先週、息子の部屋に入ったら、小さなポリ袋を見つけた
それがなんなのか、すぐにわかった。それから午後にも見つけて
わからないように、カバンに入れていたのだった
以前大きなゴミ袋もすぐになくなっていて、すごく不思議だった
その時、小さなレジ袋などもあった
それもすぐになくなっていて、何に使っていたのか不明だった
大きなゴミ袋は、着なくなった服とかズボンを入れていた
小さな袋はなにを入れていたのか、ずっとわからなかった…
ようやくわかって、やはり直らないのだろうか、とあきらめてしまったのだ
食べたくないものは捨てないで残して、と頼んだがすぐに捨てていたらしい
一週間ほどしてから、なにやらよくわからないが、たまっていたストレスが一気に噴火したようだった
カミナリどころではない…爆弾、ということばは、あまり好意的なことばではないので
噴火ということにした。噴火といえども、それはジリジリと押し寄せてくる
アータ、私の噴火は、自分でも抑えきれないほど
それでいつの間に台所がこんなふうになっていた
前夜、イラストにして描いていた。だが、すぐにしようという段階ではなかったのだが…
なにかをきっかけに、噴火が起きたのだ
それは茶碗についていたご飯粒がやたらと多かったからだ
それを見た途端、怒りのスイッチが入った
一気にメモにして書いた
「なんでも食べたくないものを捨てていることを知って、ガッカリした
食べた後の食器が汚すぎる。作ったほうが見ていて、ゲンナリする
せめて、ご飯粒だけでも残さず、きれいに食べて欲しい。洗面所が水浸し!」
腹にためていたことを素直に書いたが、ムダだということはわかっていた
特に半熟の目玉焼きなどは、全く食べ方を知らない
教えてもできなかったし、そうしようという意思もなかったようだ
こういう時、私は育て方を間違ったのか!と、ついつい思ってしまう
また、子育てそのものが私には、ちゃんとできなかったことも認識している
が、ここまでされると、つくることの意味がわからなくなっている
つくったものをことごとく捨てられている現状をどう理解していいのか、
全くわからなくなり、それならば、ということで、食器を整理しだした
棚は整理して、出したものを片付ければいいだけ
このまま、フリーマーケットに出してもいいくらい
持っていても使わないのだから。きれいな食器をみても、誰かの為に、ということがなくなると
かなりむなしい気分に陥ったが、逆に、踏ん切りがついたのだ
私は怒ると、途端に片付けたくなるのだ!怒りの矛先がたとえ息子であっても
それを口にはできない。ということがわかっているので、いつもこうして
台所周りとかきれいにしているのだ。他、衣類の整理もする
少し降った雪がきのうの雨ですぐに消えてしまった…
雨が降った翌日は、なぜかポカポカ陽気
庭に咲いていた水仙の芽はまだそのままの状態だった
咲いていいものか、悩んでいる?
料理は最近、ほとんど作っていません
鍋いっぱいに作った煮物もあるし。ちょっとしょっぱいものを食べると体重も増加する
塩分は気をつけなければならないのだが、カップメンを食べるとその傾向が強いようだ
むくんでいるのかもしれない。まぶたがいつもより腫れていた…
ひかる電線。細い針金のようなものがひかっているようにもみえる
お金を入れなくてもいいかわりに、そのぶん自分のご飯買え、ということまで考えた
でも、あまり得意ではないことをさせるのもかわいそうになって
仕方なく、できるだけ食べなさそうなものを出さないようにしている
料理は全くできないわけではないが、時間が不規則。いや、これも出来る人はやっているだろう
私が家事が出来る男性に憧れる理由のひとつはここにある
次男はどうか知らないが、(本人曰く、仕事には弁当持参)あまり我が家の男性は
料理は得意ではないらしい…
食べ物をそんなふうに扱う気持ちが許せないのだ