よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

やさしいウォーク「博多旧市街・まちなか歩き」(福岡市博多区)

2025-01-19 11:32:26 | ふくおかウォーキング協会

1/9(木)ふくおかウォーキング協会やさしいウォークは、「博多旧市街・まちなか歩き」でした。

よく県外の方に福岡と博多の違いを聞かれます。

博多は商人の町、福岡は、関ケ原の戦いで功を得た黒田長政が福岡城を建てたので福岡は、城下町です。

博多は、昔から大陸への貿易港として栄えましたが、戦国時代度々の戦火で焼かれ、豊臣秀吉の太閤町割りで博多商人の協力の下、博多の町が整備され、今日の博多の基盤となりました。

「福岡」という名は、黒田家のルーツである岡山県瀬戸内市長船町福岡からです。(下図は、博多の太閤町割り、岡山県瀬戸内市長船福岡)

 

明治になり福岡が市制を開くとき、市の名称を「福岡市」か「博多市」にするか、議会でもめましたが、結局議長採決で「福岡市」になりました。

代わりにJRの駅は「博多駅」になりました。

また、工芸品やお菓子や食べ物にはよく「博多」が使われます。博多人形、博多バサミ、博多もつ鍋、博多ラーメン、博多明太子、博多あまおう、博多ぶらぶら・・・など福岡という名がつくものは

ありませんね。「博多」というと、古い町で皆が知っているというイメージがあるからそんなネーミングになったのかな?

「福岡」というと、福岡・北九州・京築・筑豊・筑後など広域的なものを含みます。

 

今日のウォーキングは、その博多の旧市街を歩こうというもの。

集合場所は、博多駅の音羽公園。今朝は、寒く時々小雪が舞っています。参加者23人。

9:35スタート

 

 

住吉神社は、相撲の神様です。九州場所には浅香山部屋(魁皇)の稽古場になります。

 

キャナルシティを通り、博多の総鎮守「櫛田神社」へ

 

この日は、外国の団体さんが多くお詣りに来られていました。

 

 

駄菓子の卸問屋「遠藤商店」。店内を見ると懐かしい駄菓子がいっぱいです。

綱敷天満宮は、菅原道真が大宰権帥に左遷されて赴任の途中、袖の港に上陸した時、住民達が綱で敷物を作り出迎えたと言われている。その後、その場所に社殿が建ち綱輪(つなわ)天神と

呼ばれた。現在、社名は綱敷天満宮となり、社殿所在地の町名は綱場(つなば)となった。

 

このあたりから雪が降ってきました。積雪まではなりませんが、寒くなってきました。

中洲国廣神社は、ビルとビルの間に挟まれた神社です。毎年10月に行われる「中洲祭り」では、500人の女性が神輿を担ぐスタート地点になっています。

 

那珂川横の薬院新川が博多部と福岡部の境界です。ここから福岡部に入ります。

 

福博であい橋  福岡の「福」と博多の「博」から福博であい橋と名付けられました。

この橋では、NHK朝ドラ「おむすび」で主人公の結が書道部の先輩と待ち合わせた場所、また、博多ギャル連合が大勢で闊歩しているシーンです。

 

東屋には、博多どんたくの「傘鉾」をイメージしています。

 

福博であい橋を渡り再び「博多部」に入ります。川端商店街には、博多で一番甘いぜんざいで有名な「川端ぜんざい」

川端商店街から「冷泉荘」に向かいます。

冷泉荘は、1958年(昭和33年)、当時最先端の鉄筋コンクリート民間集合住宅として建てられるも、時代の変遷とともに老朽化、2000年頃にはスラム寸前のアパートとなって

しまった「冷泉荘」。このままではと一念発起し、2006年、東京・青山の同潤会アパートをモデルにアーティストやクリエーターが集まる3年限定のチャレンジの場として再生。

巨大流しそうめん大会や七夕祭り、ワインと共に音楽や演劇を楽しむ周年パーティなどさまざまなイベントや交流が生まれ、建物に活気が満ち溢れてました。(冷泉荘パンフより)

2024年には、国登録有形文化財(建造物)に登録されました。

私、冷泉荘の名前は知っていましたが、実際行ったのは初めてでした。

 

11:20 冷泉公園にゴールしました。 今日のGPSです。

 

 

 

 


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