はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

猛暑日 期日前投票

2024年07月05日 | 日々の出来事
2024/07/05


都心では36℃の猛暑です。

家にいるときはクーラーを使っていますが
今からずっと使っていると
電気代がどのくらいになるのか心配。

かといって、クーラー代を推しむ気も
しない気温です。


ベランダのゴーヤは日光が好き



外に出ただけで汗ばみますが
東京都知事選の期日前投票に行って来ました。




誰に投票するかはもう決めていたので
7日の投票日まで待つ必要もないと思って
早めに済ませました。


廃校になった中学校の建物の中に
投票所があります。

中に入ると蚊取り線香の匂いが漂ってました。
入り口を開放しているので
蚊が入ってくるらしいです。

懐かしいなあ、この香り。

こちらに引っ越して来てから
一度も蚊取り線香を焚いていません。
マンションの中層階には蚊が来ないのですよ。



アガパンサスが咲いてました。



帰りに八百屋で珍しい野菜を見つけました。

紫カリフラワー



私は初めて見ましたが
皆さんは見たことがありますか?

珍しいので、即、カゴに入れました。

紫色はアントシアニンでしょうか。

酢に触れると赤色になるそうで
調理が楽しみ。


熱中症にならないように
クーラーを使いながら
水分を十分とって過ごしましょう。





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京都時代のおかしな思い出

2024年07月03日 | 昔の話
2024/07/03


京都に住んでいたときに経験した
おかしなエピソードのことです。

夏のことでした。

おなかを下したことがありました。
たぶん生の鉄火巻きが原因だったと思うのです。

2,3日たっても治らなかったので
近所のお医者さんに行きました。

当時はネットで医院を検索する時代ではなく
電話帳もなく(電話がない下宿でした)
近所のこともよく知らなかったので
下宿から一番近い医院に行きました。


古びた建物ではありましたが
M田医院という看板が出ていました。

玄関を入るとお婆さんが出て来て
取り次いでくれました。

しばらく椅子に座って待っていると
診察室に呼ばれました。

診察室にはお爺さんの医師がいました。

私がお腹を下したというと
そばの診察台に寝るように言われて
横になりました。

たいした診察はなかったと思います。
服の上からお腹を押してみるくらいの
ことしかしなかったと思います。

すると老医師が言ったのです。

「あなたは腸結核だ」

その言葉にビックリしてしまいました。

「腸結核ですか?」

本当にそう言ったのですよ。

そして粉薬の入った白い袋を渡され
お金を払って、帰ってきました。

狐につままれたような気持ちで下宿に戻って
一緒に住んでいたコに
「腸結核って言われたわ」と話すと
「同じ家の中に結核の人がいるなんて心配。
別の病院で、もう1度調べてもらって」
と言ったのです。

それもそうだと思い
次の日、別の医院に行きました。

中年の医師に、今の症状と
「近所のM田医院で腸結核といわれたんです」
と言って、もらった薬の袋を見せました。

薬の袋に医院の名前と
住所、電話番号が書いてあったのです。

腸結核と聞いて医師は
驚いたような、あきれたような顔をして
私の顔と薬の袋を見ました。

でも一言も発しませんでした。
M田医院についても何も言いませんでした。

そして検査をなにかしたのかもしれませんが
このあたりのことはよく覚えていません。

ただ、腸結核ではないといわれて
胃腸薬らしきものをもらって帰ってきました。

おなかの具合は
その頃にはもうだいぶよくなっていました。

あれからン十年も経っていますが
腸結核らしき兆候はありませんね。





あのM田医院って何だったんだろうと
ときどき思い出すのですよ。

もう廃業していた医院だと思うのです。

ただ医院の看板をはずしていなかったので
何も知らない私が入っていったのです。

確かに医院の待合室には誰もいませんでした。

でも、診察室は古びていたものの
診察室らしさはあったのです。

腸結核というのは
どうしてそういう診断になったんでしょうね。

もう恍惚のヒト(懐かしい言葉)だったのでしょうか
あの老医師は…


痩せて虚弱そうな私は結核のように見えて
おなかを下しているというので
緒結核と思ったのかしら…

わかりませんが
お医者選びに失敗したなと思いました。

「よりによってなんでそんな病院に行った?」
と友達にも言われました。

でも映画の一場面を思い出すようでもあり
私って変なものを引き寄せると
ふと、笑いたくなる気もしてくるのです。




コメント (2)
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金閣寺が焼失した日 三島由紀夫のこと

2024年07月02日 | 三島由紀夫
2024/07/02


1950年(昭和25年)の今日、7月2日は
金閣寺が修行僧によって放火され
焼失した日です。

犯人は当時21歳の金閣寺の従弟僧でした。

本人の供述によると、
当初は金閣と心中するつもりで火を放ったが、
怖くなり、寺の裏の左大文字山に逃げ
 胸を短刀で突き睡眠薬自殺を図りましたが、
果たせずにいたところを逮捕。

懲役7年の判決を言い渡されるが、
1955年10月に恩赦で出所します。
再建された金閣の落慶法要から20日後のことでした。
そして、半年たらずで、肺結核で26年の生涯を終えた
という事件でした。


三島由紀夫はこの事件をモデルに
1956年(昭和31年)、小説『金閣寺』を発表。

『金閣寺』は三島の代表作となり
人気作家の地位を不動のものにしました。

私は高校生か大学生の時に
この作品を新潮文庫で読みましたが
観念的で難解に感じられて
なかなか読み進められなかったことを
覚えています。

ただ、三島由紀夫に興味があり
優れた作品だというので
辛抱強く少しづつ読んでいきました。

しかし最後まで
おもしろいとは思えませんでした。

「金閣の美に嫉妬する」というのが
まずわからなかった。

人の美に嫉妬するというなら
まだわかるけれど…。

当時は20歳そこそこでしたから
歯が立たないといった感じでした。
今でも理解できているかどうか
怪しいところですが。





小説『金閣寺』について
なにか語れる術も持たないので
金閣の話はこのくらいにします。


・・・・・・・・・

私のブログで人気があるとして
読まれている記事は三島由紀夫なのです。

これには我ながら驚いています。
読んでいただけるのはありがたいけれど不思議。

たいして力を入れて書いたものではないからです。

私自身、最近は三島の情報を見たことがないし
人気が再燃したとも聞いていないし
どんな方が読んでくださるのか‥。



2020年にコロナ禍で緊急事態宣言が出て
仕事は休みになりました。
公共施設も商業施設まで休みになり
外出もはばかられる事態になりました。

その年はちょうど三島由紀夫の没後50年
にあたっていました。

三島と東大全共闘との討論会の記録映画が
公開されることになって
情報がたくさん出てきていたので
暇にまかせて三島を読んだのです。

その書きつけは
ほぼ本の引用ばかりです。

アップした当初はたいして読まれることも
ありませんでしたが
今に至ってずっとコンスタントに
読んでいただいているようです。

文学を学ぶ人が読んでいるのかなと
思ったりしています。

前にも書いたことがありますが
私がなぜ三島を読み、書いていたかというと
大学時代にできなかったことの
やり直しだったのです。

京都の大学にいたときは専攻は日本文学でした。

あの頃は三島で卒論を書こうと思っていたけれど
三島のことがさっぱり理解できなかった。


没後50年になって
石原慎太郎が『三島由紀夫の日蝕』
という本を書いていることを知り
読んでみて謎が解けたような気がしたのです。





ああ、こういう人なんだと。

三島の経歴とかエピソードは
知識として知ってはいても
それをどう分析、解釈するのか
わからなかったのです。

私が歳を取って
人生経験を積んだことも
関係しているのかもしれません。

それから何冊かの本を読み
だいぶ分かったような気になっている私ですが
実は三島由紀夫についての書きつけは
まだ途中なのです。

本番はこれからというところで
中途で放り出してあるといっても
よいかもしれません。

書くことはエネルギーが必要なので
モチベーションがアップしたら書くかも
しれません。

そうしたら私の中で
大学以来やり直しの三島由紀夫は
一段落するのではないかと思います。




コメント (2)
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