お盆です。おばんです♪
前に関西出身の友だちに「おばんです」ってメールしたら、「誰がオバンやねん」って返信が来て、笑ってしまいました。
わかるかなあ・・・きっと、わかるの関西人だけだと思うけど、このセンス、ナイス!!って、それ以来、私、その友だち、ものすご尊敬しています(^^)
と、軽い書き出しになりましたが、本当は胸の奥をきしませながらお盆を迎えました。
今年のお盆はそれぞれいろんな思いで過ごされているんじゃないかと思います。
被災地の初盆を思うと本当に心が痛みます。
また、最近亡くなられた、身近な方の悲しい報せを、数日前に聞きました。病気でも事故でもなく、突然だったそう。つい2ケ月ほど前に会ったばかりなのにと思うと、信じられません。
まだ四十九日にもならないので、初盆にもならないとのこと。
いろいろな方への思いを馳せながら、お盆を過ごしています。
数年前まで、「お盆」といえばずっと、「里帰りするための楽しいお盆休み」のことでした。
それが、ここ数年で両親が亡くなり、去年7月、実家を手放したことで変わりました。生家がなくなるのはとても悲しいことでした。手放すまではわからなかったけれど。
少しそのことを書いてみます。
去年の夏、お盆を過ぎた8月の終わり、京都に行きました。
ある予定があったのでそのためでしたが、お盆に行けなかったお墓参りもしにいきました。
大好きな京都。
新幹線を降りて構内を歩いているときに、急にものすごい寂しさが襲ってきました。
以前なら、京都に着いたらすぐ両親に「ついたよ」と電話を入れていました。そして、実家に向かう、それがいつもの京都でした。
でも、あーもう私にはそうして「ついたよ」と電話をする相手も、出迎えてくれる、待っててくれる人も、帰る場所もないんだなあ・・・そう思うと、もう何もできなくなって、ただただ駅で立ち尽くしていました。
そして、私はひとりぼっちになったんだ・・・と思いました。
ひとりぼっち・・・っておかしいですよね。
そんなはずはないんです。
私には家族も、友だちも、親戚も、血を分けたきょうだいもいるのに。でも、その時はそうとしか思えなかった。
言葉では表現できない思いを抱えながら、両親のお墓、そして、先祖のお墓を参りました。
そして、それからの私は何だか気力を失ってしまい、横浜に帰ってからもずっとぼおっとして、自分が空っぽになってしまった気がして、でもそれでは毎日暮らせないから、何とか笑おうとして、でもうまくいかなくて、表向きには普通でいたかもしれないけど、どんどん内省していく、そんな毎日を送っていました。
ほんの一年前、ちょうど一年前のことです。
「明けない夜はない」・・・と言います。
それは、人に希望を与える言葉なのかもしれません。
でも、私にとっては、とても辛い響きでしかありませんでした。夜、布団に入るときに「このまま朝が来なければいい」・・・毎日そう思っていました。
朝が来て、目が覚めて、「あー、また新しい日が来てしまった。また一日を過ごさなくてはいけない」本当にそう思っていました。
何とか家事をこなし、人と普通に顔を合わせて用事もこなしていましたが、言い知れぬ不安がいつもありました。
ごはんの味もわからなくなって、何とか作ってはいましたが、「まずい。何、これ?」と言われることもしばしば。
私はどうなっていくのだろう・・・、本当にわからなかったです。
でも、今、私はこうして、毎日楽しく暮らしています。日々、楽しいことを見つけるのがおもしろく、人と会うこと、新しい出会いも、旧知を温め合うことも本当にうれしく、こうして思いを言葉にすることもできるようになりました。
ほんの数か月前までは考えられなかったことです。
やっと自分を取り戻した、そういう気がしています。
ただ、もしかしたら、またダメになるんじゃないか・・・そんな気持ちはまだ心のどこかにあります。
だから、このお盆は横浜でごく普通の日常を過ごしています。
今年もお盆にお墓参りできなくてごめんね・・・そう思いながら、行こうと思えば京都くらい日帰りでも行ける・・・そう思って。
京都のこと、両親のことも、母に教えてもらった料理や梅干しのことも、こうして書けるようになったけれど、実は土曜日、梅を梅酢に戻しながらボロボロ涙が溢れて止まりませんでした。今年はうまくいきそうやわ・・・そんなことをもう電話することもできないんだな、と思って。
やっぱり今年は横浜にいてよかった・・・そんな気がします。
おぼんです、おばんです、誰がオバンやねん・・・何だかこればかりを繰り返し、そんなしょーもないことをメールしてくる友のありがたさを思い、ここを読んでくれる人の顔を思い浮かべ、見知らぬ人にも思いを馳せ、あっちこっちに心が飛ぶ、そんな今年のお盆です。