渋沢栄一と言えば、
「鎮護国家」です(笑)。
中瀬の吉祥寺には 栄一翁が揮毫した「鎮護国家」の扁額があります。
吉祥寺らしい言葉を選んでいただいたようです。
入間の旧黒須銀行(現埼玉りそな銀行の源流のひとつ)の創業家には
「信為万事本」と書かれた書があるそうなので
(読売新聞4月19日朝刊 埼玉県北・県西版)、
ふさわしい言葉を選んで書いていたのかと思います。
吉祥寺にある書は、昭和庚牛の年、とあります。
庚牛って、結局、何年なんだ?
こういうのって、全然 わかんないですよね!
調べましたとも!ハイ。
昭和5年です。
庚午。
読めます、調べましたから。
「かのえ・うま」、または「こうご」と読むそうです。
栄一翁が亡くなったのは 昭和6年の11月ですから、
亡くなる前年のもの、という事になります。
また、渋沢栄一と言えば、「國躰之精華」です(笑)。
こちらは、本堂にあります。
以前は掛けてなかったのですが、
保管するにも大きくて大変なので 掛けてしまいました(笑)。
教育勅語40週年 とあります。
教育勅語が制定されたのは 1890年(明治23年)だそうですから、
1930年(昭和5年)頃の書?
という事は、「鎮護国家」と同じ頃に書かれたのかもしれません。