2018/02/28
昨日の羽生さんの記者会見で、「芸術は絶対的な技術力にもとづいたものだ」
と言っています。
〈芸術、バレエとか、例えばミュージカルとかもそうですけれども、
芸術というのは明らかに正しい技術、徹底された基礎によって裏付けされた表現力、芸術であって、
それが足りないと芸術にはならないと僕は思っています〉
芸術の語源にはギリシア語の「技術」があると聞いたことがあります。
技術に美的要素が加わったものが芸術と呼ばれるのでしょうか。
(このあたりは勉強不足です)
身体を使って見せる芸術(舞踊、楽器演奏、声楽)というのは、
高度になればなるほど技術がないと表現できないものです。
(絵画、彫刻などは、ある種の偶然の出来・・・感性のおもむきによるものがあると思うのですが)
見る側が芸術を堪能するには、確実な技術があってこその安心感に裏付けられたものだと思うのです。
スケートでも、ピアノでも、失敗したりすると、ふっと心配になったりします。
かなり昔、私はピアノのことをよくわかっていない頃、
ピアノ演奏は汗をかいて、一生懸命に熱演するのがいいと思っていました。
でも、あるときミケランジェリというイタリアのピアニストの演奏をテレビで見て、
難曲をなんと簡単そうに演奏するのだろうと感嘆したことがありました。
そのときのことはとても印象的で、意識が変わりました。
やすやすと弾いていると人に感じさせるには、
確実な基礎訓練、技術力があってこそなんだなあと。
頑張って弾いていると、頑張ってるなあ、すごいなあと感じることがまっ先に来ます。
芸術的だと感じる部分は、それを越えたところの余裕、
心の琴線に触れる部分、精神の感応、惑溺にあると思ったりします。