挨拶が大変遅れましたが、皆さま、今年もよろしくお願い致します。<o:p></o:p>
「絶対合格の信念」「絶対成功の信念」で微力ながら今年も全力であたる所存であります。<o:p></o:p>
ところで、<o:p></o:p>
子供の育て方について、いろいろな意見があります。100人親がいれば、100通りの考え方があるかもしれません。<o:p></o:p>
<o:p></o:p>
「子供をどう育てようと、それは親の自由。他人からとやかく口を出されたくはない。」<o:p></o:p>
<o:p></o:p>
私もそう思います。<o:p></o:p>
しかし、それはあくまで親や子供が世間に対して迷惑をかけたりしないことが前提です。<o:p></o:p>
ちょうど人権と公共の福祉の関係に似ています。人は皆それぞれ基本的人権を生まれながらに有しており、それは最大限尊重されるべきです。しかし、だからと言って何をしても良いというものではありません。あくまで他の人々の人権や社会秩序を害しない場合に限って認められています。そして、自分と他人の人権がぶつかるような場合の調整基準として道徳や法(社会のルール)があります。<o:p></o:p>
幼児に対して、社会のルールがどうとか、法律でどうとか言ってもはじまりません。教えるならこの一言です。<o:p></o:p>
「自分でされて嫌なことは、他の人にしてはいけません。」<o:p></o:p>
たとえば、こんなふうにもっていきます。<o:p></o:p>
<o:p></o:p>
親:もし、自分がそういうことをされたら、どう思いますか?<o:p></o:p>
子:絶対そんなことされたくない。<o:p></o:p>
親:それでは、なぜあなたはそんなことをお友達にするのですか。お友達もきっと嫌に思っていると思いますよ。あなたにそうされて、きっと悲しい思いをしていますよ。それでいいのですか?どうしたらいいですか。<o:p></o:p>
子:「ごめんなさい。」って言う。<o:p></o:p>
親:あやまればそれでいいのですか。<o:p></o:p>
子:これからはもうしません。っていいます。そして、これからはもうしません。<o:p></o:p>
親:そうですね。それがいいと思います。そうする人が立派な人です。<o:p></o:p>
<o:p></o:p>
とってもシンプルですが、これは自分の自由・人権と他人の自由・人権とを調整する判断基準になります。この言葉を子供達全員に徹底して教え込めば、その教室、その幼稚園・学校から「いじめ」もなくなります。<o:p></o:p>
<o:p></o:p>
是非、試してみてください。<o:p></o:p>