青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

恩田の里で紐解けば

2013年06月08日 22時45分33秒 | 東京急行

(夏色の築堤を@恩田~長津田間)

梅雨に入ってからの方が明らかに天気の良い関東地方。と言うか全国的に空梅雨傾向らしいですが、そうなるとちらほらと水不足の声なんかも聞こえて来たりして…やはり季節は季節のままに巡った方が良いって事ですかね。今日は親に呼び出されて実家でちょっとアレな話をして来たのだが、そのため鉄活動はちょっと控えめ、家に帰る道すがらの恩田の田んぼでこどもの国線なんぞを眺めてみる。すっかり晴れ上がった梅雨の夕方、ゆっくりと長津田に向かって紫陽花の咲き始めた築堤を上っていく横浜高速鉄道のY001編成。


横浜市内とは言え、多摩丘陵の雰囲気を残す恩田川の谷戸を走るこの辺りは水田が広がり長閑なもの。田植えが終わったばかりの水田は緑の絨毯。アタクシが子供の頃は風車のマークを付けた3000系列の釣り掛け旧型車がのんびり走ってた事を思い出しますねえ。その頃はこどもの国の周辺ってもっと鬱蒼とした山と言うか森に囲まれた地区だった覚えがあるのだが、その山が開発されて沿線が一気に宅地化したため、こどもの国線も通勤路線へと変貌を遂げました。そもそもこどもの国線って古くは旧日本軍の田奈弾薬庫への引き込み線だったんだぜ。こどもの国内部にも弾薬庫の跡は残ってて、子供の遊ぶ大きな広場の奥には丘陵地の薄暗い森の中にトーチカみたいなコンクリ擁壁に囲まれた横穴がいっぱいあって異常に雰囲気があるんですな。小さい頃こどもの国でキャンプをやった時、夜にこの弾薬庫地帯を使った肝試し大会をやったんだけど、「弾薬庫時代の不慮の事故で亡くなった兵隊さんの魂が…」みたいな話をさんざん吹き込まれたせいで死ぬほど怖かったのを覚えています(笑)。


昭和22年頃に米軍が撮影した恩田のあたりの航空写真を見ると、南の長津田側から引き込み線が伸び、途中で二股に分かれ丘陵地の弾薬庫に繋がっている雰囲気が何となく見て取れる。立地としては西に座間の帝国陸軍士官学校(現在のキャンプ座間)と帝国海軍厚木基地、長津田から横浜線を経由して横須賀の帝国海軍横須賀鎮守府と日本軍の補給ルートとしては極めて好ましい位置にあった田奈弾薬庫。敗戦を機に米軍の接収を受けたそうなのだが、その後も朝鮮戦争の際には米軍の補給施設として引き続き大量の爆弾を製造し続けていたらしい。そして今上天皇のご成婚を機に、平和を祈念した公園として再整備を受けた田奈の弾薬庫…紐解けばこの短い路線は横浜に残る戦争と平和の歴史。こどもの国に続くこの長閑な恩田の里を、爆弾を積んだ貨車が進んで行った時代はちょいと想像もつかないなあ。
コメント
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