つくることのたのしさを忘れてはいけない
また、たべることのたのしさもまた…
ショックのあまり、三食続けて、弁当を買った
321円以内の弁当というと、限られてくる
買うほうも食べるほう(?)も、しんどくなってくる
そこで、これは捨てないだろう、というものを出している
そうなると、どうしても野菜不足になってくる
普段から野菜はキャベツ、タマネギ、人参、じゃがいも(これは時々…)しか、買わない
お買い得品で、袋に入った鍋物用の野菜を二つ購入
合わせて、78円だった。量は585gにもなった
椎茸、人参、きのこ類、ねぎ、白菜、もやし、春菊、などなど…
買ったはいいが、つくることに疲れていた私は、どうしたらいいのかわからない
いつものように、下処理
ふっと、思い出したように、そうだ!このまま全て蒸してしまおう
レンジでカップメンのつゆの茶碗蒸しを作った(私の昼用)
生椎茸を入れたらふっくら。ごはんには、缶詰のさんま
息子は不思議なことに、缶詰は食べるのだった
残りを私がごはんにかけて食べている
削り節と醤油のほか、ドレッシングでもよい
白ゴマをふって。冷蔵庫に厚切りベーコンが残っていた
それとフランクフルトをソテー。よけいなものを出さないことで捨てられることを防いでいる
なんか、親の最後の抵抗というか、なんというか
長男は自炊はしていたようだが、たまにだと思う…
ウチに入ってから一度だけ自分で作っていた
朝はカップメン、昼は仕事なので会社で出している。夜はなんとか炒め
冷蔵庫で野菜を腐らせてしまい、見かねてまた私が作って出した
体のことを思うと、やはり見過ごすわけにはいかなかった
基本的には自分はどうあれ、人の食べるものに対してかなり敏感になる
それを食べ続けるとどうなるか、予想がつくからだ
なんでだろう?なんでなんだろう?どうしてなんだろう?はて?
捨てないで、残して。そう、お願いしてもまた捨てるのだった
捨てることに抵抗がないのだろうね、きっと…
洗面所を水浸しにして注意され、事件が起こった、というニュースもありました
だからウチだけではないし、物を捨てるという人も随分と多いと思います
だけど、この世の中、食べるものに困って、毎日生きるのに必死
そういう方たちがいることも事実です
だけどそれを息子にいったところで、何かが変わるのでしょうか?
そう思いながら、なんとか食べられるものを作っています