よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

9月例会「天道から新飯塚へ」(福岡県飯塚市)

2022-09-05 17:43:25 | ふくおかウォーキング協会

9/3(土)ふくおかウォーキング協会9月例会は、「天道(てんとう)から新飯塚へ」でした。

今日は、朝から怪しい雲があり、いつ雨が降るかわからない状態です。集合場所は、JR天道(てんとう)駅。参加者33名。

天道」という地名が珍しいので調べてみました。

「天道」は、旧嘉穂郡穂波町天道、遠賀川の支流穂波川沿いに位置し、江戸時代は、旧長崎街道飯塚宿と内野宿の間の宿で川舟の水運基地、商業地として栄えた。

天道駅前の県道473号線は、旧長崎街道でした。

天道駅から少し離れた所に「天道(てんとう)宮」があります。御祭神は、大日靈貴命(おおひるめむちのみこと)=天照大神とあり、素盞嗚命(すさののおのみこと)、菅原道真公が合祀

(ごうし)されています。由緒によると、朱雀天皇の承平・天慶の御代平将門・藤原純友の反乱(承平・天慶の乱)の際、源満仲勅命を受けて、先ず将門を東国にて討ち、のちに純友を現在の

大将陣に対陣し決戦を挑む。満仲勅命を奉じ朝敵を討ち祖神の加護を信じ戦うべしと部下に命じて大将陣の麓に祭る天照大神に祈願し、全軍玉串を襟に挿して戦い撃滅するを得たりと言えけり、

即ちこの頃天道神社ありしもと考えられる。今より約千年以前のことなり。

この天道宮から、「天道」という地名が生まれたと思われます。※京都にも同じ「天道神社」があります。関連性は不明です。

 

 

コースは、天道駅から大将陣公園~鶴三緒~遠賀川河畔~JR新飯塚駅ゴールの約10kmです。

然し、今日はいつ雨が降るかもわからないので大将陣公園は、パスすることにしました。

9:40 コンビニをスタート。

 

天道地区は、ホルモン料理のお店屋さんが多くみられます。

  

行けなかった「大将陣公園」(下見したときの写真を使っています)

 

大将陣山は天慶4年(941)源満仲が藤原純友の反乱討伐の勅命を受け、当山に陣を置き天道の加護により亡ぼそうと西麓に日天子を勧請し祈ったので、大将陣山と称したと伝えられています。
園内にはおよそ2,500本のソメイヨシノが植えられており、毎年桜まつりが開催され多くの花見客で賑わいます。
山頂には大将陣スタードーム(天文台)があり、第2、第4土曜日に観望会を行っています。(飯塚市観光ポータルより)

 

コースは、平恒地区へ。

 

平恒は、もう廃止になりましたが、上山田線(飯塚~田川川崎間)がありました。平恒駅があった所です。

 

南尾交差点から入ると「大起(おおだち)関記念碑」があります。当地出身で身長194cm、体重187kgと当時としては大型の力士で昭和30年(1955)には、東小結まで昇進しました。

  

大起関記念碑の横には、「皇大神宮」があります。ご祭神は、大日靈貴命(おおひるめむちのみこと)(天照大神)です。

当初は山上の最も高い所(元宮)にありましたが、老人・子供達の参詣に不便なため、江戸後期に伊勢谷76番地に移転しました。然し、その後住友忠隈炭鉱の発展拡張により、伊勢谷76番地の

境内地をボタ山用地として供することになり、大正10年(1921)3月現在地に移転しました。

 

 

忠隈地区に入ると雨が降ってきました。参加者の皆さん一斉に傘をさして歩きます。

忠隈は、筑豊本線貨物支線の駅がありました。また住友忠隈炭鉱があった所です。

忠隈炭鉱は、明治18年10月から麻生太吉が経営に着手していたが、明治24年と翌25年に続いた大水害により甚大な損害を受けたうえに、大断層に突き当たって出炭不能となり資金も底をついて

苦境に立たされた。それを明治27年4月、住友が麻生太吉から買い上げ再開発した。それから70有余年、住友忠隈炭鉱は昭和36年9月30日閉山。その住友忠隈炭鉱を継承した第二会社の

忠隈炭鉱株式会社も、昭和40年8月20日鉱業権を放棄。こうして忠隈炭鉱は完全に閉山した。

 

 

 

忠隈炭鉱のボタ山は、筑豊富士と呼ばれています。この日は、雨で視界が悪いので見ませんでしたが、昔の写真ですが、下記のような山です。

飯塚消防本部、筑豊自動車試験場を経て鶴三緒橋のコンビニで休憩。

  

休憩後再スタート。

 

 

雨が本降りになってきました。

 

11:23 新飯塚駅にゴール。今日のコースは、ショートカットしたため約7kmのウォーキングでした。