青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

レコードの電車

2013年06月01日 23時00分25秒 | 京浜急行

(♪ああ港町十三番地@川崎市川崎区港町)

長い旅路の航海終えて~ってなもんでやって来た川崎市は川崎区港町。すっかり5月は育児に忙殺&仕事に忙殺された感じもあり、そしてまだまだ何も終わっちゃいないのだけれど土曜日は久々に子供を連れてワンデイ・トレイン。これでも一応買い物のついでの外出です。ヨメが「広告で入ってたから、2人目のチャイルドシートを買って来て欲しい」と言うもので…


やって来たのは京急大師線の鈴木町駅。何でこんな場所にと言われても困るのだがw、子供が「京急がいい」と言ったのと、神奈川県の鉄道乗り潰しの一環とでも言えばいいのでしょうか。鈴木町駅は駅の真裏に味の素の川崎工場がありまして、そもそもこの「鈴木町」と言う駅名&町名自体が味の素の創業者である鈴木三郎助氏から取られているんですね。これ、川崎検定とかで出そうだな(笑)。京浜工業地帯ってのは基本的に埋め立てて作られた新しい土地か、何にもない場所にドカンと工場を作ったりとかで開発されて行った経緯があるので、地名の決め方もこんな感じになるものが多いです。鈴木さんの工場が出来たから「ここを鈴木町とする!」って感じで…まあその時代にも大泉洋みたいな人間がいたのでしょう(笑)。鶴見線の安善とかも、埋め立てを行った安田財閥の「安」田「善」次郎氏から取られてたりしますしね。


この「何もない場所に地名を付ける」と言う作業に人の名前を使うというのは、江戸時代の新田開発なんかもそうですね。田舎のほうに行くと権兵衛新田とか甚六新田みたいな地名いっぱいあるもんなあ。そんな鈴木町の駅は簡素な相対式のホームに狭い改札、上下ホームの行き来は構内踏切で行います。小さい子供連れには階段を行ったり来たりしないでアクセス出来るこのスタイルが大変に楽でございますな。アイラブ構内踏切。

 

とりあえず来た電車に乗って揺られてみれば、川崎大師・東門前・産業道路と停車してあっという間に終点の小島新田。特に車窓に見所があるわけでもないので説明は割愛(笑)。いかにも工業地帯らしいよく分からないケミカル臭と、大田区から鶴見にかけて広がる全体的にくすんだ灰色の町が小島新田界隈にはあります。駅前のタコヤキ屋の屋台がいなたい雰囲気を増幅させてるな…子供も「なんかくさいにおいするねえ~」としきりに言ってますが、あんまりでっかい声で言うと周辺住民に睨まれちゃいそうだから静かにねw


駅前の跨線橋からは川崎貨物駅が見えます。京浜工業地帯の物流を支えるかなりん(神奈川臨海鉄道)のDDも停まってますね。そしてその向こうにはタキが並んでるのが見えますかねえ。手前のちょっと平たいコンテナ貨物は川崎市のゴミ収集用のコンテナで、川崎北部地区のゴミを梶ヶ谷の貨物ターミナルに集めて、臨海地区の処理施設までコンテナに乗っけて持ってくんですね。収集車での直接持ち込みから鉄道へのモーダルシフトってヤツです。愛称は「クリーンかわさき号」。ちなみに川崎市のゴミ収集車が流すメロディ「好きですかわさき愛の街」を知らない川崎市民はモグリだと思う(笑)。この音楽が外から聞こえて来ると「ああ、起きなきゃ!」と思う事が多々あった大学時代のアタクシ。

 

あんまり空気の良くない工業地帯に子供と長居するのも何なので、そそくさと小島新田から返しの電車に乗車。産業道路・東門前・川崎大師・鈴木町・港町と息つく暇もなくあっという間に終点の京急川崎駅へ到着。そして車窓風景はやっぱり別に見どころがないので割愛させていただきます(笑)。乗って来た1500型を普段は使わない降車ホームから一枚。「京急川崎-小島新田」の折り返し固定幕がいかにも支線です感をプンプンさせてますなあ。京急川崎駅は、大師線は地上の1~3番ホーム、本線が高架上の4~7番ホームを使うわけですが、無駄に乗降分離用のホームになっているのは言わずと知れた正月の川崎大師への初詣多客対策。普段は日陰の身ですが、そもそも大師線って川崎大師の参詣客のために作られた関東最古の「電車」なんだよね(1899年電化開業)。


地上の大師線と高架の本線は、品川方でこのように繋がっている。たまには品川発小島新田行とか小島新田発羽田空港行とか運転したっていいじゃない(笑)。川崎と蒲田で2回の方向転換とか熱いだろ!まあ4連しか入れないから空港輸送の障害になってしまいそうだが、そもそも昔は空港線も大師線もそんなに雰囲気変わんなかったんだよねえ。空港直結してなかった頃の羽田空港駅なんか小島新田の雰囲気とどっこいどっこいだったしねえ。本線からお払い箱になった車両の最後の働き場で、ボロい4連が線内を機織り往復するだけでしたから。


京急川崎から港町へ、子供とホケホケと歩いてみる。「今日は吉原堀ノ内」で有名な堀ノ内の傍を子供と散歩するのが果たして教育上良いのかどうかは分かりません(笑)。ちなみに「京急乗って堀ノ内まで」と言う意味はオモテとウラで2通りあるので、特に横須賀市民は県外で話す時には留意しなければいけないと思います!(学級会風に)。
大師線の列車は、京急川崎駅を出ると多摩川の堤防の下を急カーブで右旋回して港町駅へ向かいます。再三に亘り大師線の車窓には見どころがないと言っておりますが、強いて挙げるならここらへんのムリムリな線形を制限25でキイキイ車輪を鳴らしながらゆーっくりゆっくり走っていく所は大師線らしいですかねえ(笑)。一回本線の2100とか入れてフルノッチで走ってみたらどーなんだろとか思ったり(脱線するだけだろ!w)。

 

港町駅到着。ありゃ、港町の駅きれいになっちまったなあ。自分にとっての港町駅ってのは川崎競馬に行くオヤジどもが狭いホームに佃煮みたいにひしめいて、足元に踏みつけられた赤ペンだらけの日刊競馬が転がってるようなそんな駅だったんですけどねえ。それもそのはず現在駅裏には京急キモ入りのタワーマンションプロジェクト「リヴァリエ港町」が発動しておりまして、港町の駅もそれに伴ってキレイに改築されたとそう言う訳なんであります。川崎競馬場の最寄り駅である事は一切触れられていない公式HPに悪意を感じる(笑)。京急って平和島競艇とか川崎競馬とか花月園の競輪とか日ノ出町の場外とか、そーゆー乗客のニーズに応えて来た歴史の事実は厳然としてあんじゃねーのかと。いまさらオシャレ方面に逃げるのってどーなのよと。どうせきれいにしたって川崎競馬でモツの脂とかタバコの吸い殻とかを踏み付けた足でウロウロされたらすぐ汚くなっちまうってw


んで、そのマンションってのは元はと言えば日本コロムビア川崎工場の跡地に建てられております。京急で品川から下って来ると、多摩川の鉄橋から音符マークのコロムビアの緑色のネオンサインがよく見えましたねえ。港町駅の改札周りはそんな往時のコロムビアの栄光の日々が紹介されておりますが、思わず名盤の数々には見入ってしまいますなあ。なんか最後のマルシアだけ格落ちって感じは否めないけど(笑)。「北酒場」と「矢切の渡し」の連続レコ大ってのはコロムビア史上でもかなりの快挙であったと思われる。あ「Smile for me」でちゃんと河合奈保子が紹介されているのもポイント高いですw

うーん、こうして見るとコロムビアの時代ってのはそのまま「レコードの時代」だったんだね。
駅の裏ではレコードを作り、駅の前の競馬場ではロジータやホクトベガがレコードを叩き出した。
沿線の川崎大師は、全国2位の300万人の記録的な初詣客を迎える名刹。
そして、関東最古の電車と言うレコードホルダーである大師線。レコードってのは「記録」と言う意味も持っている訳で、さしずめ大師線は古き時代からの川崎の街をレコードしながら走っていると言う事かな。
コメント
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