そのお名前は 大工だった父親がつけてくれた、とおっしゃっていたと記憶しています。
「建夫」さん。
お前も、大工になるんだぞ、という お父さまの期待が込められたお名前です。
男手ひとつで ふたりのお嬢さまをお育てになりました。
そのお嬢さま方もそれぞれに嫁がれていき、
年齢も60を過ぎて 会社勤めならば定年を迎える頃になって思ったことは。
宮大工では 仕事が少なくて 食べていけなかった。
これまで食べるために ずっと 普通の大工として 仕事をしてきたけれど。
もう そろそろ 好きな仕事だけをして 生きていってもいいんじゃないかな。
「男」としての、一世一代の仕事として、やらせてもらいたい。
そうおっしゃって 入札に参加した「宮大工」としての仕事を 立派にやり遂げられました。
一見、単純そうな柱の継ぎ目。
滅多な事では 絶対にはずれない、そんな複雑な仕組みで組みあがっています。
何人もの大工さんが 見学に来ました。
吉祥寺の隠れた名所?
その歳の年末に 「社寺建築工房」と押印した紙を巻いたタオルを頂戴しました。
歳が明けてからいただいたタオルには それが キッパリと紺色に染め抜いてありました。
いつも やる気満々、のお顔でいらっしゃいました。
突然の訃報でした。
伊勢島のお地蔵さまの日が ご葬儀だった、と伺いました。
無念です。
社寺建築を極めていくんじゃなかったんですか?
【大隅流】を再興するんじゃなかったんですか?
悔しくはないんですか?
問い詰めたい気分でした。
でも
きっと ご遺族は もっとずっと 悔しい事でしょう。
そして
ご本人が きっと 一番 無念なのに違いありません。
早過ぎるご逝去でした。
穏やかな話り口と性格。
そして、高潔な人間性。
尊敬できる「男」でした。
ご冥福をお祈りします。