新聞の発言欄「61回目の夏」という特集があります。
NHKのドラマ(キラリ)もいよいよ本土決戦のときがきた、疎開してきた子どもが教室で人の弁当を盗み食べる食料難の時代である、多くの人が都会を離れ空襲のない田舎へ疎開したが、300万人が犠牲になった。
私は生まれたところでそんなことは知らずにいたが、私の家にも大阪の親戚が疎開をしていたようで、幼い頃の空気のなかでそれを感じていた。
ずいぶん前の新聞の切り抜きをしていたのにこんなのがあります。
「今年は是非実現したい」に応募された神戸のかたの投稿。
「55年ぶり疎開地訪れる」戦時下、学童集団疎開で暮らした土地へ再確認の旅に出た。
昔と同じように列車とバスを乗り継ぎ55年ぶり訪問した、子どもの頃の不確かな記憶でその地はわからなかったが、・・・は親切に調べてくださった。
私が疎開していたのは資母という地名のところだったと知った。山をひとつ越えたところの集落であるらしい。
その地名に長年かすんでいた記憶に日が差し、当時神戸方面の空ばかり眺めていた頃の自分がダブり胸がつまった。
近代的な建物、整備された道路を除けば見わたす風景は昔のまま、空は青く四方の山々は緑の濃淡を見せて・・・(中略)
平和な時代に温和な町に再会できて幸福な2日間であった。
疎開先、小さな子にはその場所がどこであったか分からない、かすかな記憶をたよりにその地を探しに協力させていただいたことがありました、神戸はあの大空襲「火垂の墓」の舞台となったところ、そこの方の投稿です。
NHKのドラマ(キラリ)もいよいよ本土決戦のときがきた、疎開してきた子どもが教室で人の弁当を盗み食べる食料難の時代である、多くの人が都会を離れ空襲のない田舎へ疎開したが、300万人が犠牲になった。
私は生まれたところでそんなことは知らずにいたが、私の家にも大阪の親戚が疎開をしていたようで、幼い頃の空気のなかでそれを感じていた。
ずいぶん前の新聞の切り抜きをしていたのにこんなのがあります。
「今年は是非実現したい」に応募された神戸のかたの投稿。
「55年ぶり疎開地訪れる」戦時下、学童集団疎開で暮らした土地へ再確認の旅に出た。
昔と同じように列車とバスを乗り継ぎ55年ぶり訪問した、子どもの頃の不確かな記憶でその地はわからなかったが、・・・は親切に調べてくださった。
私が疎開していたのは資母という地名のところだったと知った。山をひとつ越えたところの集落であるらしい。
その地名に長年かすんでいた記憶に日が差し、当時神戸方面の空ばかり眺めていた頃の自分がダブり胸がつまった。
近代的な建物、整備された道路を除けば見わたす風景は昔のまま、空は青く四方の山々は緑の濃淡を見せて・・・(中略)
平和な時代に温和な町に再会できて幸福な2日間であった。
疎開先、小さな子にはその場所がどこであったか分からない、かすかな記憶をたよりにその地を探しに協力させていただいたことがありました、神戸はあの大空襲「火垂の墓」の舞台となったところ、そこの方の投稿です。