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NPOの現状や日々の雑感などを徒然なるままにお伝えします。

江戸の段階的教育法 <文(ふみ)十二>

2010年05月04日 | 江戸
今日は、子育てしぐさの「三つ心、六つ躾(しつけ)、九つ言葉、文(ふみ)十二、理(ことわり)十五で末決まる」のうち、「文(ふみ)十二」についてです。

江戸時代の商家には、万一、主がなくなっても跡取りがすぐに代行できるという用意周到さが求められました。そのため、数え年の十二歳になる頃には主の代書ができるようにします。注文書や請求書はもとより、季節の挨拶状、苦情があったときの詫び状など、商売に必要なことは一通り書けるようにしたそうです。

しかしながら、商人は日々の商いがあるため、子どもに読み書き算盤などを教える暇がありませんでした。それを担っていたのは、民間による教育機関である寺子屋(手習い)です。数え年の七歳か八歳の初午に入門し、十二歳か十三歳で卒業しますが、その間に礼儀作法をはじめ、読み書き算盤などを学びます。

幕末の慶応年間には、全国で1万を超える寺子屋が授業をしており、江戸の市中だけでも1200~1300くらいの寺子屋があったといわれます。また、寺子屋用の教科書も信じられないほど種類が多く、商業用語を集めた「商売往来」、農業用語を教える「百姓往来」、地名や地理を教える「東海道往来」「国尽(くにづくし)」など実物が残っているだけでも、七千種類もあるそうです。

このように教育熱心であった江戸時代の日本では、庶民の就学率、識字率はともに世界最高水準に達しており、福沢諭吉が「通俗国権論(明治十一年)」の中で、「凡そ国の人口を平均して、字を知る者の多寡を西洋諸国に比較しなば、我日本を以て世界一等と称するも可なり」と書いているほどです。

(To Be Continued)

*記述の一部は、NPO法人江戸しぐさ理事長越川禮子さんの著書を参照させていただきました。
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