風が強い。
24時間チャリティランから1週間。
「先週末が今日みたいなよい天気だったらなあ。」 と思う反面
「花粉症が悪化してつらかったかも。」 とも想像する。
だから、あれはあれでよかったのだ。
そう思える自分が好き。(馬鹿って言わないで~)
人が、ツライとか、キツイとか、口にするとき 「○○の時に比べたら」と
相対的な感覚をもとにしているのではないか。
少なくとも私はそうだ。
いまだに、走っていて向かい風が強いと「あの時の荒川に比べたら」
「あの時の荒川の強風を10としたら」と、 2006年の荒川市民マラソンに
比べてしまう。 それで、「あの時に比べたら大した事ない。」 って
頑張れることも多々ある。
先週末も雨や寒さがつらかったけど、「東京マラソンの時より温かいぞ。
手指がかじかんでないじゃない。」 と自分を励ました。
「気のせい」 って思うことも大切かな。
大事に至りそうなときは危ないけど、私の場合、決して無理はしないし
気の持ちようで頑張れることがあるので有効なのだ。
幸せや不幸と感じるときもそう。 他人と比べてることが多い。
「あの頃は良かった。」 と自分の過去と比べてることもあるだろう。
となると、絶対的な幸福とか不幸とは…
以前、TV番組で観た障碍を持つ女性の言葉が印象に残っている。
彼女は、生まれつきの障碍に加えて難病に罹ってしまうのだが、
「自分は不運だと思ったことはあるけど、不幸だと思ったことはない。」
と笑顔で言い切った。
自分の気持ち次第なんだな、すべて。
閑話休題。
去年の10月の岩手24時間チャレンジランの時、最後の3周が
一番気持ちよく走れた。今回の24時間チャリティランも同じ。
たぶん、もうコレで終わりという開放感から来るものだと思う。
足がダメになっていないので、気持ちが盛り上がりさえすれば
復活のノロシを上げることができるわけ。
今回は30分ほど残して終了としてしまったけど、最後の1周は快走。
ゴール(自分にとっての) は、ラストスパートまでしちゃった。
時間を残していたから、両手を挙げてのゴールはさすがに憚られた。
でも、気分はガッツポーズ。
また、24時間ラン出たいな。
私は走るのが好きというより、そういうツライことを
さらっとやる自分が好きなだけ。
不純なランナーだな。
________________
それにしても、私の身体は一体全体どうなってるのやら。
フルマラソン(東京マラソン)、中5日で24時間ラン115.5km だ。
それだけでも、「!」なのに、無傷だ。ダメージなしだ。
筋肉痛すらない。
どちらかというと、東京マラソンの翌日の方が疲れが残っていた。
東京マラソン後の5日(月~金)も、24時間ラン後の5日も、
エアロビクス60分を5本やってる。
今日も、やれって言われたらフルマラソン走れる。
24時間ランもイケルかも。
(誰も言わないだろうけど)
このパワーをすべてマラソンに注いでいたら
もっと速く走れるのかな。。。