NHK大河ドラマ「晴天を衝け」は
今夜から「一橋家臣編」が始まります。
血洗島編が終了して
あの美しい血洗島の風景からは 遠くなりそうな気配ですが、
我が家では 全員 毎週 楽しみに見ています。
2日の日曜日も もちろん見ました!
そして、大騒ぎしました!
「吉祥寺が映った!」
いえいえ、中瀬の吉祥寺の、駐車場が、ですけどね(笑)。
番組の終わりに流れる、数分間の紀行映像、
これも私は楽しみにしているのですが、
もちろん、地元が度々登場する今回は
これまで以上に 一所懸命に
目を皿のようにして見ていて、
毎回 テレビの画面に吸い寄せられていますよ!
2日の番組では、「中瀬河岸場跡」という事で、
吉祥寺の駐車場近辺が画面に映っていた、という訳です。
う~~ん。確かに、「中瀬河岸場跡」ですけどね。
あの手前、テレビには映っていなかったのですが、
錆びた説明版が立っています。
曰く、
「 中瀬河岸は、江戸時代から明治初年にかけて、
利根川筋の河岸場として大いに繁栄した。
慶長十二年(一六〇七)に江戸城修築の栗石を
中瀬から運んだ記録があり、この頃には既に中瀬
からの 水運が行われていたようである。その後、
中瀬は周辺の物資の集積所となり、上流や下流から来た
乗客や荷物を積み換えるように定められ、関所のような
役割も果たしたという。最盛期には、大小百隻近くの舟が
出入りし、問屋・旅籠屋などが軒を連ねて賑わった。
明治十六年(一八八三)の高崎線(現JR)の開通により
次第に衰退し、明治四十三年の大洪水とその後の河川改修で
河岸場の姿は失われた。 (第二十四号)
平成五年十一月 深谷上杉顕彰会」
と書いてあります。
先週の紀行番組に映っていたのは、
その「軒を連ねて賑わった通り」であり、
失われてしまった河岸場の姿の、さらにその後の姿
なのでした。
単純に この看板から後ろを振り返って見た、
そんな視点でシャッターを切った写真だったようです。
少しも繁栄の面影を感じさせない、
寂しい中瀬の吉祥寺の駐車場界隈でした(涙 )。
少し残念です。
歴史的に見て 鉄道が敷かれる以前には
舟運が重要な役割を果たしていた、
という事が
これまでの私の認識などは 全然甘くて、
すごくすごく重要だったんだ、との思いが
近年 どんどん強くなってくるのです。
まして 中瀬の吉祥寺にご縁をいただいていますので
中瀬の、中瀬河岸場の繁栄が どれほどのものだったのか、
と思うのですが、
とても想像しきれないもののようです。
土地の古老のお話を
もっといっぱい聞いておけば良かった、と
悔やんでいます。
(お話のどこまでが本当かも、よくわからないんですけどね。)
さて、今夜も見ますよ、TV。
(五代友厚さまが登場するのは楽しみですね!)
こんな石碑も説明版のすぐ下にあります。