ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】バカの壁

2005年11月30日 22時16分34秒 | 読書記録2005
バカの壁, 養老猛司, 新潮新書003, 2003年
・2003年4月10日初版発行、そして手元の本は2003年9月15日23刷。この数字から当時の売れっぷりがよくわかる。世情にうとい私でも、このタイトルは耳にし、ちょっと気になる本でした。
・第二章 脳の中の係数:「y=ax という一次方程式のモデルが考えられます。何らかの入力情報 x に、脳の中で a という係数をかけて出てきた結果、反応が y というモデルです。」p.31 という自説について一章を割いて記述しています。「一次式(線形)て・・・単純すぎ」、「そりゃぁ極論だよ」なんて考えながら読み進めていくと、章の終わりに、「ここで述べたことはヘリクツでも極論でもない。」 ウキー!!読まれた!! (続き)→「脳も入出力装置、いわゆる計算機と考えたら当たり前です。普通はそう考えてないから、一次方程式に置き換えると違和感がある。人間はどうしても、自分の脳をもっと高級なものだと思っている。実際には別に高級じゃない、要するに計算機なのです。」p.39 どうも、個々の神経細胞は単純な動きしかしていない→(だから)→その寄せ集めも単純な動きしかしない。という考えでいるようで、「相転移」等の考えについては頭にないご様子。
・上のほか、な~~んかひっかかる記述が多分野に渡ってあったので、いくつか拾ってみると、
★複雑系工学「温暖化でいえば、気温が上がっている、というところまでが科学的事実。その原因が炭酸ガスだ、というのは科学的推論。複雑系の考え方でいけば、そもそもこんな単純な推論が可能なのかということにも疑問がある。」p.25
★言語学「ソシュールによると「言葉が意味しているもの」(シニフィアン)と、「言葉によって意味されるもの」(シニフィエ)、という風にそれぞれが説明されています。この表現はわかったようなわからないような物言いです。実際、ソシュールは難解だとされています。」p.76
★情報工学「脳のモデルとして現在有効であると考えられている「ニューラル・ネット」というものがあります。(中略)例えばコンピュータに文字を識別させるプログラムを作る場合、こういう自ら学習するプログラムと、細かいところまで全て予め設定して識別するプログラムとでは、前車の方がはるかに効率がよく、簡単なプログラムで済むことがわかっています。」p.93
★心理学「フロイトが無意識を発見する必要があったのは、ヨーロッパが十八世紀以降、急速に都市化していったことと密接に関係している。」p.116
★宗教学「イスラム教、ユダヤ教、キリスト教は、結局、一元論の宗教です。」p.193
このほか生物学・哲学・経済学・歴史などなど・・・「浅く・広く・大雑把に」という著者の情報収集についての行動パターンが透けて見えるようです。世間の「バカの壁」について指摘し、論じながら著者自らの「バカの壁」をも晒す。もっともその本意は「バカの壁」は壊すものではなく、認知し乗り越えるものであるということか。
・ま、いろいろ考えさせられる。という意味ではイイ本じゃないの~。
・なぜ本書は大ヒットしたのか?やっぱりそのネーミングと読み易さ?(主張が単純明解・断定的) 読み終えても尚、いまいちその題名がしっくりこない感じ。変えるとしたら・・・「養老猛司の頭の中味」・・・うん。こりゃ売れない。
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【本】無限と連続

2005年11月28日 23時11分31秒 | 読書記録2005
無限と連続, 遠山啓, 岩波新書 G3(青版96), 1952年
・一見すると哲学書か?と思うような題名ですが、れっきとした数学の本です。カバー紹介文より「難解とされる現代数学の根本概念を、数式を用いずにやさしく解説する「数学への招待」として本書は書かれた。音符が読めなくてもすぐれた音楽鑑賞家になれるように、数学を「鑑賞する」ための本といえよう。」とあるように、文章で数学を「感じる」ことができる稀有な本。例えるなら、大地にポッカリとあいた巨大な穴(数学の穴?)のふちから、恐る恐る穴をのぞきこむと、なかは漆黒の闇。小石を投げ入れても反応無し。その底知れぬ深さに恐怖をいだくような感覚。微分・積分の勉強を終わって、この次に一体なにがあるのか?と疑問をもつような高校生あたりにオススメしたい本です。
・「「数の概念の規定は集合数と単位であり、数そのものは両者の統一である。」ヘーゲル」p.6 この言葉のみ書き抜いても意味不明でしょうが、一応備忘のため。
・「われわれのなかには根強い空間化の傾向があり、トポロジーはそのように広い空間化の方向をも包容するもので、狭い意味の幾何学より以上のものである」p.133 「いままで数量化の困難のために数学の利用を封じられていた部門にも利用の途が開けてくるのではあるまいか。例えば数量化の困難ないろいろな性質の「似ているか、いないか」の比較を位相化の手段によって翻訳できるようになるかもしれない。」p.134
 トポロジー万歳!!
・本来ならこのようにザッと読み飛ばすのではなく、一日につき数ページのペースでじっくりと考えながら読むべき本。
・数学トリビア「スウィフトは計算があまりじょうずでなかったとみえて、ガリバー(身長が小人の12倍)の食糧配給率が身体の容積に比例すべきであるといういとも科学的な議論をのべたあとで、さて計算の段になると12^3=1728とすべきところを12^3=1724と答えを出している。この計算違いはたしかに不朽の名作とともに残る不朽のご愛嬌であろう。」p.143 →(注)「生物学者によると食料は身体の容積ではなく、表面積に比例する。だから、ガリバーの配給量は、12^2=144、すなわち小人の144倍で十分であったろう。」p.188
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千歳フィル練習

2005年11月26日 23時40分17秒 | 日記2005-10
一週間後の演奏会のための唯一の練習参加日…

メンコン(1楽章のみ)のソリストに心うたれた。
技術的なものよりもその音楽に対する姿勢というか何というか…

弾きながらやたらと目が合った。
顔上げてソリスト見ながら弾いてたのが自分だけだったから??
気のせいだけどね。たぶん。

マイスタージンガー:過去弾いたことがあるとたかをくくってたが、2ndは初見だったことが判明。ヤバい。
雷鳴:速すぎ…

練習しなきゃね…
~~~~~~~~~~
練習後実家に戻り、母の手料理(ツマミ)いただいた。
・白菜漬物
・牛肉+アスパラ+水菜+にんにく 味噌味炒め
・切り干し大根
・カボチャ(シナモンがけ)

カボチャにシナモンて…あいかわらず母の料理は意味不明。
美味しかったけどさ。
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敷地内禁煙

2005年11月26日 10時03分35秒 | 日記2005-10
これまでの「屋内禁煙」から、さらに今度は「敷地内禁煙」になるとの噂・・・
カンベンしてくれ~~
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【本】脳死臨調批判

2005年11月24日 20時43分56秒 | 読書記録2005
脳死臨調批判, 立花隆, 中公文庫 た-20-5, 1994年
・立花隆氏が「臨時脳死及び臓器移植調査会」を批判する内容。なぜ批判するかというと、平たく言うと「(脳死)検査法の有効性の証明の試みが何もなくて、「世界の判定基準は大体これと同じようなレベルです」「生き返った人がないんだからこれでいいんじゃないか」といったレベルの議論だけでは、一般の人が「はい、そうですか」と納得しないだろうということです。」p.52 とのこと。脳死・臓器移植問題については、それで命が助かる人が増えるならいいんじゃないの~?程度の認識しかありませんでしたが、本書の主張では脳死臨調が提案する脳死基準では、「意識」がまだある(かもしれない)状態で脳死判定され臓器摘出が行われる可能性があるそうです。レアケースではありますが。
・「脳死」について脳死臨調=「死」であるのに対して、著者=「生」という正反対の立場。そりゃモめるわな。
・「医学的に見た「人の死」は、「人の生」と同じく一連の出来事であって、決して一瞬に始まり一瞬に終わるものではない。」p.122 ハイ。死は一瞬だと思ってました。そうか・・・「死」も連続している・・・う~~ん・・・こうなるともはや宗教。
・「生物が生きているということは、せんじ詰めるとどういうことかというと、ホメオスタシスが維持されていることだといってよい。(中略)つまり、生きるということは内と外が区別されてあるということであり、死ぬということは、内と外の区別がなくなるということなのである。」p.181
・「視床下部というのは、小さいけれど、ものすごい構造をしているところなんです。ものを食べるとか、性行動をするとか、あらゆる動物的本能行動の中枢が密集している。そしてあらゆる情動の中枢でもある。ものすごく精密にできていて、生命保持に必要な機能がギューッと凝縮されている大変なところです。」p.194
・脳死臨調最終答申の少数派(脳死慎重派)の記述より抜粋。「たとえ限りなく死に近い状態とはいえ、まだ死ではない状態の体を移植でしか助からない人のために捧げるのは、キリスト教の愛の行為とも、仏教の菩薩行とも矛盾しないであろう。われわれは、「脳死」を死と認めることには賛成はできないものの、移植医療に何らかの道を開くことに決して反対ではない。」p.318 この奉仕の気持ちを果たして自分は持てるだろうか・・・
~~~~~~~~~~
・で、最終答申を受けて結局この話はその後どうなったのか、気になっていたところ、これに関する新聞記事を目にした。なんというタイミング!!脳死臨調の委員内で少数派に属し、その意見を無視させることなく最終答申にネジいれた張本人。梅原猛氏の記事より抜粋。「92年1月に出された最終答申を受け、97年6月、臓器移植法が成立。同法では、「事前に臓器移植提供の意思を明確にした人に限り脳死を死と認める」と規定。また「臓器提供についての本人意思の事前確認」を厳しく求めるなど少数派の主張が反映された。同法に基づいてこれまで実施された脳死者からの臓器移植は39例。移植医療現場から、臓器提供条件が厳しすぎるとの声があがり、与党は、「家族の同意があれば臓器提供が可能」とする法改正を検討している
臓器移植をしたいがために死の概念を変えるというのは、発想が逆転しています。脳死は人の死ではないのです。」2005.11.23読売新聞
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【演】室蘭音楽協会 市民オーケストラ演奏会

2005年11月23日 19時27分45秒 | 演奏記録
第55回市民文化祭 室蘭音楽協会 市民オーケストラ演奏会
2005.11.20(日), 室蘭市文化センター 大ホール, 入場料:一般1000円
指揮:菊地俊一, パート:2nd Violin

エティエンヌ・ニコラ・メユール 喜歌劇<偽りの財宝>序曲
ヨーゼフ・ハイドン 交響曲第94番 ト長調 Hob.I-94 <驚愕>
ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーベン 交響曲第3番 変ホ長調 作品55 <英雄>
アンコール1 ボルトニアンスキー(菊地俊一編曲) Andante(弦楽合奏版)
アンコール2 プロコフィエフ 子どものための組曲「夏の日」より 5.行進曲(二回演奏)

・一年のうちで、一番気疲れする演奏会がどうにか無事終了。。。疲れたぁ~
・会場は暖房がガンガンたかれて、暑くてまいった。その影響は人間のみならず、楽器にまで及びチューニングがメロメロ~。この時期の演奏会は珍しくないのだけど、こんなにひどかったのは初めてだった。
・メユール:室蘭オケ得意の、今年のマイナー(だれも知らない・・・)曲がこの曲。譜面づらはやさしいが、一応フランス物ということで「フランス」っぽく弾くのが難しい。そこそこきれいにまとまったかな。
・ハイドン:ええ!そりゃぁーもう!やってやりましたよ!「そこはハッキリ入って!」と何度も注意された2楽章のあそこ!ハッキリ・クッキリ・ガツンと最高の音量・音質で快心の入りだった! ただ、繰り返しを間違えなければ完璧だったのにーー・・・・・・orz
ひさかたぶりの大チョンボ。皆が繰り返して戻った中、一人で次へ行きました。
曲を弾きながら、「そういえば、トラ(お手伝い)に謝礼渡すの忘れてた!」、「終演後のバタバタする中、全員つかまえて渡さないと・・・」、「まずはAさんに渡して、次にBさん。いやまてよ、すぐに帰りそうなCさんが先か・・・?」なーんて、雑念てんこ盛りで弾いてたもんだから。。。
間違いなく録音にはいってるな。皆様ごめんなさーい!!
メンバーからの声→「笑いをこらえるのに必死だった」「知らんフリして弾き通したのはさすがだった」「まさに驚愕だった」
・4楽章の楽譜切り込み入れは結局意味無し。
・ベートーヴェン:1楽章を含め「全繰り返しあり」で演奏。1楽章が長すぎる。。。
・ボルトニアンスキー:合唱曲を指揮の菊地先生が弦楽合奏用に編曲したもので、ゆったりとして美しい曲。観客アンケートでも好評。
・プロコフィエフ:お客にうけるのかどうか、演奏会の締めとしてどうなのか、甚だ疑問だったが、指揮者による曲(楽器奏法)解説のおかげで、うけは上々だった。二回演奏。「この曲のみ」のお手伝いだった、パーカッションのおふたりさん。おつかれさま。
・客数472名(公式発表) 目測では700。今までで一番入ったんじゃないか?と思えるほど多かったのだけど・・・オカシイなぁ~
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玄関チャイム故障中

2005年11月21日 22時24分42秒 | 日記2005-10
玄関チャイムが鳴らなくなった。
わざわざ電池を買ってきて交換するも、やっぱり鳴らない…

どうせ誰も来ないし。ま、いいか。
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中間管理職

2005年11月19日 23時05分20秒 | 日記2005-10
指揮者にどなられ、パートのメンバーに気を使い、エキストラの接待接待。

あああ~♪中間管理職~~♪
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弓選び

2005年11月18日 23時09分07秒 | 日記2005-10
ビオラと一緒にバイオリンの弓を2本(上2本)取り寄せて試奏した。
3本目が現在メイン使用。
以下、散財の足跡…orzorzorz

2本とも値段からは考えられないほど良い弓ですが…
「うおおぉぉ!?」という感動が無い…

という訳で、今回はご縁が無かったということで。

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おNew楽器 - Viola

2005年11月17日 22時50分46秒 | 日記2005-10
9月に注文し、作成してもらったViolaが今日届いた。
419mm(16.5inchi) 装飾入り 中国製
いままで弾いていたものより1cm以上大きいのに、全然弾きやすい!!
いままでの楽器が「ビオラ」ではなく、単なる「でかいバイオリン」であったことに気がついた…
だって5万の楽器だものね…

ここ一年ほどでちょこちょこ楽器を買って、総額100万ほど使ってる気が…気のせいだ………気のせいに違いない!!
(*´∀`*)あはははは……

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