青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

TOQーBox

2013年06月13日 00時25分27秒 | 東京急行

(オールスターズ揃い踏み@長津田検車区)

土曜日は、恩田の田んぼでこどもの国線を見つつ帰ったのだが、途中で田園都市線の線路を見つけた我が息子。「見るっ!」ときっぱり言い残し、線路端に立つ梅雨晴れの夕方。まあずいぶんと日が伸びましたな。場所はつくし野駅からちょっと中央林間寄りのストレート、近所の子供もコンデジ持って撮影に来てましたが、撮るにはいい場所なのかね、ここ。


現在の東急グループを席巻する勢いでその勢力を伸ばす5000系。東横でも田園都市線でもこのウォーズマンが如き細いアイラインと鉄仮面を見ない日はないと言う状況でしょうか。東横筋の副都心線方面への直通車は数字だけで言えば4000番台のナンバーを付けているのだが、5000系の4000番台と記述しているものもあれば、4000系と言う独立した形式だと記述している資料もあり正直なところはよく分かりませぬ。ツヤ消しのボディに赤いラインを巻き、田園都市線仕様は緑のラインを追加しているのがポイントですが、おそらく東急車輛製造最期の大所帯グループとして向こう40年くらいは走るんだろうなあ。この10連は正面ステッカーにあるように6ダァ車を中間車に入れ込んで、殺人的とも表現される朝のデントのラッシュを支えております。


そしてまだまだ元気だ8500系。そもそもデントの元祖大所帯グループと言えばこの系列。コルゲート板で包まれたステンレスの割に重厚感のある車体、地下鉄線対応の8M2Tと言う強力な電動車比率。長津田検車区横の登り坂を抜けて、つくし野のストレートを100km以上のスピードでかっ飛んで来た急行中央林間行き。先頭車両の床下に櫛の歯のように並ぶ抵抗器が昭和のクルマだなあって思いますが、いや~電動車が駆け抜けるたびにブンブンとクマンバチの羽音のような迫力あるサウンドを久しぶりに堪能してしまいました。全盛期の常磐線快速(103系)もかくやと思わせる。長電とか秩父じゃ決してお目にかかれない迫力のその姿に脱帽でございます。


お次は…東武車30000系ですか。デントまで来るのは50050系が多いのでその姿をお目にするのも久し振りですな。関東の私鉄なのに関西のメーカーであるアルナ工機で制作されたこの車両、。正面の貫通路の渡り板をベロッと出してるとことかやっぱりどう見ても関東の顔をしていないんだよな。5700系からDRCに伝わる東武伝統のマルーンの帯をビシッと締めて、東武の車両の中では端正な顔立ちをしているけどね。アルミ地のところを余さずマルーンに塗り上げちゃったら、フツーに西宮北口駅とかに停車していてもそんなに違和感はなさそうだよなあ。


えー。東京メトロの08系らしいです。デントから新玉線を頻繁に使っていた大学時代には影も形もなかったクルマ、基本的にメトロさんの車番の振り方は路線ごとに一つ数字を割り振ってそれをインフレにしたりデフレにしたり変番させて使っているわけですが、半蔵門線は初代が8000系、2代目がこの08系、と言う事は次は18000系ですかね。千代田線の6000→06→16000みたいにね。そう言えばシロートみたいな質問で恐縮ですが、なぜ千代田線の06系って1編成しか作られなかったんでしょうね。ってこの08系の話を全然してませんね。ハイ、正直よくわからんのですよw


赤みを帯びて傾く太陽を浴びてやって来た、その半蔵門線初代8000系@爆弾ドア。しかも8001Fのトップナンバーときたもんだ。ちなみに日本初のボルスタレス台車を履いたクルマだと言う事は案外知られてない。台車の剛性、安全性と言う点ではやたらと糾弾の的になるボルスタレス台車ですが、その嚆矢とも言えるこの車両も色々あるらしくデビュー当時はそんなにスピード出せないとか何とかの理由で各駅停車にしか使われない時代もありました。営団6000のくの字型の腰折れスタイルと比べて、スパッと斜めに切った前面デザインは印象に強いですが、この斜めデザインって地下鉄の車両に多いような気がしますね。横浜市交通局とか札幌の地下鉄とかさ。


帰ろっか?と聞いたら、子供がもうちょっと見るというので待っていた最後の一本は東武車50000系。なんかここまで1本たりとて車種の被りがないというのが凄いですな(笑)。オレンジと言うのは東武の文化にないカラーだと思うのだが、西武のスマイルトレインみたいな「次世代フラッグシップ車」って事なのでしょうか。JR東の「彩」ほどではありませんが、ビミョーな隈取のネコ目もポイント。前面部があたかもお面のようにパコッと接合されているのは、この部分だけ別に作った鋼製パネルを車体に接合しているからでして、奇しくもそれは西武30000系スマイルトレインと同じ作り方。何のこたーなく、両者とも「A-Train」と言う日立製作所の鉄道車両における新設計思想のもとに作られた、いわば兄弟車のような存在なんですねえ。

案外と近所に走っている割には、撮ったことがなかった田園都市線界隈。古くは半蔵門、水天宮前までだったその行路も、半蔵門線の押上延伸を契機に中央林間から都会を抜け、遠く南栗橋へ、久喜へ。子供の頃、地下鉄の路線図ではいっちばん短かった紫のラインは、今や関東を縦断する距離にして約100kmを走り抜ける関東最長の相互乗り入れの担い手となって、我々親子にこんな光景を見せてくれるようになりました。東武の車両ってーのは、北千住でちらっと見れればいいくらいの遠い存在でしたからねえ。
コメント
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