座敷ネズミの吉祥寺だより

吉祥寺って、ラッキーでハッピーなお寺ってこと?
中瀬の吉祥寺のあれこれをおしゃべり。

河田菜風さん

2016-09-16 | 菜風さん
河田菜風さんについては、以前、
「菜風翁の碑」のところで、
ちょこっと触れました。

実際の所、座敷ネズミには、よくわかっていないのです(恥)。

それが、よくわかりそうな催しがあります。



それが、企画展「深谷市にゆかりのある人々Part5~このひとをしっていますか?~」
です。


          

《関流和算の大家「藤田貞資」、門弟五百数十名 中瀬きっての教育者「河田菜風」 》
と題して行われています。

9月15日、昨日から始まりました!

「中瀬きっての教育者」だそうですよ!

中瀬の方々、ご存知でしたか?

「河田菜風(かわたさいふう)…門弟五百数十名を育てた教育者」
とあります、教育者だったんですね!(恥、汗)



もうおひとりの藤田貞資さんは、関流和算の大家なんだそうです。

川本の方のようです。







 【展示会期・展示会場】

    2016年9月15日(木曜日)~10月10日(月曜日、祝日)
    深谷市川本出土文化財管理センター(川本公民館南側の建物)
    入場無料

 【開館時間】
    午前10時~午後4時 (会期中は無休です)

 【展示内容】
    藤田貞資(ふじたさだすけ)…江戸時代に活躍した関流和算の大家
    河田菜風(かわたさいふう)…門弟五百数十名を育てた教育者

 主催/深谷市教育委員会
 協力/藤田雄山貞資先生顕彰会、深谷市美術家協会



みなさん、入場無料、入場無料ですよ!(笑)

      


深谷市川本出土文化財管理センター(深谷市菅沼1019、川本公民館南側の建物)
へは、私は行った事はなさそうですが、
時間を見つけて ぜひ足を運んでみたいものです。



いずれ、市の広報にも掲載されるかと思いますが、
実物を目で見る事が出来たら、理解もより深まろうかと思います。

さて、菜風さん、どういう教育者だったのでしょう?



『恐父論』

2016-09-16 | おしゃべり
読売新聞の「父の戦争 母の終戦」には、
阿川佐和子さんの回もありました。

亡くなったお父様に関して、
「あなたのお父様は 戦争がお好きでしたね」
と言われた事があるそうです。

戦争が好きだなんて、
そんな人がいるものでしょうか?

たとえ 昭和天皇を崇拝していようと
(昭和天皇の話をすると、いつも涙ぐんだそうですが)、

たとえ海軍に誇りを持っていようと
(海軍は、どうも、確かに、お好きだったみたい)、

「お父様は戦争がお好き」だなんて、
口に出して言うべき言葉でしょうか?

悪意を感じます!



           



お父様は、こんな本も書いていらっしゃいますけど。  
          






新聞をきちんと保存していなかったので、
阿川佐和子さんの回のものは、
(『蝿の帝国』の帚木 蓬生氏の回などを含めて、)
残念ながら、手元にありません。

手元にありませんが、
記憶に残っているのは、
最近 時々目にする言葉です。

「君が代」を歌ったり 日の丸を掲げただけで
「右翼」と呼ばれるのは、ちょっと、どうなんだろう? 
といった意味の言葉です。



他国の国旗、国歌を尊重するのは当然の事で、
それはもちろん、自国のものに対しても、同様なはずです。

日本人が 日本の国旗や国歌を大事にすると口撃されるのは、
どうしてでしょう?

お風呂で「君が代」を歌ったら、家族に笑われるのは、
何故でしょう?(笑)






阿川佐和子さんの最近の著作『恐父論』、お貸し出来ます。
(文藝春秋、2016.7.30、1300円)

          

帯には ビートたけし氏の

「阿川さんには言わなかったけど、
 はっきり言って
 あなたのお父さんは 私の理想です」

という言葉が載っています。


読売新聞の特別編集委員、橋本五郎氏は、

「『恐父論』は一見父親批判に見えますが、
 本当は「父を恋る詩」ではないのか。
 
 全く揺らぐことなく関白であり続けた父を
 本当は愛していたのではないかと思うのです。」

と書いています。(9月10日朝刊、13面)


ともかく、すごいお父様だったようです(笑)。

お父様の阿川弘之氏は。

大正9年のお生まれでした。



「父の戦争 母の終戦」

2016-09-16 | おしゃべり
「降る雪や 明治は 遠くなりにけり」
という言葉中村草田男の句がありましたが、
大正もかなり遠くなった現在、
世の中は「戦争を知らない子供たち」ばかりになりつつあります。

ドキュメンタリー映画「ひとりひとりの戦場 最後の零戦パイロット」
に登場し、
今年5月3日に亡くなった方は、99歳だったそうです。

戦争を知らない若者が 
テレビのニュースで戦場の映像を見て
「テレビゲームみたい」と話すのも、
無理はないのです(湾岸戦争の時の話)。






8月に 読売新聞紙上で
「父の戦争 母の終戦――戦後71年」と題した連載がありました。

父の戦争 母の終戦






  ――71年前のあの戦争。

  異国の戦地で父たちは何を見たのか。

  母たちはどんな思いで銃後を生き抜いたのだろう。
  
  悲惨なその体験は今、子や孫の世代にどう伝えられ、
    語り継がれようとしているのか――


新聞紙上の、期間限定版「ファミリーヒストリー」ですね。

上の言葉は、第1回の、腹話術師 いっこく堂さんのお話の
冒頭にあった言葉です。(no.1 7月30日)



サイパン、ポナペ島、トラック諸島、パラオ。

兵隊としてではなく、一般庶民としての、
そういった場所での生活と
ものすごいご苦労と、ありえないような奇跡と、
戻ってからの沖縄の悲劇。

いっこく堂のお父様・お母様の戦時の記憶は、
腹話術を使わなかったとしても、
とても一晩や1日では 語り尽くせるものではなさそうです。






マラソンの解説でおなじみの増田明美さんのお父様が
出征する父親と別れた時、
お父様は 生後100日ほどだったそうです。(no8、8月15日)

お爺様は、終戦の前年に
マーシャル諸島のクェゼリン島という島で 戦死なさいました。

(この回の、読みどころは、別の部分にあります。)



女優の浜美枝さんのお父様は、戦地から帰還した後、
10年近く、自宅で呆然と過ごしたそうです。(no11、8月25日)

ベトナム戦争後に注目されるようになった、
PTSDというものだったのでしょう。

こういう方々も 何人もいらしたようです。



陸軍武官のお父様についてオーストリアに行った、
という方(87歳)が9歳の時に
ドイツがオーストリアに入って来たのだそうです。

オープンカーに乗ってやって来たヒトラーを見に行き、
目と目があったそうです。

お父様は、
「戦争については ポツリ、ポツリといった感じで、多くを語らず、
 <常に学べ>というだけで、結論は口にしませんでした」
とあります。(no.12、8月26日、最終回)






戦地に限らず、戦争を体験したという人は、
身近に大勢いらっしゃいます。

それぞれの人に それぞれの戦争があり、
それぞれの戦後があって、
人々の平和への希求があって、
今があります。

たとえ戦時中や戦後の事を語らなくても、
そういったご先祖様や先輩方に
私たちは 感謝しなくてはならないと思うのです。