はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

花粉、コロナ、インフルやら気を抜けません

2024年01月23日 | 健康
2024/01/23


昨日テレビを見ていたら
もう花粉症の季節が始まっていると
言っていました。

暖冬だったので
スギ花粉の飛散が始まっているんですって。

いつもは2月後半からだったので
急にスギ花粉が飛んでいるといわれると
「え、こんなに早いとは!」と
慌ててしまいます。

外出時はいつもマスクをしていますが
それでもスギ花粉となると
髪や服につかないようにと
また注意しなくてはなりません。



そういえばコロナ感染者も全国的に
増えてきているそうです。


コロナのこと、最近はあまり言われません。
でも安心はできないようです。

5類に移行してからは
以前のようには感染者数を発表しないので
知らないでいるだけなのですね。


茨城に住む義姉と話したのですが
親戚に大きな老人病院の院長がいますが
その病院でクラスターが
発生してしまったのだそうです。

院長も家族も感染してしまったとのこと。

ワクチンも打っていたそうですが
罹るのは2度目だそうで
免疫力が持続しないので油断は禁物。

インフルエンザもあちこちで罹った
という話をきくので
まだまだ注意は必要ですね。

マスクと手指消毒は当分やめられません。



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寒い時期の花のようす

2024年01月22日 | 花・植物
2024/01/22


ヒヤシンスの成長具合は・・・



寒い時期のせいか
あまり目立った成長はありません。




根も芽も
ゆっくり、ゆっくり伸びています。

ベランダのパンジーとビオラは華やか







黄色のパンジーは大輪



ビオラ



フリルパンジー




曇った日でもベランダの色はあざやか。


おまけ

お気に入りのパティスリーで
🍓のケーキを買いました。


イチゴたっぷり。

フラダンスの稽古を1時間やったから
このくらいのカロリーを摂ってもいいかな
と言い訳。



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人はなぜ陰謀論にはまるのか

2024年01月21日 | 
2024/01/21


人はなぜ陰謀論に惑わされてしまうので
しょうか。

毎日新聞編集委員の大治朋子さんが書いた
『人を動かすナラティブ なぜ、あの「語り」に惑わされるのか 』

 
「ナラティブ」という言葉が
キーワードとして語られています。

「ナラティブ」という英語は
日本語では「物語」「語り」「ストーリー」「言説」
などと訳されることが多いのです。

英語圏では日常的に
使われている言葉だそうです。

この本では、ナラティブを
「様々な経験や事象を過去や現在、
未来といった時間軸で並べ、意味づけをしたり、
他者とのかかわりの中で
社会性を含んだりする表現」(p.19)
と定義しています。


歴史的な出来事は
時間軸で並べただけでは意味を持たないが
物語としてのナラティブの形式にしていくと
人の頭で受け取りやすくなるのです。

人は偶然の出来事の羅列でも
そこに物語性を見いだしてしまう習性を
持っています。

〈好きな人のやることにはプラスの係数をかけて
嫌いな人のやることにはなにかと
マイナスの係数で過小評価してしまう。〉

〈同じことを見たり聞いたりしても
人によって反応が異なるのは、
入ってきた情報にその人なりの「重みづけ」が
なされているからだ。〉


養老孟司さんに話を訊いたときには
養老さんは無意識の果たす役割の大きさに
ついて言及しています。

日常の大半を動かしているのは
意識ではなく、無意識です。

車の運転に喩えれば
運転席にいるのが無意識
意識は助手席に座っているのに近い。

無意識が下した決断を
意識が合理化するのです。


≪陰謀論とナラティブの関係について≫は
〈自分の中で疑いがある時に、
自分の中で整理できない時、
架空の敵を作れば、
非常によく話がつながる。
それは脳のクセですね。
脳はできるだけエネルギーを使わない方向に行く。
話がつながってストーリーになるほうが
脳の省エネになりますから。〉

〈陰謀論は、現象にそれらしい因果関係をつけて
首尾一貫したストーリーにして魅了する。
根拠がないから反論も反証もできない。
陰謀論は最強のナラティブといえる〉

ナラティブは不安や怒りを煽り
社会を分断する「情報兵器」といわれているそうです。


例えばトランプ支持者。
トランプ支持者の多くは被害者意識を抱えた白人。
トランプ支持者の中には
中央政治に見放されたと感じている人々が
少なくない。

社会システムは一部の人の有利になるように
操作されていると考えている人々。
その社会で、自分は被害者だと考える人々なのです。
  トランプの演説は常に「被害者物語」だ。
支持者はそこに自分自身を重ねて魅せられる、という。


 文化人類学者ガッサン・ハージの
「パラノイア・ナショナリズム」という言葉が
紹介されています。
 
〈パラノイア・ナショナリズムとは、
病的にナショナリズムにこだわる風潮。
あらたな分配システムからはじきだされた、
希望の持てない人々が、
もともと差別されてきた先住民族や移民、
シングルマザーや生活保護者という
社会的弱者を嫉妬、敵視する。
彼らは国家を食いつぶす外敵と考えて国を憂う。

国家との心理的一体感を一方的に見いだし、
生きる希望に代える。
強迫的に不安材料を見いだしては
国家を憂慮することにより自尊心や自己愛を維持する。〉
(P.55)


ここまで読んだとき
私は日頃、ネットで目にする
あるアスリートの過激なファンを
思い浮かべたのでした。

その人たちの言動が
まったくもって理解できなかったのですが
この「パラノイア・ナショナリズム」と
同じだと思ったのでした。

彼との心理的一体感を一方的に見いだし、
生きる希望に代えている。
強迫的に不安材料を見いだしては
(SNSやマスメディアに迫害されているという)
彼を憂慮することにより
自尊心や自己愛を維持しているのだと。

迫害されている彼を守るのは
私の責務であるという誤った自尊心の
ナラティブ、思い込みが
一部のファンたちの過激な発信を
支えていると思ったのです。





・・・・・・・・

この本には安倍晋三元首相銃撃事件と
小田急・京王線襲撃事件
伊藤詩織さん、五ノ井里奈さん の
ことについても書かれていて
その解説も興味深いのです。


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買取りに出した着物

2024年01月20日 | 我が家
2024/01/20


先日も書きましたが
断捨離をして
着る機会のなかった着物を
買取りに出すことにしました。

これからも着物を着たいと思うことは
ないと思ったのです。

もし着る機会があるとしても
いい貸衣装がありますしね。

着る機会もないのに
着物を持ち続けてきたのは
亡くなった母が
私に着物を着せたがっていた思いを
知っているからなのです。


母は私が19歳の時に亡くなりました。

母が生前、用意してくれたのは
藤色の訪問着とウールの着物2枚、
夏と冬の喪服一式でした。

成人式の振袖はありませんでした。

実際に着てみたのは高校生の時
ウールの着物だけ。


この赤黒の市松の着物



母の葬儀の時は
何を着ていたのか全く覚えていないのですが
用意してくれた喪服は着なかったと思います。

喪服はその後も1度も着ることなく
今回買取りに出しました。


母が亡くなってから
数回の引っ越しをしていますが
ずっと着物を持ち続けたのは
母が着せたいと思った気持ちに沿いたい
と思い続けていたから。


でも、長い時間が過ぎても
ひとりで着物を着ることができないし
着物を着ることの大変さや
小物類の多さを思うと
もういいかなと思ったのです。

訪問着をくれた伯母も
名古屋帯をくれた叔母も
故人になりました。





ネットで見たところに電話をして
買取りを頼みました。

宅配便で段ボールが届きました。

これに着物を詰めて
書類に記入して送り返します。

佐川急便が取りに来てくれました。

出してしまうと
もう見ることのできない着物ですから
写真に撮って記録しておきました。


訪問着





喪服の夏、冬、襦袢、帯、小物一式セット
羽織り5着、帯揚げ、帯締めなど。





段ボール箱いっぱいになりました。


高い値段で売れるとは思っていないし
誰か使ってくれる人がいたらうれしい
くらいの気持ちです。


査定が終わったら
結果を電話してくれるそうです。


我が家に衣装タンスはないので
着物類は桐の衣装箱に入れていました。




こういう衣装箱は場所を取るわりに
使い勝手はよくないので
これもゴミとして出します。

クローゼットの上部を占めていた
桐の衣装箱がなくなると
バッグでも整理して置けそうな空間ができました。






コメント (2)
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英語の講座に参加して

2024年01月18日 | 習いごと
2024/01/18


仕事先の職員さんに
声をかけていただいて
1月から新しく始まる英語講座に
参加してみました。


英語を新たに勉強しようなんて
気持ちはなかったのですが
職員さんが声をかけてくれる時は
もっと参加人数が欲しいときらしいので
時間が空いていれば参加します。


そして会場に行ってみたら
英語の先生が話しに来てくださいました。

2年前に私のベビーリトミックに
参加していたそうです。

「先生のリトミック、大好きでした」
といってくださって
お世辞とはいえ、舞い上がって
うれしくなってしまったのです。

先生は2人のお子さんがいらっしゃるママ。

実は、私はお顔を覚えていなくて…。

まったく申し訳ないことですが
記憶力もよくないうえに
(昔はこうではなかった)
たくさんの方とお会いするので
顔を覚えきれないのです。



高校時代の3年間を
オーストラリアで過ごしたという
とても明るい先生でした。

発音もいいし
進行も上手でとてもリズミカルです。

座学だろうと思って来たのですが
歌あり、ジャスチャーのゲームありの
退屈している暇もない時間でした。


楽しくてすっかり気に入ってしまい
月1回の開催だそうですが
ぜひ来月も参加したいと思いました。

すぐには海外旅行はしそうもないけれど
ずっと参加していたら少しは上達するかな。


職員さんに誘っていただいて
よかったと思います。

忘れないうちに書いておきましょう。

・・・〈今日の覚え書き〉・・・

買い物で「○○はありますか?」と
たずねるときに、このフレーズを使う。

Can  I  please  have  (ほしい物)?

pleaseが入っているのがミソだそうです。

Can I please have  tea ?

この言い方をすると
きちんとした人だと思われて
丁寧に向き合ってもらえるそうですよ。



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