今日は珍しく晴れている。ポカポカ陽気に誘われて、掃除機をかけた…
大体一日おきくらいで睡眠障害が起きている。夕べは一度トイレに起きてそれからまた就寝
たぶん、時々寝ているんだろうけど、余計なことを考えてしまい、また耳鳴りが大きくなる
今日の町内の集金が最後でようやく終えた。あとは来月まで広報とか配るだけ
前回の時は集金もなんのその、たいして苦ではなかったのに、今回はちと辛かった
なんといっても電話嫌いの私が何度も電話をするのだから
難聴は人との会話が困難であり、そのストレスは相当なもの
ひどい人だと外に出ることも困難であると思う
私の場合はTVの音を高くすれば問題ないが、それだときりがない
聴力はかなり落ちているが、まだ生活音とかは普通に聞こえるし、1M以内なら会話もできる
ただ、低音が聞こえづらいので、大好きなイケメンとも会話ができない
そんなイケメンなんて、こちらにはいないから大丈夫だけど…
若くても大抵はぽっちゃり、夢も希望もないおじさん体形が多い
酒飲んで、たばこのんで、昼はカップ麺食べて、夜はご飯たらふく食べて、いびきをかいて
それで糖尿病になって、脳卒中起こして、というパターンが多いらしい
津軽のかっちゃ、生きた心地がしないし、気苦労も大変である…
(先月、じーちゃんが道路工事の現場で休憩中にアイスクリーム{最中のようだった}を食べていた)
愛犬用の餌がなぜか人間の食卓に
鶏むね肉は蒸しても完全に蒸したわけではないので、ミートソースと一緒に加熱
味がからまるので意外に美味しかった。そしてお皿をきれいにするために、茹でキャベツをしく
煮干しは下処理しており、柴漬けに近い漬け汁を作り、煮干しを浸しておく
これだけでもよいのだが、切り干し大根風の煮物にもトッピング
安い肉というのはそれなりのお肉であろう。よく見ると肉が少しだらけている
肉にしまりがないのだ。人間と同じく病気も多いだろうし、そんな肉を買わされているのかもしれない
かといって、高い肉も安全であるかといえば、そうでもないらしい
少しでも下処理して悪いものを取り除く、あるいはゆでることもよいであろう
肉も野菜も魚も基本的には水につける。最初は慣れないかもしれないが一度やればすぐに慣れる
愛犬はなんでも食べるとってもおりこうさんな犬。(ただの食いしん坊)
最近体の調子がよいのか、そこら辺に食べ物を置いておくとすぐに食べられてしまう
今日はゆっくりと寝られそう。考え事というのは、本当にこの耳、治るのだろうか?ということだった
けれどそうならないように、免疫力を上げる努力をしている。たぶん私のは精神的な要素が大きい
この耳鳴りは降圧剤の副作用が原因である。服用してから7か月後に耳鳴りを生じる
(降圧剤は一年前にやめている。やめたら返って体の調子がよくなったのよね)
夫の給料事件(0円生活)がきっかけだった。脳内がつまったような感覚があった
たぶん、血の巡りが悪くなっていたと思う。物事を柔軟に考えられなかったのだ
その証拠に指先が冷たくなり、痛くなって、真っ白になった
小さいころから病弱だった私は、冬の雪かき、春から秋までの草取り、毎日の家事が困難であった
誰にもすがることができず、三日間の草取りで血圧が上昇、そして眼底出血を起こす
更年期障害もどきが起きても誰にも助けてもらえない寂しさが常にあった
36歳の時、思い切って仕事をした。試験に落ちればいいと思っていたのになぜか合格
それが間違いのもとで、さらに体をこわす。肉体的というより、精神的にやばかった
いじめはどこにでも存在する。子供たちの世界でも、ママ友の世界でも、そしてババ友の世界でも
今日も同じスーパーに行った。こゆりちゃんの姿を発見し、慌てて帰宅した
時間をずらしていったほうがよいと思った。人って性格が顔に現れてくるのよね
温厚だった顔つきがいつの間にか、ちょっと怖い顔になっていました
毎日まいにち人の陰口を言っていると、顔つきが変わってくるんですよね
あの人はこうだ、この人はこうだ、と言いながら何が楽しいのかなと思う
私らは年金暮らしだから、といいながら、かご一杯に安くなったお菓子を入れている
息子さんも働いているし、そんなに貧乏びんぼうというほどでもないと思うのだ
私は毎日食べるお米と今やっていること、そして普通に食事ができれば他にはなにもいらないと思っている
家はこれからも修復する箇所が増えるだろう。何が嫌かっていえば、人の悪口だよね
ほんの少しならいいけど、何時間も同じことを繰り返ししゃべることが、どんなにストレス発散であっても
出るのはため息ばかり。そんなふうに生きて何が楽しいの?と思う
かつて私はこゆりちゃんにこう言った
「雪かきばーさんが亡くなって、ちょっとホッとした?」
「うぅん、もう大人しくなってたから、なんとも思わないわ」
あんなに毎日のように陰口を言ってた人が亡くなった途端、関係ないわ、と言う
雪かきばーさんは娘さんの話では、認知症ということだった
そして、私が雪かきばーさんに聞いた時は、めまいの薬をもらっていたと聞いた
実際、ある時めまいを起こし、家まで送って行ったことがある
その時の話を娘さんに話したら、全く知らなかったわ、と言われた
また、雪かきばーさんは、娘さんにさえ自分の弱いところを見せなかった…
私と愛犬は雪かきばーさんのことは大好きだった。少しクセのあるばーさんだったが、
雪かきと畑を一生懸命やっていた。その畑も家も売りに出されている
もう遠い昔の話である…
憎んでも恨んでもそこからは何も生まれない。私自身、耳のことで夫をずっと恨んでいた
今も多少その気持ちは残っている。それだけ耳鳴りは生活に支障をきたしている
だから愛犬にいつもこういうのだ
「私にもその聴力、少しだけ分けておくれ」そしてこうも思う
「いつか、ハッと音が、声が聞こえたならば、どんなにうれしいことか…」
そう思うのは私だけでしょうか
どんな病気でもその人にとっては本当に苦しい事。だからこそ、今必死になって耐えている
治したい、本当に治したい、そう思っている…
(ババ友よりもアバ友が正解かな?おばーちゃんのことは、こちらでは、あば、とも呼ぶ)