昨日は朝からずっとTVやラジオで、阪神淡路大震災関連の報道がなされていました。
そうか、もう20年・・・。
ふりかえればあっと言う間のように思えて短くない、20年が経ったのですね。
あの日、私は娘の出産で帰省していた京都の実家で、長男と蒲団を並べて寝ていました。
その時に激しい揺れが。
そう、京都でもかなり揺れました。
花瓶の入っていた戸棚のガラス戸が開き、花瓶が次々と落下して割れて凄い音が響き渡り、2階で寝ていた父が慌てて降りてきました。
私は思わず横にいた長男の上に覆いかぶさっていたのだけれど、父が降りてきて初めて、反対側にベビ―ベッドで寝ていた娘に気がついた次第。
真上には壁につるされた小判の額(昔の家によくあったでしょう・・・)。
さいわいながら落ちないでいてくれて、娘はそのまま寝ていました。
・・・という、笑い話にもならない、間抜けだった私。
娘はその時生後2週間。1月2日が誕生日なので、2人目とはいえ必死でいた頃。
だから、テレビや新聞で信じられない光景を見てショックで不安だったことは覚えているけれど、半分は自分のことで必死だったのも事実。
その中で、私の従姉が被災して、家具に挟まれたけれど奇跡的に助かった・・・という報せは、状況を思い浮かべるのが恐ろしいほどの気持だったけれど、本当に本当によかったと胸をなでおろしたのを覚えています。
あのとき乳飲み子だった娘が先日成人式を迎えたのだ・・・ということは20年ですものね。
あの1995年の1月にこの世に生を受け、無事に今成人した娘のことと、その一方で同じ1月にいのちを落としたたくさんの人がいたことと。
それを思うと、娘のことも自分のことも、今こうしてこの世に生きていることにもっと感謝しなくてはなりません。
昨日一日を通して、成人式を終えておめでとうとお祝い気分だったものが、もっと敬虔な思いに変わった気がします。
いのちの大切さをかみしめ、今こうして生かしてもらっていることに感謝し、ここからまた一日一日を大切に生きていきたいと思います。