先週の日曜日、
テレビドラマの「坂の上の雲」の再放送が終了しました。
2009年11月から2011年12月までの本放送でも、
私は 全部は見切れず、あきらめたのでした。
かなり頑張って見ていたのですが、今回も同様でした
『坂の上の雲』は、司馬遼太郎による
秋山真之と 兄の秋山好古と
それから正岡子規らの青春群像、
明治期を描いた歴史小説です。
見れば、阿部寛も モッくんも 香川照之も、
みんな若々しくて、懐かしい気持ちになります。
最初の 渡辺謙の朗読が
しみじみとしてて、なんか嬉しい。
今回、渡辺謙の声のファンになりました。
——まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている——
っていう、アレです。
「明治という、このオプティミズムの時代」
とも、渡辺謙の声は 語っていました。
● 司馬は本作において、明治維新から日露戦争までの三十余年を
「これほど楽天的な時代はない」と評している[2]。
● タイトルの『坂の上の雲』とは坂の上の天に輝く一朶の雲を目指して
一心に歩むが如き当時の時代的昂揚感を表したもので[5]、
● 近代化を遂げて史上初めて「国民国家」となったこの国は、民族が一体となるその昂揚感の下で国民の端々までもが列強に伍する強国への飛躍を夢見て邁進していた。殊に維新の成立と同時期に生を受け、新興国家の青春時代に自らの青春を重ねる若者達は、一人一人が国家の興亡を担わんという客気を胸に成長した。旧伊予国松山出身の三人の若者も、同様の気概を抱いて世に出ようとしていた。
以上「●」は、坂の上の雲 - Wikipedia からです。
本当に、明治はオプティミズムの時代だったんでしょうか?
「御一新」とか「維新」という言葉に、
時代の変化というか、転換期を迎えている事を
実感している人々もいたのでしょうが、
田舎の、
特に 台所の土間にへばり付いていたような女性たちに
そういった変化は
どう捉えられていたのでしょうか?
国民が一斉に沸いていたのかなぁ?
大河ドラマ「青天を衝け」の中で、旧幕臣たちが
新しい世の中の仕組みを創るために
日々 奮闘しつつ 時折興奮していた場面がありましたが、
日本全体が あんな雰囲気に包まれていたのかなぁ?
(とにかく、あの「青天を衝け」は秀逸だったし、
歴史的にも 眼を啓く、その一歩手前まで
私を連れて行ってくれました。
まだ、手前まで、ですけど。)
ところで、
「長の陸軍、薩の海軍」という言葉を聞いた事がありますか?
『明治維新という過ち
~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~』
(藤原伊織著、講談社文庫[完全増補版]2017.6.15 p117)
にありました。
そう言えば、モックンの海軍には
薩摩弁の人が異様に多くて、
その中の一人が 東郷平八郎でした。
東郷平八郎
薩摩訛りで話す渡哲也の東郷平八郎
(東郷神社の御祭神なのに、呼び捨てで良いのか? という呵責)
軍人さんがカッコよく見えるのは、
姿勢が良いからかもしれません。
これは、俳優さんたちが良い姿勢をとっているのか、
制服がカッコ良く見せるのか?
誰もが凛々しくてステキに見えます。
本物の東郷平八郎の写真も、凛々しいです。
ガッチリして見えますね。
このドラマを見ていて困ったのは、
テーマソング「Stand Alone」が
サラ・ブライトマンの声で
♪ああああ~~~~、と
頭の中でグルグル再生される事でした。
歌いたい。
歌いたいのに、この歌、歌えないんですよ。
不満が溜まります。
そう言えば、カラオケには あれから行ってません。
(カラオケ - 座敷ネズミの吉祥寺だより 2024-08-30)
黄葉したイチョウが美しい上野の正岡子規記念球場は、
12月3日の撮影。
迷子になる心配が少ないので、
私、上野公園が好きなんです(苦笑)。
3月22日追記:
幕末から明治にかけてが、
最近の私のマイブームのようです。
再来年の大河ドラマが
小栗上野介忠順(ただまさ)(読めない!)を描いた
「逆族の幕臣」だという事に気が付きました。
情報としては目にしていたのですが、
「青天を衝け」で 武田真治が演じていた、
≪ネジ≫の人の事だったんですね!
「青天を衝け」小栗忠順(上野介)「明治の父」を武田真治が演じる
あの人が活躍を続けていたら、
日本の近代化も 現在の姿も
相当 変わっていたのではないでしょうか。
豊臣も良いけど、再来年の大河が楽しみです