4/26は、JRウオーキングで「清水山ボタン園」に行ってきました。集合場所は、JR瀬高駅。
受付で羊羹とおせんべいをいただきました。
このコース、秋の紅葉コースでは、何回か訪れていますので、大体のコースは、わかっています。
清水山に入りました。ここから登りになります。山道の傍には、「シャガ」が群生しています。
清勝院に行く途中、眼鏡橋がかかっています。説明文によれば、
この橋は、大塚地区を流れる返済川に掛けられた石造りの独特な構造を持った眼鏡橋です。
文久4年(1864)大塚地区民が中心となり、女山、草葉の人々によって造られたもので、出資者は、女山の梅野六之平氏、設計は大塚の西田氏(のちに学習院長になる)、施工は、湯谷村(現在の大牟田市四箇)の石工、
儀平氏と中原村(現在の山川町中原)の宗右衛門氏によるものと伝えられています。石材は、飯江山(飯盛山)より切り出されたもので、石質は、女山の神龍石と同質のものです。
この度、返済川の改修に伴い、この地に永く伝えるため移転したものです。 平成元年5月
清水山ボタン園です。入園料は、300円ですが、JRウオーキングに付、本日だけ200円です。
園内には、80種約2500株のボタンが咲き誇っています。ただ、全般的に見てちょっとピークを過ぎたかな?という感がします。
以前5月の連休に唐津・肥前町のボタン園に行ったことがありますが、その時は、ピークでした。今年は、全般にお花の咲くのが早いような気がします。
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は、百合の花」。これは、芍薬のように風情があり、牡丹のように華麗で、百合のように清楚という女性の美しさを形容する言葉です。
牡丹は、花の王(花王)、百花の王とも呼ばれています。唐獅子牡丹、緋牡丹・・・・・あれあれ、何か昔の東映映画、高倉健さんの「唐獅子牡丹」、藤純子(現、富司純子)さん「緋牡丹博徒」が思い出されますね。(笑)
そうそう、「白牡丹」というのもありましたね。あれは、広島のお酒の名前です。
ボタン園から清水寺(きよみずでら)へ向かいます。山門までの急な階段を上るとまた階段です。ふうふう言いながら登ってきました。
寺の言い伝えによると伝教大師は、唐から帰朝の折り、有明海の東方山中に美しく輝く光を発見されました。
その光を求めて、一羽の雉を道案内にこの山に分け入ったと ころ、苔むした合歓(ねむ)の霊木に出会われたのでした。
このうえなく喜ばれた大師は、大地から生えたままのこの樹に一丈六尺(約5メートル) の 千手観音像を刻まれました。
そして大同元年(西暦806年)にお堂を建立し、その観音様を お祀されました。
このお堂が現在の本堂です。本の木で刻まれたお観音さま ですから、清水寺の山号を本吉山と言います。 (清水寺HPより)
お寺では、御朱印をいただきました。(最近、御朱印を集めるのも趣味になりつつあります)
清水寺本堂を更に上った所に「三重塔」があります。
総高約26.5メートル、本瓦葺の三重塔。大阪・四天王寺の五重塔を模して1836年(天保7年)に建立され、1984年(昭和59年)に修復されてました。
1955年(昭和30年)3月5日、福岡県有形文化財に指定されています。
三重塔の上にある食堂「竹屋」には、藤棚があって今が一番の見ごろです。藤棚に見とれていると、鳥籠の中に見慣れない綺麗な鳥がいます。鳴き声は、鶯と小綬鶏の鳴き方を2で割ったようなもの。
聞いてみますと「朝鮮ウグイス」だそうです。
帰って調べてみると、「相思鳥(そうしちょう)」でした。インド北部、中国南部、ベトナム北部、ミャンマー北部に自然分布。日本、ハワイ等に移入したそうです。
展望台には、野生?のウサギが2頭いました。近づいてもそんなに逃げません。人間に慣れているのかな?
特産品の販売所では、郷土玩具の「キジ車」がありました。キジ車っていうと、人吉の郷土玩具と思ってましたが、伝説で 「伝教大師(最澄)が道に迷った時一羽の雌雉が現れ光明輝く合歓の霊木に案内した」
とある雉にちなんだ郷土玩具雉子車(きじぐるま)です。
駅に向かって歩いていると清水公民館にてお接待がありました。お茶とお芋の蒸かしたもの。ちょうどお腹も減っており美味しくいただきました。
駅に向かっていると民家のお花が綺麗でしたのでカメラで撮りました。
11:25瀬高駅にゴール。鹿児島本線瀬高駅発11:31で帰途につきました。