よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

伊万里ウォーク20km(佐賀県伊万里市)

2020-11-29 11:22:54 | ウォーキング

11/23(祭)佐賀県伊万里市で行われる「伊万里ウォーク」に参加しました。コロナ禍で県外の大会に参加するのは、2月の沖縄浦添ウォーク以来です。

   

私達が参加したのは、伊万里湾はちがめコース20km。はちがめというのは、伊万里の方言で「カブトガニ」のことです。生きた化石といわれるカブトガニは、伊万里湾で生息しています。

会場は国見台陸上競技場。参加者は約150人ぐらいかな?受付では、コロナ対策として検温、手指の消毒、アンケートの提出などが行われました。

 

9:00 佐賀県ウォーキング協会の方の大きな声での「激」でスタート。

 

  

競技場をスタートして国道202号線を歩きます。

   

松浦鉄道西九州線沿いに歩きます。

  

   

最初の休憩所が里公民館です。飴玉をいただき再スタート。公民館の先には、「青幡神社」です。

 

青幡神社のクスノキは、樹齢約1000年で松浦党ゆかりの神社です。これは、松浦党二代源直が党の始祖を祀るとともに領地鎮護の為建立しました。

 

最初のチェックポイントは、松浦一(まつうらいち)酒造です。チェックは、ゼッケンにステッカーを貼ってもらいます。

 

松浦一酒造は、正徳6年(1716)に創業されました。松浦一という名前は、松浦地方で一番になりたいという願いが込められています。(伊万里は松浦半島の中にある)

この蔵元には、屋根裏から出てきた河童ではないかといわれるミイラが水神様として祀られています。

 

松浦一酒造を出て歩いていると、どうも町の風景が旧街道みたいです。調べてみると、楠久・楠久津地区は、寛永19年(1642)に佐賀藩が海上交通の要衝であった伊万里湾の抑えとして

番所を整備。両地区には船奉行宅地、本陣、寺社などが50箇所点在しています。後には、伊万里で掘った石炭を船出していました。

伊万里市内には、昭和30年代には中小の炭鉱が10社以上あったそうです。

  

楠久から伊万里湾大橋を目指します。

 

伊万里湾大橋は、全長651m。橋には、伊万里焼の茶碗が埋められています。

  

橋を歩いていると、しまなみ海道を歩いているような錯覚にとらわれます。

 

橋を渡ると急坂です。

 

ここから3kmぐらい伊万里湾沿いに歩きます。夢りんりんロードと呼ばれています。

  

途中、川副新田、川副綱隆候の碑がありました。瀬戸地区は、江戸期より塩づくりが代々行われていたが、水田が少なく、川副綱隆は、堤防を築き干拓事業を行い、明治34年(1901)

広大な水田が完成しました。藤山雷太(元外務大臣藤山愛一郎氏の実父)、森永製菓創業者森永太一郎は学友でした。

 

2回目のチェックポイントは、カブトガニの館です。カブトガニは、生きた化石と呼ばれ、西日本の瀬戸内海、北九州市、大分・杵築、福岡市、佐世保市などに生息しています。

 

カブトガニの漢字は難しく、PCで変換しても出てきません。カブトガニの館の裏には、カブトガニ神社がありました。

  

 

伊万里市の市街地が見えてきました。ゴールまであと8km弱です。

 

伊万里津大橋中央の左右には、「染錦四季草花文大壺」「染錦花見風俗絵大壺」という高さ1,5mの大きな壺が飾られています。これは、江戸期輸出されていた当時の古伊万里の2倍の大きさで

再現されています。

 

ゴールの国見台陸上競技場が見えてきました。信号待ちしていると、左側に森永製菓創業者「森永太一郎」碑苑があります。安倍晋三前総理夫人の明恵さんは、森永太一郎の外曾孫娘にあたります。

 

12:50 ゴールしました。スタートしてから3時間50分でした。ゴール後の抽選では(1等は伊万里牛)明太子が当たりました。

  

今日のGPSです。