(その1)からの続きです。
行人坂から歩いていると、「大日堂」の看板があります。この辺りは、三ヶ野七つ道といって、鎌倉古道、江戸道(東海道)、質屋に通った道といわれる質道、明治の道、大正の道が残され、
昭和(国道1号)、平成(磐田バイパス)の道が整備されています。ここは、江戸道(東海道)を通ります。
戦国時代の初め頃は、遠江地方は、駿河の今川氏の支配下におさめられていましたが、今川氏滅亡後は今川氏に代わって家康によって治められました。
ところが、元亀3年(1572)上洛を目指す甲斐の武田信玄が遠江へ進出し、木原に陣を布いた。これを迎え撃つため徳川勢は浜松城を出て、三ヶ野、見附宿、一言坂と戦った。
この大日堂の高台には本多平八郎物見の松と伝えられる大松が存在していた。この丘陵に立てば太田川から遠く袋井まで一望できた。
江戸の道は、木が生い茂って日陰になり歩きやすかったが、100mぐらいしかなかった。
下りてくると、「東海道松並木」があります。太田川の三ヶ野橋を渡ります。地図では、右手に須賀神社の大楠があると書いてますのでそちらに向かいます。
須賀神社の大楠は、樹高15m、枝張り25m、幹回り9,5m樹齢500年以上のお大変大きな楠です。
街道は、袋井市に入りました。袋井市は、東海道の27番目の宿場で江戸からも京からもちょうど真ん中に位置しています。現在の人口は、約87、600人。
歩いていると「どまんなか」の文字がいろんなところに書いてあります。
歩いていると「木原畷古戦場跡」があります。木原は、元亀3年(1573)武田信玄が徳川家康を破った三方原も戦いの前哨戦(木原畷の戦い)の地として知られています。
6年後、徳川の様子を探っていた武田の家臣、笹田源吾を村人たちが討ち取ってしまったところ、疫病が流行ったため、村では、念仏を唱え、源吾を懇ろに弔いました。これが木原大念仏の始まりです。
許禰(こね)神社は、昔、大雨に悩まされていた村を救うため熊野の神が現れて神社を造るよう促し、「木原権現」(許禰神社)が誕生した。また、家康がこの宮に参拝し、関ヶ原の戦いの勝利を祈願し、
心願成就して70石の所領を与えた。
袋井の川井地区に入りました。寺澤家の長屋門は、明治元年(1868)に建てられたそうです。
澤野医院記念館は、江戸時代から地域医療を担ってきた澤野家を顕彰する記念館です。安政の大地震の後再建された居宅、大正から昭和にかけての洋館や病棟が整備され、私設病院の
往時の姿を肌で感じることができます。
袋井の東海道には、いろんな絵師が描いた浮世絵が掲げられています。御幸橋を渡ると袋井宿の中心に入ります。
1843年の資料には、袋井宿は、家数195軒、本陣3軒、旅籠50軒、人口843人でした。
袋井は、丸凧も有名です。諸国名所百景には、丸凧を上げる様子が描かれています。
観福寺(へそ寺) 袋井の地名の元となった、袋井山観福寺は、曹洞宗の寺院で、袋井宿の中央にあることから「へそ寺」と呼ばれています。
境内に住んでいた子狐が観音様の思い召しで人間の姿になり、義経と常盤御前を引き合わせたと伝えられています。
袋井宿どまん中茶屋です。広重が描いた「東海道53次袋井出茶屋ノ図」をモチーフにして建てられた、旧東海道を往来する人たちの憩いの場所です。
入ってみると、冷たいお茶を出され、暑い中歩いてきたので生き返るような気分です。
しばらく談笑していると、地元の方で百街道を踏破したAさんが来られました。これから先歩く所の注意点などを教えていただきました。
それから袋井の江戸時代から続く名物料理「たまごふわふわ」のお店を紹介していただきました。
教えられた袋井駅前のお店に行くと、もうお昼の休憩時間になっていました。「たまぼふわふわ」だけでもいいからお願いできないかというと、快く引き受けていただきました。
たまごふわふわです。「たまご」と「だし汁」だけのシンプルな料理ですが、よく出汁がきいており、おいしかったです。
さて、台風3号ですが、夕方ぐらいに静岡接近するそうです。浜松地方は夕方から雨の予報になっています。風も少し強くなってきました。
駅にも近いし、早いけど今日は、ここまでにします。
暑い中の、街道歩き、本当に大変だったと思います でも、ここまでは台風の影響も無いようで良かったですね
(私たちも、暑いときにはお遍路さんはお休みです・・・・)
半分まで、進まれたのですね
小さな一歩でも積み重なれば大きな歩みになるんだなぁと感じさせていただきました
詳しい街道のレポートもですが、私は「たまごふわふわ」が非常に気になりました 想像するよりきっと美味しいのだろうな 涎が出そうです
ところで、先週の雨は被害は有りませんでしたか?北九州は今までにない大雨でビックリでした。自然は恐ろしいと改めて感じました でも、ウォーキングで歩いた宝珠山の風景が全く変わってしまっていたのが言葉にならないくらいでした
東海道も半分が過ぎました。これから富士山にお目にかかれるのではと思っています。
「たまごふわふわ」ですが、出汁の上にふわふわ卵がのっているシンプルなものですが、これがなかなかおいしいです。昔の人は喜んで食べていたでしょうね。
Aさんは地元TVでも時々話題にもなった地元では知られた方です。
江戸時代の食べ物「たまごふわふわ」、古文書を頼りに数年前に復活、自分たち夫婦も食べに出かけましたよ。
美味しかったです。
また、次の日Aさんと会うのです。次回のブログで公開します。
たまごふわふわは、おいしいですね。14時を過ぎていましたが、九州から歩いてきているというと作っていただきました。休憩時間を過ぎて申し訳なかったです。