はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

坂本龍一のアルバム『async』

2025年01月18日 | 音楽
2025/01/18


『async』は坂本龍一が2017年3月に
発表したアルバムです。

2014年に咽頭癌を患い
寛解後に初めて製作したアルバムでした。

私はずっとこのアルバムを
聴いたことがありませんでした。

昨年、NHKEテレで
「スィッチインタビュー」(2017年の再放送)
があり、坂本龍一×福岡伸一の対談で
『async』制作の様子を見ました。

このスィッチインタビュー内容に
とても感銘を受けたので
『async』を聴いてみたいと思い
取り寄せました。



届いた『async』を
何気なく聴き始めたのですが
胸を突かれるような悲しみを感じて
しまったのです。

この悲しみは何だろう?

冒頭は短調のゆっくりした静かな曲です。

最初はピアノの音
次にはパイプオルガンになり
それに飛行機のエンジン音のような
車の音のようなものが重なっていきます。

悲しいというだけではなく
なにか寂寥感、絶望、諦観という言葉が
思い浮かびました。

なぜ音だけでそう感じるのだろう。

キーンというエンジンのような音が
たまらなく寂しい。

そんなふうな衝撃を持って
聴き始めた『async』でした。

聴いていくうちに
それぞれの曲に様々な試みが
あることがわかりました。

単なる曲の演奏というものでは
なかったのです。

スィッチインタビューの対談相手
福岡伸一さんによれば
「とても不思議な音楽で、メロディーが
だんだん雑音の中に溶けていってしまう
拡散していってしまう」

楽器の音に自然音や環境音が交錯する。
音楽と自然音の区別がつかない。

坂本は風、雨、街の雑踏などの音を
採取していました。

またピアノの弦の上に金属の箸を落として
偶然に鳴る音を採取していました。

彼はこのアルバムで
ノイズと音楽の境目をあいまいにしておく
ことをしてきたのです。

世界というのは本当は
noise(ノイズ)と名付けられる前の
ノイズだらけの世界でした。

人間の脳の特性としか言いようがないが
人はノイズから何かの意味ある情報を
受け取ろうとする。

それは夜空の星みたいなもので
人間の脳はめぼしい点を結んで
それを星座にした。

星座を取り出すのは言葉の作用です。

ロゴス(言葉、論理)の力によって
世界は切り取られて行く。

ピュシス(physis )とロゴス(logos)が
対立する概念として
「スィッチインタビュー」では
語られていましたね。

音楽を作っていく時
人はノイズを意味のないものとして
排除していく。

しかし
自然が奏でる音は秩序だっていない。
いつだってずれている。

ジョン・ケージは音を人間のコントロールから
解放することを提示しました。


それが人間が管理していない音
自然の音や偶然に左右される音
『async』(非同期)なのですね。


感想に戻りますが
『async』を聴いて最初に感じた悲しみは
このアルバムを通して
ずっと底流に流れているように
感じられるのです。

寛解、復帰後の第1作ですが
病によって心には大きな
悲しみ、空洞が生まれてしまったことを
感じさせるのでした。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスマスイブのスペシャルラジオ

2024年12月25日 | 音楽
2024/12/25


昨夜22:00~24:00にJ‐WAVEで
角野隼斗さんと市川紗椰さんの
ナビゲートで2時間の番組がありました。

告知があったときから楽しみにしていました。


ゲストは宇宙飛行士の山崎直子さんと
ジャズピアニストの上原ひろみさん。

お二人とも角野さんにとっては
縁のある方。

山崎直子さんは角野さんのご親戚だそうですね。
角野さんのお父さんと山崎さんが
いとこ同士だそうです。

そういえば、山崎直子さんは
旧姓が角野なんですね。

宇宙は誰でも行けるわけではないので
お話は「へえ~」と思うことばかりで
珍しくて、とてもおもしろかったです。

宇宙飛行士って心身ともに健康で
バランスの取れた人でないと
できないことですよね。

声だけでも、明るい雰囲気で
温かい方のように感じられました。

角野さんは山崎さんからも
大きな刺激を受けているのですね。


そして上原ひろみさん。

上原ひろみさんは浜松市出身なんです。

むかし話になることをお許しください。

平成6年(1994年)にNHK教育テレビで
放送されていた「ピアノで名曲を」
という番組。

講師はヴェーラ・ゴルノスターエヴァさん。

テキストをまだ持っています。



この番組の生徒として
高校生の上原ひろみさんが
出ていらしたのです。

このテキスト楽譜に載っていた写真です


テキストからの写真



高校が私の兄や夫と同じ。

世代が違うので同時期では
ありませんでしたけど
「北高の子が出ている!」と
注目していたんですよ。

上の写真で上原ひろみさんの隣りに
写っているのはなんと
チャイコフスキーコンクールで
優勝した上原彩子さん!

将来すごいピアニストになる二人が
この番組に出ていたんですね。

まあ、そんな昔話は置いといて。

上原さんの話もとても興味深くて
面白かったです。

普通の人にはできない経験を
しているので、おもしろいのです。

上原ひろみさんの声も穏やかで
落ちついていて
話が聴きやすかったのです。

上原ひろみさんのピアノは
すごく活発で元気な演奏ですが
話声はおっとりしていますね。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

厳しかった昔の音楽指導者たち

2024年10月05日 | 音楽
2024/10/05


高坂はる香著
『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』
感想の続きです。

1948年、中村紘子は3歳のとき
市ヶ谷の東京家政学院に開設された
「子どものための音楽教室」第1期生
としてピアノを始めました。

1953年、紘子が9歳の時
音楽教室は仙川の桐朋学園内に移転しました。

開設当時室長を務めたのは吉田秀和
チェリストの斉藤秀雄、作曲家・柴田南雄
ピアニスト・井口基成、井口愛子。
素晴らしい、一流の講師陣でした。


「4,5歳の紘子が練習に行くのを嫌がった。」
と書かれていたので
彼女のような大成したピアニストでも
いやがった時期があったのかと
思いましたが
その頃の音楽教育はとても厳しかったのです。



(本書に載っていた写真ですが、どう見ても手が変に見えるのですが
私の見間違いかなあ…)


〈井口愛子は当時、大変厳しい教育者として知られていた。
白熱するレッスンの中、
「激昂して平手打ちが飛ぶこともあれば、
情け容赦ない言葉が雨あられのように
降りそそぐこともしばしば」
だったという。
大人になってからも
夢に見るくらいの怖いレッスンで、
前日に40度の熱を出すことがあったのは、
恐らくレッスンに行きたくなかったのだろうと
紘子は思い出す。〉(p.29)

井口愛子


それについて井口愛子は永井進との対談で
〈「私はむきになるのです。
やりかけるといやな音を聴いていられないのですね。
生徒が一生懸命になっていると、
なんとかしてやりたいという気持ちが強くなって」〉
と語っています。

なんとかしてやりたい気持ちは
平手打ちなどで通じるものなのか…

今の教育から考えると隔世の感がありますが。

昔のピアノの先生は怖かったという話を
坂本龍一氏も『音楽は自由にする』
に書いています。

子どもの頃、作曲を教わった男性の先生に
「生徒たちは怒鳴られたり、ひっぱたかれたり、
譜面に大きく×印をつけられたりしていた。」
「みんな叱られて泣いていた」とありました。


ヴァイオリニストの千住真理子さんも
本を書いていますが
恩師・江藤俊哉氏が厳しかったことを
書いていましたね。


多くの音楽家を育てた指揮者・チェリストの
斉藤秀雄氏も厳しい人だったようです。

『キンノヒマワリ』には
びっくりするような記述がありました。

指揮者・秋山和慶氏の話です。
〈学生オーケストラでモーツァルトのピアノ協奏曲を
やることになったとき、指揮は斉藤秀雄、
ソリストは日本音楽コンクール優勝の中村紘子。
当時中3。

斎藤が紘子にテンポの指示を出した時、
「紘子ちゃんは、“あなたみたいな指揮者では弾けません”
みたいなことを言って、
プイと出ていってしまったんですよ。
みんな凍りつきましたよ。
あの怖い斉藤先生がどんな反応をするだろうか。
怒り狂うのではないかと思いましたが、
先生は黙って、自分の部屋に戻られてね。
何分か、熱を冷ます時間を取りたかったようです。」

結局その後、紘子が戻ってくることはなく、
練習は中止。
後日、その代役として井口基成がソリストを務めて、
コンサートは一応無事に行われた。

紘子は後年も、自分の望む音楽表現を
共に目指してくれない指揮者には、
意見をぶつけて反発することは珍しくなかった。
それがデビューしたての15歳の時からだったとは、
やはり驚きである。
度胸と気の強さは人並みはずれていた。〉(p.47)


すごいなあと思いますが
いくら気の強い中村紘子といえども
そんなふうに反抗するなんて
斉藤秀雄の指導にも
なにか良くない点があったのではと
思ってしまいます。

ネットを調べてみると
指揮者・山本直純氏の話が出てきました。

〈門下生だった山本直純によると、
齋藤は喫煙中毒者であり、
ニコチンが切れると苛立って教え子に当たり散らし、
譜面台を蹴り倒して楽譜を散乱させることもあったという。
門下生の小澤征爾は高校時代、
齋藤から指揮棒で叩かれたり
スコアを投げつけられたりするなどの
体罰を日常的に受けていたため、
あまりのストレスから自宅の本箱のガラス扉を
拳で殴りつけ、大怪我をしたこともある。

また堤剛によれば、
指導中にくわえ煙草でチェロを弾くことも多く、
愛器を修理に出した際に
胴体から数年分の灰が出てきたことがある。〉
(Wikipediaより) 



ほんとうに昭和の教育者たちはまだ
軍国主義時代の影を引きずっていたのか
厳しかったのですね😨。

厳しい練習は生徒たちを委縮させ
自由な発想が生まれることを
妨げてしまうのではと思われますが…

18歳でジュリアード音楽院に留学した
中村紘子は、井口愛子に叩き込まれた
「ハイ・フィンガー奏法」を
一からやり直すように言われます。

〈手首を比較的低めに固く保ち、指先を丸く曲げて爪先を鍵盤にほとんど直角に近いような角度で、しかも鍵盤から高く上げて弾き下ろす奏法のことである。そして力は手首でなく、主としてひじを使って抜く〉

〈この弾き方をすると「響きがポツポツと固く、やわらかで甘い艶のある音色を作り出すことができない」ため、ロマン派以降の作品を演奏するには全く適さない。〉(p.31)

〈奏法の面での偏りに加え、のちに紘子が回想するのは、音楽的なイメージについても、生徒が自分勝手に音楽を創ることを戒め、ある意味で「自らの支配下に置こうとした」指導方法だった。〉

〈日本でピアノ教育を受けた若者が欧米に留学し、現地の教授のレッスンで衝撃を受けたこととしてよく口にするのは、先生が音楽性や解釈について自分たちに考えさせ、その意志を大変に尊重してくれるということだ。〉

〈ある作品をどんなイメージで演奏しているのか意見を求め、なぜそのように演奏するのかを問う。そこに確かな説得力があれば、師は、自分と異なる意見でも認めてくれることが、新鮮な経験として語られるのをよく耳にする。〉(p.35)

ひと昔前、日本人コンテスタントたちは
タイプライターのように正確に弾くが
個性がない、といわれていましたね。

それは、自分の意志や解釈が発揮できない
教育法の中で育ってきたせいなのかも
しれません。


今の日本の若いピアニストたちの
のびのびとした魅力的な演奏を見ると
日本の音楽教育も今や世界に誇れる
優れたものになってきているようです。



 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の童謡「虫のこえ」

2024年09月19日 | 音楽
2024/09/19


皆さんのお住まいの所では
虫の声は聴こえますか?

我家では近くに草むらがないので
虫の声が聴こえてくることはありません。

虫の声を聴くと秋の風情を感じるので
それがないのが、少し残念です。


1910年(明治43年)に尋常小学読本唱歌として
発表された「虫のこえ」。


編纂委員が合議して作ったため
作詞者、作曲者の名前はわからないそうです。

明治時代とは、ずいぶん前にできた歌ですが
今も小学校では歌われているんでしょうか?


息子の小学校2年のときの
音楽の教科書には載っていました。




私は秋になるとこの歌をリトミックで使います。

♪チンチロ チンチロ チンチロリン
♪リンリン リンリン  リーンリン
♪ガチャガチャ ガチャガチャ
♪チョンチョンチョンチョン スーィチョン

虫の声を鈴やトライアングル
マラカスやギロなどの
楽器で鳴らして遊べるからです。


前にもブログに書いたことがありましたが
2番の歌詞が
キリキリキリキリ キリギリス 
キリキリキリキリ コオロギや 
なっているものがあって
どちらが正しいのか迷ったことがありました。


初出ではキリギリスでしたが、
1932年にはコオロギに替えられたそうです。

実際の鳴き声を聞いてみるとコオロギは
キリキリと鳴くんですね。
キリギリスはコオロギを指す古語だそうです。


実際の虫の声はどうなんだろうと
知りたくなります。

ネットに動画がたくさんあげられていました。



秋虫の声12選

ひと口にコオロギと言っても
いろいろな種類があるですね。

小さな虫たちの声もいろいろ違いがあって
面白いものですね。

こちらのサイトでも聴けます。


虫の声を聴くと子どもの頃の
暗い静かな夜を思い出します。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人は生まれながらにリズムを予測できる

2024年05月11日 | 音楽
2024/05/11


リトミックでよくやっているのが
「曲に合わせて手をトントンしましょう」

♩ ♩ ♩ ♩

トン トン トン トンと音が鳴ったら
ほとんどの人は同じテンポで
リズムを打つことができます。


何かの曲が流れたら
それに合わせて手拍子を打つのは
それほど難しいことではありませんね。


そればかりか
そのリズム(ビート)に合わせて
足踏みしたり、歩くこともできます。


初めて聴いた曲でこれから
どんな展開になっていくか知らなくても
うまくビートに合わせられるのです。


それはなぜなんでしょうね。


NHKBSで放送された「フロンティア」。
とてもおもしろくて、ためになりました。


脳科学者によると
ビートが繰り返されると
脳の「予測機能」が働きだすのだそうです。




予測することで脳が快感を得ているのです。

ビート以外にもメロディ展開など
音楽は予測アイテムがいっぱいです。

脳は予測の複雑さを喜んで
より大きな報酬を感じるのです。


人は生まれながらにリズムを予測できる
のだといいます。

実験で生後間もない赤ちゃんに
一定のリズムを聴かせて
脳波を測定すると
リズムが一瞬抜けたときには
明らかに脳波の活動に変化が起こります。


(写真はすべてテレビ画面撮りです)

つまり
今、音が止まったとか
さっきとの違いを感じるらしいのです。

生まれて間もない赤ちゃんでも
リズムを予測できるらしいのです。




私も生後数か月の赤ちゃんに
ベビーリトミックをおこなっていますが
以前からそんなふうに感じていました。


メロディの理解はまだ先のことでしょうが
リズミカルなビートが流れると
赤ちゃんは喜びます。

体を揺らしたり手を振ったりします。

「予測することで脳が快感を得ている」
という言葉は特に興味深いです。

パターンを予測するのは
ヒトにとって楽しいことなんでしょうね。



予測が複雑になると脳は喜ぶ

(写真はすべてテレビ画面撮りです)

音楽を聴くと、リズムに乗って
身体が自然に動いてしまうのは
人はそんな習性を持っているんでしょうね。


NHKBSで放送されていた「フロンティア」は
私が興味を持っていた音楽の起源に
ついても触れています。


音楽と認知症の関係
カメルーンの音楽の民による
コミュニケーション方法も
とても興味深いものでした。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする