飛行機だい好き パートⅡ

プラモデルと旅行 ハイキング の写真を
基本に不定期に載せたいと思っています。

Dewoitine D520 & Morane Saulnier M.S.406 その6

2011-08-29 21:01:39 | ブレゲー693, Ju52,Ju88,Fw190、P-47 Ju87 He177
筆塗り講座に持っていったもう片方の
フロッグ 72 ドボアチンD520 はフランス迷彩で仕上げます
塗装図はプロファイルの表紙にしました しかし筆書きには
あまりにもハードルが高すぎました。





















ラウンデルも真円にならずに枠がかっちりときまってません この辺りが
今後の課題になります 垂直尾翼のDewoitine D520 N277
を書き込むのが出来ませんでした
それと部隊マークの顔マークがあまりのも似ていません





次はチョッとハードルを下げないといけません 少しずつきっちりと
仕上げるようにしていきます
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富田林 畑ヶ田遺跡 現地説明会

2011-08-27 17:13:21 | 現地説明会
大阪府富田林市にあります畑ヶ田遺跡で銭貨入った土器の瓶と
掘っ立て柱の建物跡が見つかりました。
近くなので、早速チャリで出かけました。








保育園の建設に先立ち 弥生時代から中世にかけての集落跡がこの近辺
にあったことが発掘でわかっています。今回出土した土器から奈良時代
(8世紀)のものと考えられます。







柱穴の並び方から少なくとも5練の掘立柱建物の存在が想定できます。
建物1,2の柱穴は方形で一辺が約1mあり大きなものといえます
建物の正確な規模は不明ですが、一般集落とは異なる性格を持っていた
可能性も考えられます。














完全な形の土師器のかめの底に五枚の銭貨が、土を取り除くと現れました
錆が付着しており種類を特定できませんが、6時の位置に開ではないかと
思われる文字が認められ、かめの形状も奈良時代のものと見られるので
和銅開珎(わどうかいちん) 神功開宝(じんぐうかいほう)では
ないかと思われます。
土器に銭貨を埋納する事例は平城宮で多く確認されてますが
穴の中に据えられた例としては府下では大変珍しいそうです。
性格については、地鎮具もしくは胞衣壷(えなつぼ)がかんがえられます
胞衣とは人間の胎盤のことで、容器に入れた胞衣を門口や土間に埋め、
人が踏むほどその子供がよく育つとさています。
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Dewoitine D520 & Morane Saulnier M.S.406 その5

2011-08-23 21:16:27 | ブレゲー693, Ju52,Ju88,Fw190、P-47 Ju87 He177
田中克自氏直伝の講習会に出かけて その時に作り始めた
ホビィーボスの72 M.S.406 とフロッグのD520 です
まずMS406を完成しました 田中流筆塗り頭でわかっても
実際に筆を動かすと まだまだ判らない事ばかり
はずかしいけど 公開します


















以前に作ったハセガワのMS406二機と並べてみました 8のマークも
まだまだ 甘いです 冬季迷彩は黒の所を塗ってから白を塗りましたが
黒が溶けてグレーになりそうで エナメルの白を塗ってからラッカーの白で
整えました。 MS328 は筆書きに自信なく デカールをそのまま使用しました。
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Dewoitine D520 & Morane Saulnier M.S.406 その4

2011-08-22 22:13:10 | ブレゲー693, Ju52,Ju88,Fw190、P-47 Ju87 He177
二機一緒に進めてましたが、先にホビィーボスの72 M.S.406 フィン空仕様に
かかります 小物がまだ手をつけていないので 車輪からと冬季迷彩なので
尾橇にスキーが付いているので、尾輪から改造します





エッチングソーでタイヤを切り取り、それらしい板でスキーにします




プロペラもスピナーから出ている銃口を真鍮パイプにかえて少し
長くしました
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三輪神社から脇本遺跡まで

2011-08-20 20:31:25 | 現地説明会
奈良県桜井市にあります 脇本遺跡の第17次調査の
現地説明会がありました。弥生時代から飛鳥時代にかけての
遺跡です 周辺には雄略天皇の「泊瀬朝倉宮」や天武天皇の皇女
である大来皇女(おおくのひめみこ)が伊勢神宮に奉仕されるために
泊瀬斎宮で心身を清めた所があったと言われています。

今回は場所と駐車場が特定できなかったので車を三輪神社の
駐車場において、歩き始めました。





三輪神社入り口に
なんとBMとヤマハのバイクが止まっていました ヤマハのV MAX
だそうで、見ただけで震えそうでした。


三輪神社からはいつも北に向かって山の辺道を歩きますが
今回は南から東に向かいます 少し登りますと、まず平等寺に
着きます




ここから少し下がると金屋の石仏と呼ばれる仏様を祭る
お堂に見えます。








この辺りは大和と東国を結ぶ要衝にあたります 古代より
賑わっていたところです。 海拓榴市(つばいち)の名前が
残っています。








しばらく歩くと川岸にこんな碑があります ここが?と思いますが
船での交通の重要な所です







やっと現説会場の朝倉小学校に着きました 1時間の道のりです
近鉄大和朝倉駅に係員の案内があつてそれにそって歩きます
駐車場もここにありました






柱には直径35から45cmの木材を使っていますが、抜き取られてこの柱穴が
建物か柵なのか確定できないそうです


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