仏遊会で 『仏教聖典』を読んでいます。
自分の番がくると、ドキドキします(汗)。
終わると、ホッとします(笑)。
他の人が読んでいるのを聞きながら 本に目を落として 一緒に読みますと、
書かれていることが 不思議なくらい、よくわかります。
ひとりで読んでいると すっと通りすぎてしまって
わかったのか? わからなかったのか? が
わからないまま読み終えてしまいそうですが
なんだか、よくわかる(ような気がする)のです。
でも 深く考える前に 先へ進んでしまうのが難点といえば難点です。。
ただ 「ああ、わかる、わかる!」とか「ああ、そうだよね!」とか
共感するところが こんなに見つかるのは
きっと 他の人の音読を
文字を目で追いながら聞いているからじゃないかと思います。
それが、私の 仏遊会での 新たな発見でした。
先日の仏遊会では 188ページの
「これはわが子、これはわが財宝と考えて、愚かな者は苦しむ。
おのれさえ、おのれのものでないのに、
どうして子と財宝とがおのれのものであろうか。」
という部分を、頭の中で リフレインさせていました。
でも、どうせ すぐに忘れてしまうんですけどね!(笑)
画像は きょうの夕方のお散歩の時の空です。
自分の番がくると、ドキドキします(汗)。
終わると、ホッとします(笑)。
他の人が読んでいるのを聞きながら 本に目を落として 一緒に読みますと、
書かれていることが 不思議なくらい、よくわかります。
ひとりで読んでいると すっと通りすぎてしまって
わかったのか? わからなかったのか? が
わからないまま読み終えてしまいそうですが
なんだか、よくわかる(ような気がする)のです。
でも 深く考える前に 先へ進んでしまうのが難点といえば難点です。。
ただ 「ああ、わかる、わかる!」とか「ああ、そうだよね!」とか
共感するところが こんなに見つかるのは
きっと 他の人の音読を
文字を目で追いながら聞いているからじゃないかと思います。
それが、私の 仏遊会での 新たな発見でした。
先日の仏遊会では 188ページの
「これはわが子、これはわが財宝と考えて、愚かな者は苦しむ。
おのれさえ、おのれのものでないのに、
どうして子と財宝とがおのれのものであろうか。」
という部分を、頭の中で リフレインさせていました。
でも、どうせ すぐに忘れてしまうんですけどね!(笑)
画像は きょうの夕方のお散歩の時の空です。