今朝、曽洞宗のお寺さんの座禅に参加した。
1時間の座禅の終わりに、10分ほど和尚の説教。
きょうのお話は座禅をして何になるか・・・。
なんにもならんというのが教えである、話のなかいろいろと身につまされることが多い。
この説教が勉強になると、凡人は考えるが和尚は何にもならんと説かれる。
以無所得故(無所得)がきょうの説教。
こうして座禅を通じて貴方たちに出会える、人は誰でも無数の縁のなかに生かされている。
無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく、その縁を大切にしなければなるまい・・・こんな訓えであった。
いいお話を聞いても時間がたつとすぐに忘れ、聞いたことの半分も文章にまとめることができない、忘れぬうちと朝の書き込み。
<写真 朝雨にぬれた新緑の庭>
1時間の座禅の終わりに、10分ほど和尚の説教。
きょうのお話は座禅をして何になるか・・・。
なんにもならんというのが教えである、話のなかいろいろと身につまされることが多い。
この説教が勉強になると、凡人は考えるが和尚は何にもならんと説かれる。
以無所得故(無所得)がきょうの説教。
こうして座禅を通じて貴方たちに出会える、人は誰でも無数の縁のなかに生かされている。
無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく、その縁を大切にしなければなるまい・・・こんな訓えであった。
いいお話を聞いても時間がたつとすぐに忘れ、聞いたことの半分も文章にまとめることができない、忘れぬうちと朝の書き込み。
<写真 朝雨にぬれた新緑の庭>