はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

上野の森バレエホリディ

2022年04月30日 | バレエ
2022/04/30

昨日から、上野の森・バレエホリディが
始まっています。








「はじめましてクラシック∼バレエ音楽への誘い」という
東京文化会館小ホールの催しを見てきました。
これは小さい子から大人までが対象です。

チャイコフスキーの「くるみ割り人形」や
「コッペリア」のワルツ、
ファリャの「恋は魔術師」など
おなじみのバレエ音楽を
吹奏楽のクインテットが演奏。

そして東京バレエ団のダンサー2人が登場して
曲に合わせて踊るというもの。

短時間でしたが
ダンサーはなんときれいだろうと
いつも感心してしまいます。



衣装の展示



バレエは踊りと音楽の相乗効果で
見ても楽しみ、聴いても楽しめます。

昨年は1回しかバレエを見に行っていませんが
またバレエに行きたいなと思ったことでした。



コメント (2)
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おから料理

2022年04月29日 | 食べ物
2022/04/29


おからは安くて低カロリーながら
栄養も豊富に含まれているとか。

久しぶりにおからを使った料理を
作ってみました。

1袋のおからで鍋いっぱいできるので
いろいろ目先を変えてみました。


定番の卯の花煮
人参、椎茸、しらたき、ゴボウ
ひき肉もちょっと入れて炒り煮にしました。


おからハンバーグ
鶏ひき肉、椎茸、ネギを混ぜて焼きました。
あんをかけてあります。


おから入りお好み焼き
小麦粉、山芋、卵、キャベツ、ネギに
少しおからを混ぜました。



お稲荷さんの中身はおからの炒り煮。
右の豆乳シチューにもおからが入っています。



おからはたくさん入れると
パサパサ感じるので、少量使うのがいいようです。

低カロリーで食物繊維が豊富なので
炭水化物の代りに使って
かさを増やすのもよさそうですね。



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『ハブられても生き残るための深層心理学』

2022年04月27日 | 
2022/04/27

最近読んだ本です。

著者のきたやま おさむ氏は
私にとってはフォーク・クルセダーズで
「帰ってきたヨッパライ」を
歌っていた人なんです。

曲のヒット後に解散、学業に戻り
精神科医として活動なさっているのは知っていました。
でも最近のことは知りませんでした。

九州大学で教鞭をとり、退職後の現在は
白鳳大学学長をなさっているそうです。

近年の写真を拝見したら
白髪の老紳士になっていらっしゃいました。


さて、本著の紹介です。

「ハブられる」というのは
私の年代ではあまり使わない言葉ですが
省かれる、仲間外れにされるということ。
「村八分」などの言葉から、なんとなく想像
できる言葉ですね。


こうした現象が起きやすい日本社会の背景と解決法を
深層心理学で解き明かそうという著書。

どういう人がハブられやすいのか
どうしてハブるのかなどが書かれています。

このあたりをまとめます。

・・・・・・・

ハブられやすいのはこんな人
  • 空気を読めない人
  • 自己中心的な人
  • 能力が問題になる人 ・・遅い、鈍い、不器用な人のほか、能力が高い人も嫉妬の対象になりやすい
  • 過敏で傷つきやすい人            (P5∼7)

なぜハブるのかといえば
私たちは無意識に自分と違うものを排除してしまう性質がある。
同質性を維持しようとする仲間内集団と「排除される個人」という図式がある。
人は同類幻想があり、同類だから安心だ、わかり合えると感じる。(p.35)

・・・・・・・

自分と違うもの、異質なものを排除しようとする図式は
昔話にも見られると書いています。

この本の中で私が最も興味深かったのは
ここ、「異類婚姻話」の解釈。

異類婚姻話でよく知られているのは
「鶴の恩返し」、「蛇女房」、「イザナギ・イザナミ神話」など。

 妖怪や動物が姿を変えて現れ
人間と婚姻関係を結ぶというもの。


また本文を引用、要約させていただきます。

・・・・・・・

「鶴の恩返し」、「蛇女房」
女性主人公が働き者で生産的な存在として描かれる。その生産性の背後には、自らの体を犠牲にし、傷ついている様子もうかがえる。女房達の物語では自分が異類であることを隠していることが共通している。

異類であることがばれてしまった女性は自ら去っていく。関敬吾によれば恥ずかしさを感じて去っていく。
こうした物語には女性が体験してきた歴史が投影されている。(p.92)

女性のほうは、自らの体を犠牲にしてかいがいしく生産的であるのに対し、(「自虐的世話役」と呼んでいる)男のほうはそれに依存し、しかも裏切ってしまう。

「イザナギ・イザナミ神話」や「安珍・清姫伝説」では、男性の裏切りに対して、女性が怒りを表現する。こうした女性の怒りは、それに対して罪意識を持たない男性側の視点からは、とても恐ろしい化け物に映った。
怒っても怒っても、これが忌避されるところに、私は、怒る女性における、やりきれない「空しさ」を感じる。

古事記から時代が下り、「鶴の恩返し」や「蛇女房」になると、裏切った男に対して女は怒りを表さない。傷つき悲しそうに去っていく。

恥かしい思いをさせられた方が自ら去っていくという話になっている。
つまり男性の裏切り、ひどい仕打ちに女性は怒り続けてきた。なのに何度怒っても、それを聞き届けてもらえなかった。実に手ごたえのない、むなしい事態でしょう。

ならば、もう自分が消えてしまえばいい。怒るものが体験してきた、怒ったら負けになる「諦め」の歴史がうかがえる。ここに見られる解決は、怒りを外に向けるのではなく、怒りを自分に向ける「怒りの内向」ということです

自己嫌悪の心性

私たちは異端視されたら、自分が消え去ってしまえばいいと思い込む、「心の台本」を演じさせられている可能性がある (p.92)

異類でない人間の側は無邪気のようだが貪欲であり、悲惨な結末を迎えることに無自覚であり、そして、異類のほうは必ず排除されるという定番の台本を私たちは継承してきた。

・・・・・・・・・

恥を感じたほうが去っていくというのは
現代だったら
いじめによる不登校とか、自殺を連想させます。

きたやま氏は「心の台本」という言葉を何度も使っています。

「演劇には観客に見える舞台と、
役から降りて素顔に戻ることのできる楽屋がある。
人生にも、楽屋に相当する部分が必要。
台本があることを知り、それを読み、
よりよい台本に書き換えていく。」 (P.16)


つまり、つらい状況にあった時に
「これは劇なんだ」と考え
「では一旦舞台から降りて、楽屋に戻ろう」
と思えばよいのです。

人生を劇としてとらえる視点
「劇的視点」を持つ、とも書いています。


自分の人生の役を演じているのは自分自身。

つらい、不本意な状況だったら
いったん今の状況から降りて(リセットして)
よりよい台本を自分で書き換えていこう
という発想を持つのですね。

自分が異類(周りとは異質な人間)と感じたら
傷ついて恥じて消え去るのではなく
   「自分らしく生きるためにできることは何か
考え、とにかく生き延びるのです。

生き延びろというのは
精神科医ならではの言葉かなと私は思いました。
自殺してしまう患者を多く見てきたことでしょう。


ここからは単なる感想。

日本の異類婚姻話では、異類は女性が多い。
女性が鶴や蛇にさせられているのはなんでかなあ。
男は人間で、女が異類。
男性中心の視点ですね。

ところが西洋の話では
男性が異類になっているのが多いんですよ。
「カエルの王子」、「美女と野獣」
「長靴をはいた猫」など。

こういう異類は、実は王子の仮の姿であることが多い。
異類でも恥じて去ることがない。
なぜなら、元は立派な王子だから。

日本と西洋の性役割の差を感じますね。

これ以外にも多くの示唆に富むことが
書かれていて、興味深かった本です。


 



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玉姫稲荷神社の「靴まつり市」

2022年04月26日 | 日々の出来事
2022/04/26


週末、台東区の玉姫稲荷神社に行ってきました。

JR常磐線、南千住の駅から歩いて約15分。

ここを知ったのはNHKのお昼のニュース。
「こんこん靴市」という靴まつりが行なわれているとのこと。


日本製の革製品が何割引きかで売られている
ようで、私は行ってみたくなりました。

というのも、何年か前に、別の所ですが
岩本町・東神田ファミリーバザールで
買った靴がとてもよかったのです。

その靴は浅草のメーカーの品物でした。
大のお気に入りになって
ついには履きつぶしてしまいました。

浅草あたりは革製品のメーカーが
たくさんあるようですね。

靴市と聞いて、またあのいい靴に
出会えないかなと思ったのです。






靴市ですが、靴はもちろんのこと
革製品のバッグ、財布、紳士物のベルト
衣類などがたくさん並んでいました。

今回は残念ながら
お気に入りの靴には出会えませんでした。

革の小ぶりの手提げをひとつ買ってきました。
革製のツヤが気に入ったわ。



そんなに大きなものではなく
長さは30㎝、幅は27㎝くらいです。

内側にはポケット付きの裏布もあります。
1500円でした。

最近は大きなバッグを持つより
あまり大きくなくてもいいのでは
と思います。

スマホと小財布、ハンカチ、ティッシュ
くらい入れば、買い物は用が足ります。

買い物袋は別に折り畳みのナイロン製でも
持てばいいのだし。


さて、以前に岩本町・東神田バザールで
買った靴はこれでした。




革が柔らかくて、とても履きやすかった。
足になじんで、いつも履いていたら
踵がすっかりすり減ってしまいました。

バザールで買ったので
どこの製品かわかりませんでした。

仕方がないので、靴修理のチェーン店で
底の部分を貼り替えてもらいました。

そのお店の人の言うことには
こういう底の靴は
踵の部分だけ替えると切れ目ができて
水が浸み込みやすくなる。
底全体を変えたほうがいい、というので
そうしてもらいました。

修理代は靴の値段の倍かかりました。

しかし、修理した靴は底が固くて重くなりました。
何より、しならなくなったので
歩き心地がまったく変わってしまいました。

やっぱり、履き心地が変わった靴は
履かなくなるものですね。

何年か靴箱にしまっておいた後に
処分してしまいました。


その後、似た靴をデパートの靴売り場で見つけて
買いました。

店員さんに
「前にこれとそっくりな靴をバザールで買った」
というと

「これは浅草の靴メーカーなんですよ」
というではありませんか。

値段はバザールの2,5倍くらいでした。


(もうかなり履いて、ちょっとお見苦しいです)

これもとても履きやすい柔らかい靴ですが
前の靴は革に裏がついていていました。

つま先や踵がしっかりしていたので
歩きやすさは前の靴のほうがよかったです。

だから、またあの靴に出会えないかなと
なんとなく探していたのでした。

私は外反母趾気味で
昔は少し歩くと足が痛くなっていました。
だから長くは歩けなかったのです。

でも、最近はスニーカーを履いていて
歩きやすいので、かなり長い間歩いても
どこも痛くならないのです。
スニーカーにしてから、外反母趾も治ってきたみたい。
そういうことはあるのかしら。

「足だけは丈夫なのよ」
と人にも言うくらいになって
靴によって、ずいぶん良くなったと思うのです。



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難しい「ハイデガー」の難しくない思い出話

2022年04月24日 | 雑感
2022/04/24



今、NHKEテレの「100分de名著」で
ハイデガーの「存在と時間」をやっていますね。


ドイツの哲学者・ハイデガーの名前を
知っている人はそんなに多くないのでは、
と思うのですが、どうでしょうか。

私はわからないなりに、知りたいと思って
録画しながら見ています。

私がなぜハイデガーについて知りたいと
思ったかというと、夫と結婚するにあたって
仲人をしてくださった
夫の恩師・辻村公一先生が
ハイデガーの著書の翻訳者だったのです。

夫に訊くと、辻村先生はドイツに留学して
大学でハイデガーの講義を2年間受けて
『有と時』を訳したということです。



(ハイデガー肖像)


もっとも『有と時』という訳よりは
『存在と時間』という訳のほうが一般的のようです。

私はドイツ語は分かりませんが
「Sein und Zeit」を 『有と時』という訳すのは
辻村先生だけのようで
「100分de名著」でも『存在と時間』
という訳語を使っていますね。

このブログを書くために
辻村先生のwikiを見て、『有と時』と
訳していたことを初めて知ったのです。

 

私は夫と知り合った学生時代に
ハイデガーという名前を知ったのですが
あれから何十年も経っているのに
相変わらず、ほぼ理解できていません。

でも、ひとつだけ分かったことがあって
長男が生まれたときに、夫は息子の名前を
「有時(ありとき)」にしたいと言ったのです。

なぜ、有時にしたいといったのか
そのときはわかりませんでしたが
今ごろになってわかりました。

結局、親戚に似た名前の子がいて
(ありとき)にはなりませんでしたが。



辻村先生は2010年5月28日に
お亡くなりになっています。

その1~2年前の桜の時期に京都の先生のお宅を
夫婦で訪れたことがありました。

これは多分その頃ではないかというだけで
はっきり書き残していないのです。

お宅をおいとまするときに
先生は一緒にタクシーに乗って
川端通りまでいらっしゃいました。

たぶん出町柳あたりで先生だけタクシーを
降りられたんじゃなかったかしら。
「じゃあ、ここまで」ということで。

タクシーでのうれしそうな様子や
降りてからも、手を振っている様子が
今も思い出されます。

あれがお会いした最後でしたね。

とにかく学究肌の穏やかな感じのおじいちゃん
と私には見えました。

NHKでハイデガーを取り上げていたので
いろいろ思い出しました。

こんなことを書くのも
思い出話として、息子たちに読ませたいからで
私が話さなかったら、きっと夫も話すことなく
息子たちも知らないままになったでしょう。



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