突然、果てしなく古いできごとを書き出す私ですが、今回もまた遡っています。
大切に書きたいこと、心に深く刻みつけられた日のことは丁寧に書きたいと思って、そのまま延々と書けないまま過ぎている、そんなことがたくさんあります。でも、やはりことばで残しておきたい、そう思うことのひとつです。
しばし、お付き合いくださいませ。
昨年12月のこと、横浜高島屋7階美術画廊にて開催されていた、京都・桂窯 檜垣青子先生の茶陶展にお伺いしてきました。
先生に初めてお会いしたのはもう7年以上も前のこと。
桂窯は私の実家のあったところのすぐ近く。たまたま私の両親の代から懇意にさせていただいている方をよくご存知とのことで、そういうご縁も重なり、関東での茶陶展には毎回伺わせていただいたりして、勉強させていただいています。
きれいだとか好きとか嫌いとかくらいの感覚でしかまだわからない未熟な私ですが、ほぼ毎年足を運ばせていただいていると、「これは新しい色づかいだなあ」とか「今年は少し小ぶりなものが多い気がするなあ」とか、私なりの楽しみ方をさせていただいています。
強さ、やわらかさなど様々な表情の茶陶の数々。思わずかわいい!と口に出したくなるようなもの・・・など、ずっと拝見していたくなる楽しい茶陶展で、私はいつも何度もぐるぐる回ってひとつひとつをじっくり拝見させていただきます。
今回最終日に伺ったら、たまたま混んでいない時間だったようで、先生とゆっくりお話をさせていただくことができました。
この茶陶展のためにお作りになったという「青子」の焼印の入った薯よ饅頭のふかしたてと先生のお茶碗でお茶をいただいて、楽しいお話のひととき。気がつけば小1時間も経っていて。この上ないぜいたくで幸せな時間でした。
作品の素晴らしさは私は語ることばを持ちませんが、会場に掲示されていた先生のお言葉に強く惹かれ、何度も読み返して立ち尽くしていました。「ここにあるわよ」とおっしゃって、いただいた図版のごあいさつの中の文章を、ここでご紹介させていただきます。
ひと塊の土に念じます「上手く見せなくていい 器用じゃなくていい
そっと掌になじむ品のいいお茶碗になってね」と
本当はこのあとも感じ入る文章が続きます。
難しいことはわかりませんが、先生のお茶碗は本当に掌にすっぽりとおさまりなじみ、たくさんの思いが伝わってくる気がします。
いただいた図版です。
帰り際、入口のところの写真を撮らせていただこうとしていたら、「一緒に撮りましょう」と言ってくださり、係の方にお願いしてくださいました。
(先生にはブログ掲載のご許可をいただいています)
いつお会いしても美しく、やさしく素敵な檜垣青子先生。この日は最終日ということで洋装でしたが、お着物姿もいつも本当に素敵で、女性としても憧れます。
本当に素敵な時間でした。
私は一昨年、両親の遺してくれた実家を悩んだ末手放し、それで得たささやかなお金を使って先生のお茶碗を求めさせていただきました。
両親と暮らした土地で生まれたお茶碗、両親からのご縁でつながっていた先生の手から生まれたお茶碗。お金はそのうちなくなってしまうかもしれないけれど、両親と過ごした日々を何か形で残しておきたい気がしたのです。
そのお茶碗を私はまだ使えずにいます。自分にはまだもったいないと思うのです。
この日伺ってみて、今年のお正月には・・・と思って帰ってきましたが、そのお茶碗はまだ箱の中で眠っています。先生のお心尽くしの仕覆、それから桐箱にかけられた風呂敷に包まれて。
いつの日か、先生のお茶碗で豊かな時間を過ごそうと思えるその日まで、この日過ごした素敵なひとときを胸に、女性としても人としても精進していきたいと思います。
ありがとうございました。
コメントありがとうございました。
素晴らしかったですよ。点数も多かったので、見ごたえありました。
京都、ぜひご一緒しましょう
すぐそばに両親ゆかりの料亭や、オススメのお寺もあります
秋なら美味しい特産の富有柿も
止まらなくなるのでこのへんで
色々な作品を拝見してみたいです。
いつか、京都の窯にも伺ってみたいなぁ。
その時は上野さん、是非、案内してください!
コメントありがとうございます
そうなんです、ごめんね。ひとりで行ってしまいました
懐かしいですね。私は結局6回も伺って、なかなか満足なものは作れなかったけど、楽しかったですいつかまたご一緒したいですね。
お披露目ですか
使って育てるものだって言いますけど・・・私が育たないとね・・・
精進します
知らなかったぁ…。
最後に桂窯にお邪魔してから数年が経つけど、懐かしい気持ちとともに、また造りたい気持ちがあります。
いつかまた行きたいです。
お茶碗のお披露目、楽しみにしてますよ。
これ以上首を長くしたら、キリンさんになっちゃうよ~