒壊しましたが、現存する天后堂及び正門は市指定文化財です。

  

新地の湊公園が中華街会場となっています。会場は、人、人、人・・・・・・・

たくさんの中国ランタン装飾に飾られ、これが、夜になると一斉に明かりが灯されます。綺麗でしょうね。

  

  

  

時刻は、13:30を廻りました。そうだ、まだお昼を食べていない!長崎というとやはり「チャンポン」「皿うどん」ですね。せっかく食べるなら、チャンポン発祥の店「四海楼」がいいなと思い、ここから四海楼のある大浦天主堂近くまで

引返します。中華街のお店は、15:00ぐらいから休憩に入ります。まだ14時前・・・・・。雨の中四海楼に向かって歩き出します。

やっと四海楼に着きましたが、まだ14時前なのに「休憩中」の札が・・・・・  店の人に聞くと今日は、あまり人が多く入場制限を掛けていますとのこと。17:00からですとOK。

  

ちゃんぽんは、明治32年四海楼初代「陳平順」が、長崎に来ていた中国人留学生のためにうまくて、ボリュームがあり、栄養価も高く安価なメニューをとコクのあるスープに新鮮な魚介類をふんだんに使った麺料理「ちゃんぽん」を

考案しました。その独特な味は、中国人のみならず、多くの日本人にも人気を呼び、当時の四海楼を賑わせていた文豪たちにもファンが多かったとか。

チャンポンは、長崎生まれの長崎育ち。日本で生まれた最初の中華料理かもしれません。(四海楼看板から)

皿うどんは、四海楼初代「陳平順」が、チャンポンのバリエーションとして創ったもので、チャンポン麺を強火で焼き、チャンポン同様の具を炒め、少なめのスープを加え、残らず麺にしみこませた料理です。

うどん状のものを皿にのせて出したことから「皿うどん」と名づけられました。一方、「炒麺」は、極細の油揚げ麺に五目あんかけをかけた皿うどんから派生してできたもので極細の皿うどんと呼ばれています。(看板より)

 

仕方なく歩いていると、通りのホテルに「チャンポン」「皿うどん」の看板がありました。すぐホテルのお店に入り、チャンポンと皿うどんを注文します。

数分後、出てきました。これです。

  

いや~、本場長崎で食べるチャンポン、皿うどんは違いますね。  

お腹も一杯になり、またコースに戻ります。商店街を抜け、中島川へ向かいます。商店街も人が一杯です。途中、カステラ屋さんで期間限定の「桃カステラ」を買っていきます。

   

   

アクティブ65二日目は、総行程338km。昨日からもう約750kmぐらいです。

 

 

 

 

 

 

 

   

   

 

 

 

 

 


武雄灯籠まつりウオーク(佐賀県武雄市)

2015-02-19 20:24:38 | JR九州ウオーキング

2/15は、JR九州ウオーキングで武雄の町を散策しました。

    

武雄温泉駅から旧長崎街道の方に歩きます。ここは、4年前「長崎街道(長崎~門司)」を歩いた時に通った所です。

   

しばらく歩くと、「淀姫神社」があります。淀姫というと、淀姫というと、淀君のことかな?と思っていましたら違っていました。神功皇后の妹さんだそうです。

淀姫は、またの名を「與止日女命」といい、あるいは、海彦山彦の神話で山彦と結婚した「豊玉姫」とも考えられています。

この淀姫神社は、佐賀県に多く存在しています。

  

コースは、円照寺の先から山手に入ります。(14kmコースは、直進します)だらだらとした坂道を登って行くと、小峠窯跡、大谷窯跡があります。

武雄には、窯元が80~90ぐらいあります。約400年前の文禄慶長の役に従軍した武雄領主後藤家信が連れ帰った朝鮮陶工が竹古場山の麓を中心に登り窯を築きました。

以後、脈々と焼物作りは受け継がれ、今では市内に凡そ90ヵ所の窯跡が知られています。中でも黒牟田系の土師場物原山と錆谷窯跡、内田系の小峠窯跡と大谷窯跡の4ヵ所が比較的残存状況が良好で、

陶器窯跡として代表的なものとして、昭和15年に史跡に指定されました。

  

ゴールは、登り窯では、世界一を誇る飛龍窯です。飛龍窯では、バレンタインデーに因み、灯籠祭が行われていました。

  

ゴールの飛龍窯からは、シャトルバスで武雄温泉駅へ。

   

武雄温泉駅の駅弁は、2012,2013、2014年と3年連続九州駅弁のグランプリを獲得しています。

早速いただきました。2012,13年が「佐賀牛すきやき弁当」、2014年が「佐賀牛カルビ焼肉弁当」です。

         

  

さすが、3年連続九州一の駅弁です。お肉は柔らかく、味付けも抜群です。

お腹もいっぱいになり、今日のウオーキングの疲れをいやすため、武雄温泉へ。武雄温泉の楼門の設計は、東京駅を作った「辰野金吾」さんです。

  

 

 

 

 

 


JR九州ウオーク「東峰村」(福岡県朝倉郡東峰村)

2015-02-16 11:03:36 | JR九州ウオーキング

3~4日前でしたか、風の強い日があり、私の「鼻」に春の使者がやってきました。今年は少ないとの予報ですが、やはり「春」はやってきました。

3月一杯までの1か月間、私は「ハナタレ小僧」に変身です。

2/14は、JR九州ウオーキングで福岡県朝倉郡東峰村に行ってきました。東峰村は、山林も多く、「ハナタレ小僧」のため、マスクとティッシュを持ってのウオーキングです。

スタートは、東峰村のJR筑前岩屋駅。東峰村は、盆地ですので朝は、かなり冷え込みます。スマホで気温を調べると1℃。付近は、放射冷却の影響か、霜が降りています。

      

最初の「岩屋神社」へは、階段が凍っているため、安全上ここを通らず途中からのスタートになりました。

   

「ほうしゅ学舎」では、地元の方が作ったおまんじゅう、ぜんざい、うどんなどを売られていました。お腹も減っていましたので、おまんじゅうとお漬物を買いました。

   

しばらく歩くと、民家の庭先で私達ウオーカーにお接待です。干し柿をスライスしたもの、ゆべし、柿の葉茶などが振る舞われました。この家には、もう雛飾りが飾られていました。

  

昨年なくられた高倉健さんゆかりの「いずみ館」「いぶき館」を廻り、片岡酒造へ。片岡酒造では、おいしい甘酒をいただきました。また、お土産にと2合瓶のお酒を買いました。

※高倉健さんのお父さん「小田敏郎」さんは、伊藤伝衛右門が経営する「宝珠山炭鉱」に労務課長として勤務されていました。お父さんは、単身赴任で健さんは、学校の休みの時ここ宝珠山にお父さんを訪ねてきていました。

その時、宿舎にされていたのが、「いずみ館」です。

 

   

片岡酒造を出ると、神社があります。「高木神社」です。一見町の氏神様かな?と思っていましたら、この神社、明治維新までは、「大行司社」と呼ばれていたそうです。

大行司社というと彦山関係の神社ですね。このウオーキングのゴールは、大行司駅です。この駅名は、この神社から命名されたそうです。

  

神社の前の道を横切るとゴールの「大行司駅」に着きます。今日は、岩屋神社を廻ると12:30の列車になるな、と思ってましたが、岩屋神社をパスしましたのでその前の10:23の列車に間に合いました。

   

大行司駅は、何年か前初めて東峰村を訪ねた時、ホームに沿って黄色の布が掲げられていました。どういう意味だろうと思ってましたら、健さん主演の「幸せの黄色のハンカチ」からだそうです。

「幸せの黄色・・・・・」は、舞台は北海道ですが、健さんの父親が宝珠山炭鉱で働いていた関係上、この黄色の布が張られたのでは、ないでしょうか?

現在では、その布もありません。

 

 

 

 

 

 


八代TOMATOフェスタ(熊本県八代市)

2015-02-02 19:41:53 | JR九州ウオーキング

2/1は、JR九州ウオーキングで熊本県八代市に行ってきました。

八代は、5年前九州国際3Dmに参加した時以来です。博多から九州新幹線割引切符「びっくりつばめ」で熊本駅へ。熊本駅では、「妖怪ウオッチ」にでてくる「毛馬本駅」が新幹線口と在来線口にありました。

  

  

熊本駅から在来線に乗り換え、9:23八代駅に到着。ウオーキングの受付をしてウオーキングスタートです。(受付では、日奈久のちくわをいただきました)

 

八代駅前からは、「緑の回廊線」といって、工場引込線跡地と用水路跡地を利用した延長6,850mの自転車・歩行者専用道路を通ります。中央の分離帯には、桜の木が植えてあり、桜の季節には、

絶好のウオーキングコースとなるでしょう。

 

  

緑の回廊を抜けると「松濱軒(しょうひんけん)」があります。

八代城代松井直之(まついなおゆき)が、母崇芳院尼(すうほういんに)のために元禄元年(1688)に建てた御茶屋です。
古くからの砂浜堤防内の沼地を取り込み、球磨川から導水して庭園とした立地で、浜堤には松林が連なり、八代海・宇土半島・さらには雲仙を望む雄大な眺望の庭園でした。

松風も聞かれた事から邸名の由来となっています。庭園内には、菖蒲の柵も設けられ、6月の花菖蒲のころが一番きれいだそうです。

驥斉(きさい)第二と書いてますが、これは、「きさい」と呼びます。この場所が昔、馬小屋だったことからその名が付けられました。

  

澤井家住居・長屋門

  

長屋門を過ぎると本町商店街に入っていきます。今日は、ここで第3回TOMATOフェスタが行われています。

  

 八代地区は、100年ほど前は海の底だった干拓地で土壌は天然の塩分やミネラルを多く含んでいます。それがトマトには幸いし、大玉にならないがこの地で採れるトマトは格別に味がいいと評判になり、

注目される様になりました。通常のトマトに比べて約1.5倍の糖度のうえに、さらに塩分が吸収されることで、甘みがより強く感じられられます。

八代のトマトは、「塩トマト」というネーミングです。試食してみるとこれが美味しい。普通ドレッシングなど使って食べますが、このトマトは、そのままいただけます。

少し皮が硬い感じがしますが、それも最初のうちで、これでしたらトマト嫌いな人でも食べられます。

糖度10以上のトマトを「ロイヤルセレブトマト」と称し、11個ぐらいのトマトが、5000円ぐらいします。(1個あたり@500)これには、とても手が出ず、糖度8の分を買って帰りました。

   

※八代市のマンホールは、晩白柚とイグサです。

12:26ゴールの八代駅に到着しました。このあと在来線で熊本駅へ。熊本駅前に出てみると、斬新な形をした市電が停まっていました。

この市電は、「COCORO」という名称で、あの「七つ星」のデザインを手がけた「水戸岡氏」のデザインだそうです。顔の部分が笑っているように見えますね。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


官兵衛ゆかりの地「吉塚」を歩く

2014-10-22 15:53:34 | JR九州ウオーキング

今日(10/18)は、JR九州ウオーキングで「吉塚」に行きました。吉塚は、博多駅の一つ先の駅で、近くには、福岡県庁があります。

     

吉塚という地名は、八女・星野の城主星野吉実は、その敵高橋紹運を四王寺山の岩屋城(太宰町)に滅ぼしました。その後、若杉山の高鳥居城(篠栗町)の守護にあったが、豊臣勢である立花宗茂のため落城し、

天正14年(1586)に自刃しました。その首を千代の松原であった現在地に埋めて吉実塚といったが、のち、この附近は吉塚と呼ばれ地名になりました。

また、この地には供養のため、元禄(1688~1704)のころ建てられたという吉塚地蔵があります。

 

    

10:15 吉塚駅をスタート。先ず「筥崎八幡宮」へ。ここには、元寇の役で「敵国降伏」の額があります。勝負の神様で福岡のスポーツチームの「福岡ソフトバンクホークス」や「アビスパ福岡」の必勝祈願の絵馬が奉納されています。

今、ホークスは、パリーグCSファイナルステージを戦っています。私もホークス必勝の祈願にお祈りをしました。

  

歩いていると懐かしいカレー屋さんの看板を見つけました。「湖月のカレー」です。

私がまだ学生の頃、中州にこのカレー屋さんがあり、中州に行くとここに行っていました。あと、博多駅や天神には、「ナイルのカレー」もありました。

湖月のカレーへ行ってみたかったのですが、まだ準備中でした。残念!また、箱崎には、春日原の「ナガタパン」の支店もあります。

  

筥崎八幡宮を過ぎると、「恵光院(えこういん)」があります。ここには、初めて行きました。

   

境内にある菩提樹は、大きく6月ごろには花が咲くそうですので、是非見に行きたいですね。

東公園にやってきました。福岡市には、昔から「西公園」「南公園」とこの「東公園」があります。東公園には、野球場があったのですが、福岡県庁建設に伴いなくなりました。

東公園には、「日蓮聖人」の銅像が建っています。日蓮聖人は、文応元年(1260)、「立正安国論」を記し、当時の執権北条時頼に「元」(モンゴル)の襲来を警告しました。

これが、北部九州を襲った文永、弘安の役です。日蓮聖人像の前でもソフトバンクの必勝祈願をしました。

    

県庁を抜けると、「崇福禅寺」があります。山門は、福岡城本丸表御門が、大正7年(1918)、陸軍から払い下げられ、崇福寺に移設されました。

この門は、二層造りの本瓦葺切妻造りです。

    

崇福寺は、黒田家の菩提寺でもあります。このお寺には、黒田官兵衛(孝高)、黒田長政など他にも黒田家4代、6代、7代、9代が祀られています。

  

    

崇福寺黒田家の墓地は、他にも4代綱政、6代継高、7代治之、9代斉隆の墓があります。  尚、御供所町の「東長寺」には、2代忠之、3代光之、8代治高の墓があります。

崇福寺には、吾妻屋で「官兵衛まんじゅう」が売っています。これが、餡子たっぷりで結構いけます。我が家の仏様のお土産に一箱買っていきました。(6個入り@800)

  

また、崇福寺には、「玄洋社」のお墓もあります。玄洋社は、旧福岡藩士が中心となって明治14年(1881)結成された政治団体です。

この玄洋社からは、戦前活躍した「頭山(とうやま)満」、第4次吉田茂内閣で官房長官、副総理となり、吉田辞任後は、自由党総裁となり保守合同を推進した「緒方竹虎」、や「中野正剛」がいました。

現在、国際連合難民高等弁務官で活躍中の「緒方貞子」さんのご主人が緒方竹虎の三男です。

 「中野正剛」は明治19年、現在の荒戸1丁目に生まれます。早稲田大学を卒業後、ジャーナリストや衆議院議員として活躍しましたが、第二次世界大戦中に当時の首相であった東條英機と反目。倒閣工作に関わったとして昭和18年に検挙・拘留された末に、突然の自殺を遂げました。

  

崇福寺を後に、吉塚商店街に入ってきました。約一年前ブログで発表しました、天ぷらで有名な「だるま食堂」です。今日は、JRウオーキング参加者だけに、海老か肉の天ぷらがサービスということで

早速中に入りました。店の中は、JRウオーキングの方で一杯でしたが、待つこと30分、ようやく天ぷらにたどり着けました。この店は、サービスでイカの塩辛があります。これも絶品です。

   

お腹もいっぱいになり、ちょうど13時ごろゴールの吉塚駅に到着。今日は6kmと短めのウオーキングでしたが、お腹は十分満足しました。