お盆も今日で終わり・・・というのは関西の感覚なのでしょうか。
東京ではひと月前の7月に「お盆ですね」という話も聞いたし、でも、隣の川崎は今がお盆だ・・・と酒屋のおばちゃん言ってたし、そしたらやっぱりこの8月の今全国共通なのは「お盆休み」・・・ということだけなのかしらね。
京都で生まれ育った私は、8月13日から今日16日の期間がお盆だったし、昨日もそう書いたのですが、人の感覚は故郷によって形作られるんだなあ・・・と実感しています。
ここ数日、テレビのニュースや新聞では京都の大文字五山の送り火の話題が盛んに報道されていましたが、無事に点火されたようで、私の知る送り火が見れたのだなあと想像しています。
何事もいい悪いで判断できないこと、当事者でしかわからないことってあると思います。
だから、関東にいてニュースを見るだけではよくわからないし、京都の友人知人にも特に何も聞かなかったけど、きっと心を痛めている人はたくさんいるだろうなあと思って見ていました。
「京都・五山の送り火」は、他の地域の方からは「大文字焼き」とか言われることが多く、祇園祭と同じような感覚で観光のひとつとして捉えられている部分も大きいと思いますが、まさに送り火、お盆の伝統的な行事です。
もちろん、祇園祭も八坂神社のお祭りなので、観光客のためのイベントとは根本的には違いますが・・・お祭りってそういうものですよね・・・、大文字(「大文字焼き」とちがいますえ ^^)はまたそれとはちがう重さを持った行事だと思います。
平たく書けば、「お盆に帰ってきたはったご先祖さんの霊を、送り出す行事」なのだと思います。
よく見えるスポットはあるし、全国ネットのテレビで映るのはそういう場所から見る人たちの様子が多いと思いますが、基本はそれぞれの家や近くから見て手を合わすものではないかしら。
私の実家の2階の物干し場からは「大」の字が見えました。
20時前になると両親と一緒に私たちも物干し場に上がって待ち、ぼおっと点火し始めるのを見つめ、手を合わせ、また消えて見えなくなるまで見守る、そして、今年の夏が終わることをかみしめるのが常でした。
もし、まだ両親がいたら、今年も同じようにして過ごしていただろうなあと思います。
そういえば、数年前飲みに行ったお店で隣り合わせた方は、「大文字保存会」の方でした。(たまたまちょっとね ^^;)
彼はどうしているだろうか・・・ここ数日そんなことを思っていました。
ほんとは今日は、また「青春の思い出」を書こうと思ってました。
また高校生の時ですけど、男の子と「よく見えるスポット」に大文字を見に行ったことがあります。
もちろん浴衣着て、「たくさん見えるところに行こう」って(^^)。
5つ全部見るのはなかなか難しくて、4つ見える出町柳あたりで混み混みの中でぎゅうぎゅう押されながら、またはぐれないように手をつないで。
それでも、それぞれの送り火が点火されたら手を合わせていたなあ。高校生なりの心をこめた祈りだったのでしょう。
夏の夜のむせかえる暑さと空気は、あの頃のせつない気持ちをふぅっと運んでくるかのようです。
祇園祭で始まった京都の夏は、大文字とともに終わっていく・・・きっと今もそうなのではないでしょうか。
私の夏ももうすぐ終わりです。
長く生きてると、その寂しさを何度も何度も経験してるけど、やっぱり毎年切なくなります。
でも、夏は終わるけど
味覚を満喫したり、夜長を楽しんだり、涼しくなって新しいこと始められたり
今年はそんな秋がきっとやってくる。そんな気がしてます。
もちろん私にとっても、
ひとみさんにとっても、ね。
悲しい思い出や、辛い経験は
また少しの間、引き出しにしまっちゃいましょう。
私もこの秋はそんなふうに迎えられる気がします
引き出しは開けるだけではなくて、そうね、しまうものでもあるんだね。いつか懐かしいと思える日まで、有効に活用します
ありがとう