よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

楽しいウォーク「長崎街道・三国境、健康さやわかウォーク」(福岡県筑紫野市)

2024-05-05 18:45:26 | ふくおかウォーキング協会

4/24(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「長崎街道・三国境、健康さわやかウォーク」でした。

今日は、朝から細かい雨が降っています。

集合場所は、JR原田(はるだ)駅、参加者は33人。

 

細かい雨も上がり9:30スタート。原田宿は、長崎街道の宿場町。原田宿の起こりは明らかではありませんが、寛永15年(1638)正月、島原・天草一揆鎮圧に向かう松平信綱公の軍勢が

原田に宿泊した記録(「黒田家譜」)がありますので、この頃には宿場ができていたと考えられています。

 

筑紫神社は、「筑後国風土記」に記述されていることから、奈良時代以前から鎮座すると推測され、筑紫地区で最も古い神社であり、神号は筑紫の国の國號起源といわれている。

「筑紫」の名は、古事記・日本書紀に重要な地名として登場し、「筑前と筑後の境となる山に荒ぶる神がいて、峠を行き交う人を多く取り殺していた。それを鎮めるために筑紫の神として

祀った」ということから、筑紫神社、ひいては筑紫の呼称の起源とされている。古より「筑紫」は九州全体を表す地名とされていることから九州の総社とも称されている。「延喜式」神名帳では名神大社に列せられており、高い格式の神社として朝廷より尊崇されていた。(ふくおかナビより)

 

 

 

九州歴史資料館で休憩

 

一ノ口遺跡は、小郡市と筑紫野市に拡がる三国丘陵の南部の丘陵部(標高30~50m)端に位置する。小郡・筑紫野ニュータウン建設工 事に伴う発掘調査によって、

縄文時代~古墳時代を中心とする集落遺跡が検出された。住居跡や土壙内から7点の石器が検 出され、報告されている。 昭和57年度以降、数多くの弥生時代遺跡が

確認されている。当遺跡の周辺は、北部が標高70~80mの開析の進んだ痩 せ尾根が広がり、南部はその尾根から派生する丘陵が標高35~50mの舌状のゆるやかな丘陵群をなしている。この丘陵 群には、いずれも弥生時代の集落が営まれており、膨大な数の甕棺墓、竪穴式住居跡等々が発掘され、土器石器に混じって 当時の動植物の骨・種なども出土している。道状の遺構や集落を囲む柵列もあって、当時盛行を保っていた有力なムラの一 つだったと考えられる。(小郡市埋蔵文化センターより)

 

 

 

 

三国境は、江戸時代の筑後国(小郡市)、筑前国(筑紫野市原田)、肥前国(佐賀県三養基郡基山町)のことで、その三藩の国境に建てられたのが「三国境石」です。
現在では消滅していますが、江戸時代はこの付近は三国坂と呼ばれた険しい峠だったようで、その峠に建っていました。現在の東明館小学校の敷地に当たります。
また、この近辺には三藩の内それぞれ二藩の境界線を示す境石が、いくつも建てられていたそうで、一部は今でも残っています。

 

三国境から九州道基山PAへ

 

基山PAで仮ゴール。基山PAからは、福岡・天神、博多駅方面のバスがあります。

私は、JRで帰るので本来のゴールJRけやき台駅に向かいます。

 

せっかくここまで来たのですから、けやき駅近くのラーメン屋さんに立ち寄ります。昔はよく通っていたのですが、何十年ぶりぐらいに行きました。