永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(139)

2008年08月24日 | Weblog
8/24  

【蓬生(よもぎう)】の巻  その(14)

 源氏は、末摘花のお屋敷に自らお出でになることはありませんが、その代りお文には細々と、

「二條の院いと近き所を造らせ給ふを、そこになむ渡し奉るべき。……女ばらも空を仰ぎてなむ、そなたに向きてよろこび聞える」
――二條院の傍に建物をお造りになっていらっしゃる折りで、やがてそこにお移しもうしましょう。(気の利く女童などを探してお使いなさい、と召使いのことまでもお心遣いをされますので)、女房達も空をうち仰いで、源氏のお屋敷の方を拝まんばかりに、お礼を申し上げます――

 世間では、源氏がお心に留められる女は、相当な方と思っておいででしょうが、このような人並みでない末摘花を手厚く扱ってお上げになるのは、これも、前世からの深いご縁というものかも知れません。

 末摘花に見切りをつけて去っていった使用人たちは、姫君のお身の上に春の日が照り添ってくると見て、はずかしげもなく、舞い戻って来る者もおり、常陸の宮邸は次第に活気づいてきました。

 この姫君は二年ほど、ここに居られ、二條院の東院にお移りになりました。源氏がお渡りになることはないものの、ついでの折りにはお顔を出されるようです。

「かの大貳の北の方、のぼりておどろき思へるさま、侍従が、うれしきものの、今しばし待ち聞えざりける心浅さを、はづかしう思へる程などを、今少し問はず語りもせまほしけれど、いと頭いたう、うるさくもの憂ければ、今またもついであらむ折りに、思ひ出でなむ聞ゆべきとぞ」
――かの受領の大貳の北の方が、京に帰って驚く様子や、乳母子の侍従としてみますと、うれしいことながら、本人としては、もう少し姫君のお側で源氏をお待ち申さなかった心の浅はかさを、恥ずかしく思ったであろう模様など、問わず語りもしたいところですが、何とも頭が痛く、うっとうしくて気が進みませんので、今度またついでのある折りに思い出してお話することにいたしましょう――

◆女童(めのわらわ・めわらわ)
宮中や貴族邸に仕えて、身の回りのことなどをする少女。
役職名でもあり、かなり年がいっていても、女童的な仕事をする者を女童と呼んだりする。

◆お屋敷の修理が源氏の財力と使用人によって修復(玉の台)されるという、こういうところに、貴族の経済力を見ることができます。最後のあたりは、聞き手に向って、物語る形式がとられています。

◆写真:イラスト末摘花、いつも地味に描かれる姫君です。
    
蓬生の巻 おわり。ではまた。


源氏物語を読んできて(子供の衣服)

2008年08月24日 | Weblog
•貴族の乳児~幼児
 袴着(はかまぎ)前なので袴は付けない。単衣や袿(うちぎ)を巻きつけたり、絎紐で襷(たすき)にしたりした。袴着後に袴をつける場合は、ずり落ちないようにオーバーオールのように袴に襷を付けることがある。

•貴族の幼児~若年(成人前)
 基本的に大人と同じ形の装束を、反幅で作って着る。子供服としては汗衫(かざみ)や、細長(ほそなが)と呼ばれる水干(すいかん)に似た装束がある。髪型は男女とも振分髪(ふりわけがみ)にして、男の子は角髪(みずら)や総角(あげまき)、女の子は顔の脇の髪を元結(もとゆい)や紙で結んだりする。

•民間の乳児~幼児
 主に、裸(はだか)でいることが多い。布を巻きつけたり、手無(てなし)を着せられていることもある。

•民間の幼児~若年
 男女とも、小袖(こそで)を着て絎帯(くけおび)で結んでいることが多い気がする。袴に着込めていることもある。髪は肩くらいで無造作にしている。成人に近づくにつれて、大人と変わらない服装になってくる。貴族邸に仕える子供などは、水干などをつける場合もある。

◆参考:平安娯楽間より
◆写真:汗衫(かざみ)

源氏物語を読んできて(138)

2008年08月16日 | Weblog
8/16  

【蓬生(よもぎう)】の巻  その(13)

 末摘花は、こうまでして草深い家をお訪ねくださったお志に、お心を引き立てられて、やっとかすかにお返事をされます。

 源氏は、わたしの心は変わることなく、このように露に濡れてお訪ねしたことを、あなたはどう思われますか。ご無沙汰はお互い様で、お許しくださるでしょうね、などと、
「さしも思されぬ事も、情情しう聞えなし給ふ事どももあり」
――それほどにお思いでないことでも、いかにも情けありげに、優しくお話になったようでございます――

「立ち留まり給はむも、所のさまよりはじめ、眩き御有様なれば、つきづきしう宣いすべして出で給はんとす」
――ここにお泊まりになるには、荒れ果てたお屋敷の模様をはじめとして、きまり悪いほどのご様子ですので、上手に言いつくろってお立ち出でなさろうとします――

 松に掛かった藤を見て、素通りし難く思いましたのは、あなたが私を待っていてくださったからです。そのうち、のんびりと須磨でのお話も申し上げましょう。などと源氏はお話になって、末摘花が几帳の向こうで身じろぎなさる気配や、袖の薫物に、昔よりは少し大人びてこられたことよ、とお感じになるのでした。

 室内の調度の飾り付けなどは、荒れ果てたお屋敷の外見にくらべれば、優雅で品良く昔のままで、源氏はあらためて、この姫君を不憫に思われたのでした。
 
 さて、
 源氏は、賀茂の祭りやその前の御禊に、そのお支度のためといって、諸方からの献上物を、しかるべき女方にお配りになります。ことに常陸宮(末摘花)には、細やかにお心を配られて、蓬を苅りはらわせ、崩れている築地を板垣に修繕など、おさせになります。ただ、世間体には不名誉なこととお思いになって、ご自身では姫君のお屋敷をお訪ねにはならないのでございました。

◆8/17(日)~23(土)の1週間お休みします。

源氏物語を読んできて(137)

2008年08月15日 | Weblog
8/15  

【蓬生(よもぎう)】の巻  その(12)

 源氏は、「人の通う道もないほど深く茂った蓬の原を、自分こそは探し尋ねて、昔ながらの実直な姫君の御心をなぐさめよう」と独り言をおっしゃりながら車を降りられます。
 
 惟光は御足元の露を、馬の鞭で払いつつ、
「御傘さぶらふ。げに木の下露は、雨にまさりて」
――お傘がございます。まことにあの「この下露は雨にまさりて」という東歌のままでございますから――

 雨の雫もやはり秋の時雨に似て、降りそそぎますので、源氏の指貫の裾はひどくぬれてしまったのでした。
 昔から、あるか無きかの中門も、今は形を留めないほどで、中にお入りになるにつけ、

「いとむとくなるを、立ちまじり見る人なきぞ心安かりける」
――見る影もなく荒れ果てているが、見とがめる人が居ないのは心安いことであるよ。――

 末摘花は、きっと必ずお見えになることと、待ち続けられた甲斐があって、たいそう嬉しく思われますが、みすぼらしい身なりでお逢いするのを恥ずかしく思っておりました。あの大貳の北の方が置いて行かれたご衣裳を女房たちが、薫物(たきもの)を入れた衣装箱にしまっておりましたのを、大急ぎでお着せになって、とにもかくにも、煤けた几帳を引き寄せてお座りになっておられます。

 源氏はお入りになって、几帳を隔てたところで、

「年頃の隔てにも、心ばかりはかはらずなむ、思ひやり聞えつるを、さしもおどろかい給はぬうらめしさに、……え過ぎでなむまけ聞えにける、とて帷子をすこしかきやり給へれば、例のいとつつましげに、とみにも答へ聞え給はず」
――このいく年もご無沙汰しておりましたが、心ばかりは変わらずあなたのことを、お思い申しておりました。そちらから何とも言ってお寄こしにならないのがうらめしく、(今まで、ご様子を拝見しておりましたが、しるしの杉ではありませんが、お宅の木立がはっきりと目につきまして)通り過ぎることができず、意地比べにとうとう負けてしまいました、と言いながら、几帳の帷子を少しかきのけてご覧になりますと、例のごとく、ひどくご遠慮深い様子で、すぐにご返事もなさらない――

◆むとくなるを=無徳、荒廃して役にたたぬ

◆「木の下露は、雨にまさりて」=古今集・東歌
 「みさぶらひみ笠と申せ宮城野の木の下露は雨にまされり」

◆「しるしの杉」=古今集
 「わが庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉立てる門」

 当時の誰もが知っている和歌を、登場人物を通して随所に折り込んでいます。

 ではまた。



源氏物語を読んできて(復元模写・蓬生)

2008年08月15日 | Weblog
◆写真 復元模写「源氏物語絵巻・蓬生」加藤純子氏制作。
    当初は、このような色彩だった。
    絵の右側は、残酷なまでに朽ち果てた邸で、御簾と老女房が描かれてい
    る。
    左下方は、先頭に惟光が馬の鞭で蓬の露をはらい、傘を差して源氏が続
    く。
    中央は蓬の原の露が、月光に光る。NHK出版より。

源氏物語を読んできて(136)

2008年08月14日 | Weblog
8/14  

【蓬生(よもぎう)】の巻  その(11)

 惟光が尋ねます。「こちらの姫君が昔のままでいらっしゃるなら、大将もお訪ね申されたいとのお志も絶えてはいらっしゃらないのですが…」

女房たちは笑って、

「かはらせ給ふ御有様ならば、かかる浅茅が原をうつろひ給はでは侍りなむや。……年経たる人の心にも、類あらじとのみ、めづらかなる世をこそは見奉り過ぐし侍れ、……」
――お変わりになるほどの御身ならば、この浅茅が原をお引き移りなさらずにはいましょうか。(ご推察のまま、殿に申し上げてください。)年老いた私どもでも、思い当たらない程の珍しい御貞節ぶりを、長年拝見してまいりました。――

 惟光は、これこれしかじかと源氏に申し上げますと、
「いみじうあはれに、かかる繁き中に、何心地してすぐし給ふらむ、今までとはざりけるよ、とわが御心のなさけなさも思し知らる」
――話をお聞きになった源氏は、たいそう可愛そうに思われ、こんな草深い中に、どのような思いで日を過ごしておられたことか。今まで訪れもしなかったとは、わが心のつれなさを、しみじみお悔やみになるのでした――

 源氏は、どうしたものだろう、こんな忍び歩きは度々は難しく、またの日ともいかないだろう。昔とおなじ独り身ならば逢ってみよう。たしかにそのような生真面目な姫君ではあったよ。とお思いになり、趣のある「うた」の一つも差し上げたいところではありますが、あの姫君の口の重さをお考えになって、お使いの者の、待ちくたびれるのも不憫と思われて、うたの口上はお止めになりました。

惟光が、
「さらにえ分けさせ給ふまじき、蓬の露けさになむ侍る。露すこし払わせてなむ、入らせ給ふべき」
――とても踏み分けて行かれそうにもない、ひどい蓬の露でございます。露を少しかき払わせてから、お入りになりますように――

◆写真:お屋敷の末摘花

ではまた。

源氏物語を読んできて(135)

2008年08月13日 | Weblog
8/13  

【蓬生(よもぎう)】の巻  その(10)

 源氏は、来し方のさまざまなことに思いをめぐらしながら、車に乗って進んでいきます。やがて見る影もなく荒れ果てた家の、木立がうっそうとした、まるで森のような所をお通りになります。大きな松の枝に藤の花が月の光に揺れていて、辺り一面良い香りが漂っております。
 
 はて、ここは見覚えのあるところと、ご覧になりますと、その筈、あの常陸の宮邸のようです。車を止めさせて、源氏は惟光に、

「ここにありし人は、まだやながむらむ、……よくたづねよりてを、うち出でよ。人違へしてはをこならむ、と宣ふ」
――ここに住んでいた姫君は、今も寂しく過ごしているのだろうか。……よく様子を尋ねてから、こちらのことも言い出すがよい。人違いなどしたら物笑いだからね、とお言いつけになります――

 お屋敷の末摘花は、物思いに沈みがちで暮らしておいでで、昼間のうたた寝に亡き父君の夢をご覧になって、覚めても名残惜しく悲しく涙をぬぐって、ついでに雨漏りのあちこちを取り繕っては、常になく並の女らしくお振る舞いになっておられます。

 惟光が中に入って、あちこち巡ってみますが、人の気配もしませんので、引き返えそうとして、ふと見ますと、格子を二間ばかり上げて、簾の動く気配がします。近くに行って案内を請いますと、

「いともの古りたる声にて、先づ咳を先にたてて、かれは誰そ。何人ぞ。といふ」
――ひどく年寄った声で、まず、咳(しわぶき)をしながら、そこにいるのはどなた、どういうお人か、と言います。――

惟光は名を告げて、侍従の君といわれた方にお目にかかりたくて…と言いますと、

「それは外になむものし給ふ。されど思しわくまじき女なむ侍る、といふ声、いとねび過ぎたれど、聞きし老人と聞き知りたり」
――その方は、余所に行かれました。でも侍従と同じにお考えいただいてよいお方
がおります、という声は、たいそう年寄りじみていますが、確かに聞き覚えのある老女房の声でした――

 思いも寄らぬ狩衣姿の男が忍びやかに現れて、物腰もやわらかで、このような客人を久しく見なかった女房たちの目には、もしや狐の変化ではあるまいかと思われたのでした。

◆写真:狩衣姿

ではまた。