12/15(水)今年最後のふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「春日市散策」です。
集合場所は、新幹線博多南線の博多南駅です。参加者は、42名。
新幹線博多南線は山陽新幹線博多総合回送所への回送線を旅客線化したもので、当駅は博多総合車両所構内の西側(着発1番線東京方)にあります。
当駅発着の列車は新幹線車両であるが在来線特急扱いになっており、博多駅からの特定特急料金は100円です。博多駅 - 当駅間の運賃200円と合わせ、同区間は新幹線車両でありながら
片道300円で乗車できます。博多駅までは約10分です。また、車両は、主にこだまのレールスターが使われています。
9:30 ウォーキング開始。
新幹線のガードを潜り春日市に入ります。
春日市は、弥生時代中期には後漢書に書かれている奴国の中心部が春日市内にあったといわれ、市北部の須玖(すぐ)地区では奴国にまつわるとされる遺跡が数多く発見されています。
また市西部では古墳時代の遺跡も発掘されています。。
市の名称は市内にある春日神社に由来します。春日神社は奈良時代、藤原氏の手により奈良の春日大明神を迎え入れ創建されたといわれています。
「春日」の地名は古くは「霞処(かすが)」と書き、「ハルヒ(春日)がかすむ」と言う枕詞から「春日(はるひ)」が「かすが」と読まれるようになったといわれています。
その春日市も来年(令和4年)市政50周年を迎えます。
春日市には弥生時代~古墳時代の円墳や遺跡も数多く残っています。辻畑遺跡は、弥生期の琴が発見されたとか?
辻畑遺跡の近くには、日拝塚古墳もあります。
ウトグチ瓦窯跡:7世紀後半の瓦窯跡です。
ウォーキング開始から約1時間で「白水(しろうず)大池公園」にやってきました。
寛文4年(1664)村の干害用水をお確保するべく、白水池の拡大を提唱したことに始まります。江戸時代から筑前三大大池の一つに数えられています。
今では、春日市が総合市民公園として整備し、公園内には、遊歩道もあります。
写真右の左側には、星の館という天文台があります。
公園管理棟で休憩。
10分後再スタート
春日神社のトンネルを通り、春日神社へ。
春日神社は、後の天智天皇となる中大兄皇子(626年~672年)が長津の宮(現在の高宮)に居られる時、春日の地に天児屋根命(アメノコヤネノミコト)を祀られたことに由来する。
天児屋根命は、春日権現とも呼ばれ、神仏習合の神といわれている。
時は神護景雲二年(768年)。太宰大弐であった藤原田麿は、春日の地に藤原家の祖神である天児屋根命が祀られていることを知る。
そこで参拝した後、故郷である大和の国(現在の奈良)の春日大社から、雷の神・剣の神といわれる武甕槌命(タケミカヅチノミコト)、その武甕槌命と関係が深いといわれる
経津主命(フツヌシノミコト)、姫大神(ヒメオオカミ)を迎え、神社を創建することとなる。(春日神社HPより)
春日神社の祭礼中最大の行事が「婿(むこ)押し祭り」。別名を「若水祭」ともいう。全国的にも非常に珍しい行事で、平成7年には国指定重要無形民俗文化財に指定された。
前年中に結婚した新郎新婦を祝福する行事で、成人の日の前夜、45歳以下の氏子で組織された「三期組合」の人たちが中心となって行われている。
行事の流れは、午後7時15分の左義長(さぎちょう)への点火の後に、子どもたちによる樽(たる)の奪い合いが始まる。続いて、花婿あいさつ、花嫁と花婿の盃など一連の
「宿の行事」が行われる。その後、花婿を含む氏子たちは締め込み姿になっておはらいを受け、神池(みいけ)を舞台に祭りのハイライトである勇壮な「樽せり」に突入する。
もみ合ううちに割られた樽の一片を手にした者は、これを神棚に供え、五穀豊饒(ごこくほうじょう)と開運を祈願する。
樽せりの後は春日川(牛頸(うしくび)川)へお汐井(おしおい)取りに行き、その帰る足でいっせいに拝殿に駆け上がって参拝し、花婿を中心に祝唄を唱和しながら、
まるで“おしくらまんじゅう”のように拝殿の中でもみ合う。その後一団は、左義長周辺へと駆け戻り、最後は神前に供えた「若水」を花婿に注ぎ祝福する。婿押しが終わると左義長の周りに集まり、手打ちをして一連の行事が終了する。
その起源がはっきりしないほど古くから繰り返されてきたこの祭りは、現在の春日市になくてはならない祭りになっている。毎年、参道にはたくさんの夜店が並び、老若男女が大勢詰めかけて春日神社はときならぬ熱気に包まれる。(春日市ウェブサイトより引用)
ゴールの春日公園に近づいてきました。
11:20 春日公園にゴール!
これで令和3年のふくおかウォーキング協会のウォーキング教室は、終了しました。
来年は、1/5(水)の三社詣りウォークから始まります。