このところ毎日ブログを更新しているので、震災から3年目の今日は何を書こうかと思いながらつらつらテレビを見たりしていたけれど、なかなかことばが出てきません。
こんな自分がちょっとひきょうにも思えるのだけれど、あの日のことは忘れようにも忘れられないだろうと思うほどショックで、なんていいながら私は被災地に行ったこともなく、知人を亡くしたわけでもなく、地震の瞬間も横浜のこの自分ちにいて、ただ揺れが怖くて、その時座っていた椅子には怖くて座れなくなってしまったのだけれど。
起きていることが知りたくてテレビをつけっぱなしにしていたら、津波が来て、そのまま実況中継みたいになっちゃって、息が止まりそうになりながらずっと見ていました。
人や車が流されていってたようすをそのまま映していたあの画像は、その後もう使われなくなってしまったようです。私の知る限りでは。
でもあの時画面を通してだけど見たものは、今でも目の奥に焼き付いています。忘れられません。
震災の前の年、私は抜け殻みたいになっていました。
その数年前、両親を続いて亡くし、そして誰も住まなくなった実家を処分したのがたぶん、きっかけでした。
大好きな京都の帰れるところがなくなって、そして両親がいなくなったことをその時強く実感し、自分の根幹を失ったようで生きる気力をなくしていました。
家族やたくさんの友だちがいるのに、この世の中で独りぼっちになった気がして、茫然としながら日々を送っていました。
でも、3年前のあの日があって、私は強く生きようと思いました。
私にはいのちがあるのだと、こうして生かしてもらっているのだと、それを粗末にしてはいけない、力いっぱい生きていこうと思いました。
その時はなにをしたらいいのかわからなかったのだけど。
そうしているときに、「被災地応援おばんざいランチ」の話が飛び込んできました。
ランチの売り上げを義捐金にする、そのチーフをしないかと。
おばんざい・・・。毎日作って食べている普段のごはんやおかず、それを作ってほしいと言われ、そんなもので人様に喜んでいただけるのならと、そして被災地支援にもつながるのならとやらせていただきました。
その時はまだ「ごはんやひとみ」もありませんでした。
私の中ではずっと有った言葉なんだけどそれだけのもので、この1年後「開店」、今に至っています。
抜け殻だった私でしたが、この3年間で作りだしたものはとても大きいです。
このブログもなかったし。
いのちがあること、生かされていることに感謝し、毎日一生懸命生きること。出会いに感謝しご縁を大切にていねいに生きようとすること。
これが私にとってこの日を忘れないということです。
そして、「ごはんでたくさんの人とつながっていけますように」
その思いでこれからも人とかかわっていこうと思います。
ていねいに生きる・・・とか、書いたけどなかなかできないんですけどね。
さっきふと外に出て、さくらんぼの木を見上げてみました。
ここんとこの寒さでなかなか開花が進まないのだけれど、夜の寒さの中でも懸命に咲いていました。
枝の間にはきれいなお月さまが見えました。
うまく撮れなかったけど、ちっちゃく写っているんですよ。
お月さま、私たちをこれからも見守ってくださいね。
来年はもっと安らかな日本になっていますように。