あしたのタネをまく、アシタネブログ!

今日よりちょっといい、明日にしませんか

くじけないで(柴田トヨさんの世界)再掲

2019年11月27日 19時34分42秒 | ノンカテゴリー

先日、柴田トヨさんのDVDを借りた。名前は聞いていたけれど、ビデオで見ると素晴らしい方だなと感じ入ってしまった。90歳から始めたという詩は、シンプルな言葉の中にキラリと光る感性を感じた。

母にプレゼントするために2冊を購入し、送ったところ、「今、二回目の読み直し」とのこと、とても喜んでもらえた。読みやすさも魅力になる。それも大切なことだと気づいた。詩を一部を紹介したい。




目を閉じて
 

目を閉じると

お下げ髪の私が

元気に

かけまわっている

 

私を呼ぶ 母の声

空を流れる 白い雲

どこまでも広い

菜の花畑

 

九十二歳の今

目を閉じて見る

ひと時の世界が

とても 楽しい


母親の存在は、年齢に関係なく大きいと改めて感じる。転じて、ひとりの人間として、こどもたちの父親として、家族へ何を残そうか。詩を見ながら、ふと思う。

ブログを読み返しながら、追記をして再掲いたしました。


ある時の立ち話に身につまされる。

2018年11月25日 06時00分05秒 | ノンカテゴリー

自宅の浴室が水漏れしているので、知人に職人さんを紹介してもらった。塗装、大工、室内装飾、3人の職人が入れ替わり、作業をしていただいた。平均年齢は、60台半ば。お互い立ち話で近況などをお伺いした。

70歳。大工の話。
「個人事業主で国保だから、年金が安いのよ。働かざろう得なくてね。こどもが独身なんで心配だ」「生活保護も受ける選択肢もあるけれど、家があるし、身内に扶養できない環境でないと、受けられないらしい。俺は無理だ」「うちの兄が認知症になってきた。先日兄夫婦を連れてドライブした。高速道路を走行中、途中で何度もトイレにいきたいと声を荒げる。しかし、トイレは数分前済ませたばかり。次のトイレまで場所がないので苦労する。そのうち嫁から、兄が怒られて、もうドライブにはいかないという。兄嫁から、弟さんから話してみてと言われるが、兄は聞く耳をもたない」

「身近に家の近くで「小」をする方がいる。あんなにはなりたくないがこればかりは、どうしようもない。そういえば、近くの森で自殺する人が多いと聞く。先日は、サーファが自殺者を助けたが、退院の翌日、首を吊って亡くなった。死ぬことを決めている人は、止めることができない」

65歳の塗装職人。
「嫁から今月いくら稼げるのと、言われるが、そんなに仕事がある訳じゃない」「身体が弱ってきているので、週3日など、間をあけないと続かない」「家は借家がいい、一戸建てはメンテナンス費用がかかる、でも家がなかったら今の年金では生活できない」

 改めて、老いていくことへの恐れ、それは健康であったり、お金の問題であったり、家族の問題であったり、悩みは尽きない。それでも、手に職があるだけで、良いと人からは言われるという。

 30代後半の世代の消費が落ちていると、厚労省の統計にでていた。こんな親達世代の姿を自分の未来に重ね合わせると、消費は控えるよな・・とふと感じた。

お互いボケないように、仕事しましょう。仕事が一番の薬だからと、職人さん達と笑って別れた。


Surfaceを購入。自宅PCやスマホと連動させ、生産性が向上!

2017年11月26日 07時02分12秒 | ノンカテゴリー

創業の準備をすすめている。外出する機会が増えることから、持ち歩きのできるPCの購入を検討していた。強度があり、コンパクト、電池が長持ちすること、軽量が条件だった。また、話題性のあるPCという点も考慮して、Surfaceに決めた。



箱に「Surface」がプリントされている。中を開けるのが楽しみ。



美しい箱を開くと「Surface Book



ペン入力とタッチパネルが使用可能。



キーワードも使い慣れるまでタッチが浅い感じがする。慣れてくると運指もスムーズ。重厚感があるも軽量。
アプリ以外のデータは、ONEDRIVEに格納しており起動は11.5秒(顔認証にて)

今回、PCが移動用と自宅用の2台を連動するため、ATOKの単語登録、グーグルカレンダー、ONEDRIVEを活用している。
これまで、USBを持ち歩いていたが、データはONEDRIVE経由でやりとりが可能となるなど、連携外スムーズになった。

グーグルドライブでは、スプレッドシートの利用で、さまざまな管理ができるようになった。
現在、仕事を含め9つのプロジェクトを同時進行させている。どこがどのように進んでいるか、1~2月先はどうするか。
多くの資料作成などをこなしていかなくてはならない。覚えておくのも限界がある。また数多くの資料やノートを持参するというのも非効率。そんな悩みを解決してくれたアプリである。

PC上でもスマホのアプリでも、このスプレッドシートは閲覧可能で、PCとスマホの連係もバッチリ!
これらの情報源は「1日を3時間増やす超整理術」(髙嶋美里著)。他にも実践可能な手法が公開されている。


リフレッシュナビ。ちょっと、いい感じ。

2017年11月12日 19時28分44秒 | ノンカテゴリー



先月、PCを購入したことをきっかけにATOKをインストール。このATOKには、リフレッシュナビという機能があり、長時間入力を続けると休憩を促すメッセージが出る機能が便利だ。これは、キー入力の状況などから、ユーザの疲労状況を推測し、適宜休憩を促すというもの。

文章を入力することに集中していると、休憩のタイミングを逃してしまう。適宜休憩を入れた方が効率は良くなるが、集中しているとどうしても休憩を忘れてししまう。

ATOKのリフレッシュナビがあれば、リフレッシュナビの休憩を促すメッセージが、休むためのきっかけになる。メッセージが出たら、PCから離れて、ひとやすみ。そうすることでに結局的に効率が良くなる。

リフレッシュナビは結構便利な機能である。


その時、どう感じたか、どう動いたか。

2017年09月17日 11時40分15秒 | ノンカテゴリー



これじゃ格差がつくはず・・。と憤りを覚えたのは、17年前の西暦2000年頃のこと。当時、ネットショップを開設していた私は、研修先の京都でそう感じた。何故なら、ネットショップの研修会が毎週のように開催され、楽天市場の三木谷社長を始めネットショップの大御所達が毎月のように研修講師として参加していたからだ。

宮崎の入ってくる情報といえば、新聞やテレビでのこと。確かに情報は大事。しかしもっと大事なのは、つながりである。講演前後での参加同志の名刺交換や情報交換が、新聞の書かれる前の情報である。新聞に掲載された時にはもう遅い。
もうすでにいろんな方が先行されており、その情報にうまみはない。

だからといって、ちいさな会社でできる訳もないので、さまざま行政機関に提案して回ったが、足蹴にされる事が多かった。事の重大性に気付いて欲しかったが、地方ではまだIT,ネットショップへの当時意識が低かった。

ちなみに私がネットショップで物販を始めたのは1997年のことだ。ネットでモノが売れると感動して人に話したら、ある方でそんなのあるわけないでしょ・・と鼻で笑われた。その時は本当に悔しい思いをした。その時は多くの人が半信半疑だった。

その後、この状況を打破すべく最新情報を地域の方に提供できるよう何か所が回ったが取り合ってもらえなかった。ところが捨てる神あれば拾う神あり。当時の宮崎県産業支援財団にプレゼンをする機会をいただき、提案が採用された。

そして第一号の講演会のすべてを任せていただくことになった。講師は傘屋ドットコム、宮武和広@心斎橋みや竹さんに知人を介してお願いした。講演は大成功。それから2年間、講演会活動などさまざまな形で関わらせていただいた。

そのご縁で、1年に2回程交流会を開催して17年あまりになる。
「その時どう感じて、どう行動したか」つまり、感じること、そして動く、動かないを含め、どう感じて判断したのか大切なのだと思う。
問われているのは、自分の姿勢だ。


串間市ご当地グルメ「ぶりプリ丼ぶり」

2017年07月15日 17時09分49秒 | ノンカテゴリー



先日串間市に行った折、美味しい料理があるとのことでお昼に大乃屋さん(串間市駅近く)に立ち寄った。
30名程は入れる店内はほぼ満席。人気があるようだ。

ご当地グルメ「ぶりプリ丼ぶり」は、市内では他にあと1店舗提供されているおり、宮崎市内では江戸銀(宮崎市中央通り)にてランチのみ提供されている。
ちなみにこの丼ぶりの定義があるらしい。それは・・・

1、串間市で水揚げされた”活き〆ぶり"を使用すること
2、ぶりの量は、100グラム以上
3、価格は基本一律1,000円(税込)
4、サラダに使う野菜は5種類以上
5、おいしいぶりのアラ汁をつける、となっている。

この丼ぶりの中身は、半分がブリが特製醤油漬けになったものがごはんに乗っている。もうあと半分は小皿の特性ソースと醤油をかけていただくというもの。ぶりの量も多く、またごはんも美味しいので、ペロリと平らげました。ファンになりました。
串間市方面へ行かれる方はぜひ、召し上がってください。きっと満足されると思います。ページ下に紹介ちらしを添付しますので、ご参考ください。





海鮮こぼれ丼、954円!

2017年02月28日 07時02分42秒 | ノンカテゴリー



シニア産業カウンセラー資格取得のため、2月~3月の隔週、合計6日間で行われる「逐語記録と事例報告の作成と検討」に参加している。
昼食を楽しみたいと、研修会場を中心に足を運んで、見つけたのが代々木駅から歩いて1分。磯丸水産の海鮮こぼれ丼。



海鮮こぼれ丼は、954円(税込1,030円)。ネギトロ、たまご、マグロ、海老、カンパチ、サーモン、ズワイガニ、イクラ、煮アナゴがドーンとのっかっていました。ごはんがおいしく、ネタを引き立てています。また、生海苔味噌汁 97円(税込105円)とお安く、満足な一品でした。ごちそうさま!


「あんたみないな客には来てもらいたくない・・」といわれた思い出。

2017年02月23日 21時42分14秒 | ノンカテゴリー



「あ~おいしいね」と私。ガスじゃないと火加減が難しいと友人。上記の餃子は、「ホワイトギョーザ」。
宮崎県延岡市では、昔有名だった。現在は延岡店は廃業し、鹿児島市内のチェーン店で販売されている。

昔からホワイトギョーザのファンだった友人は、自身の経営するスーパでその餃子は販売している。
遠く70キロ離れた宮崎市からも購入に訪れる程、人気なのだ。

かれこれ40年程前、学生時代。部活やバンドの練習の終わったのち、食べに行った。
店主がかなりお金に細かい人で、使いにくかった割りばしを諦め、2本目をつかうと嫌な顔をされた。ギョーザのたれを多く使うと、また嫌な顔をされた、一か月後店に行ってみると、箸はひとりに一本だけ手渡し、たれは事前に小皿についであった。自由にたれを使えるところがよかったし、量を食べる方だったので、毎回たれをもらうのは面倒になったが、そのおいしさに魅かれ度々店を訪ねた。

ある日、学生同士はふざけあっていたら、「あんたたちみたいな客には来てもらいたくない」と真顔で言われ、ショックを受けた。それから、しばらく店へと足は遠のいたが、旨さと安さに負けて何事もなかようにまた通った。

店長は張り紙が好きで、部屋中、ギョウザの作り方のポスターが張っていたっけ。面白い漫画だったので、続きを見ようとしたら数年前の月刊誌だったとか、お金を清算した手でぎょうざをつくる奥さんとか、話題には事欠かないお店だった。

今でも昔の友人と会うと、その話題で盛り上がる。こんな学生時代の思い出がいっぱい詰まった店が3軒ほどあったが、いずれも店主が高齢となり店は、もうない。

現在の学生達にも、そんな記憶に残る店はあるのだろうか。食欲旺盛な若い時代。どんなお店とつきあっているのだろうか。
そんな青春の時間を共有したお店はある意味、地域の文化を担っているかもしれないと思う。


太宰府のスターバックスは、新国立競技場のデザインを担当した隈研吾さんの作品だった。

2016年05月21日 10時53分41秒 | ノンカテゴリー


(3年前撮影したスターバックス 太宰府天満宮表参道店)

5月21日のサワコの朝で、建築家の隈研吾さんが紹介されていた。2020年・東京オリンピックのメイン会場となる新国立競技場のデザインを担当することで知られる隈さんは、東京・銀座の「歌舞伎座」や、女性に大人気のジュエリーブランド「ティファニー」銀座本店などをはじめ、世界を股に掛けて著名な建築を多数手がけています。

お話の中で、太宰府にあるスターバックスも隈研吾さんの作品とわかり、なるほどを思った次第です。
ホームページによると、建築家 隈研吾氏により「自然素材による伝統と現代の融合」というコンセプトをもとに設計されました。店舗の入口から店内にかけて、伝統的な木組み構造を用いた特徴あるデザインになっています。木のぬくもりとコーヒーの香りに包まれた贅沢な時間をお楽しみください、と書かれてありました。

前回訪れた時は、時間がなく立ち寄れなかったけれど、次回はぜひ店内でコーヒーを楽しみたい。


北陸へギターを抱えてひとり旅へ

2016年01月16日 22時10分36秒 | ノンカテゴリー



(知人のいる宇奈月温泉)

今年、音楽活動を始めて40年。この節目の年に、何をしようかと以前から考えていた。自分らしい何かができないかと考えた末、以前からの夢だったギターを抱えて旅をすることを企画した。

そもそも、昔、「角瓶と文庫本持って旅に出る」というCMがあった。ジーパンにポロシャツのラフな格好のおじさんが、電車に乗り、サントリーのウィスキー角瓶を窓のところに置き、キャップをコップ代わりにして飲みながら文庫本を読んでいる。「電車の中で文豪たちとまず一杯」なーんてナレーションが入る。とても印象的なCMだった。

2月10日の夜より4日間、知人のいる北陸の金沢、富山を旅行。フェリーやバスを乗り継いだ旅行だが、CMで見た旅を実現できる旅だ。さながら「これまで出合った音楽とまず一杯」という旅というところか。

この旅では路上ライブ、古い民家に泊まること、冬の北陸を体験することが目的。特に路上ライブは、25年ぶりであり、年齢的なこともあり恥ずかしい気持ちが強かった。50の半ばを過ぎたおじさんが路上ライブ・・・と迷っていたが、先日「路上ライブをやります」と宴席で宣言。もう後戻りはできない。


(10代、友人宅にて)


(20代、総務庁「青年の船」にて)


(30代、福祉施設訪問し、演奏)


(40代、九州沖縄音楽祭出場)


(50代、定期ライブにて)

40年、いろんなことがあった。ギターを覚えたくて、友人宅に寝泊まりしたこと。夜通し語り合った音楽と人生についての話。始めてのコンサート。5つのバンド活動を経験。ふくしコンサートに企画運営に携わった日々。テーマソングの制作。慰問演奏会でのふれあい。そして、現在活動中の定期ライブ。

音楽活動を通して私を楽しませて、勇気づけ、元気にしてくれた。そして多くの出会い。40周年という記念の年。原点に帰り、更に深めていきたい。


会議で二度びっくり。

2015年12月10日 07時26分42秒 | ノンカテゴリー

先日、ある会議に代理出席した。資料は事前送付が慣例となっている。代理ということもあり当日、資料一式が準備されていると思い参加した。しかし、資料は届いていなかった。慌てて、手持ち資料を関係者にコピーしてもらった。

今回の会議では、担当者から「資料説明とグループの近況報告」の依頼があった。ところが当日の議事の上がっていたのは、依頼以外の内容で更にびっくり。

どうしよう・・。言い訳はできない。自分のやるべき事に集中しようと気持ちを切り替え、会議の主旨を理解した上で、7分間の持ち時間をこなした。

担当者への疑問はあるものの、その事実を私がどう受け止めたかではないかが大切ではないかと思った。つまり私は、頼まれたから・・・という立場で、安易にその役割を考えていたのではないか。代役=代表としてのとしてのを果たすためにどんな準備をしたのか。自分の甘さを反省した。

しかし、依頼内容への踏み込んだ内容確認は正直言いづらい。特に目上の方には・・。一方、会議を前に、前回の会議資料を精読したり、自分なりの仮説を立てることは可能である。勿論すべての会議という訳ではなく、重要性を高いものだけでも。

今回の出来事で改めて感じたことは、多くの方が時間を共有する会議。貴重な時間を活かす意識を持つこと。行事(会議)への目的意識と行事全体とみる視点を持つこと。人はどうという事ではなく、自分自身の問題。よりよく生きるってことかな。


災害支援で、できること。

2015年09月06日 09時45分37秒 | ノンカテゴリー

所属する会で、災害ボランティア活動グループのリーダーをしている。5日に会内研修があり、7月より講師を探していたが、防災週間ということもあり、講師が見つからなかった。

そして急遽、私が講師をすることになり、準備を進めた。これまで受講した研修や振り返りの中で、何か役立てることはないかと考える中で、準備の大切さを痛感したことがあったので、紹介したい。



(大きな爪痕を残した台風の被害、於:宮崎市)

平成17年の台風。宮崎でも大きな被害がでた。私の故郷、延岡市でも五ヶ瀬川が氾濫して、床上・床下浸水で、家具や家電品、自動車が水につかったという方が多かった。

友人のS君もそのひとり。何か手伝えることはないか、支援するにあたり、新聞や地域の方にどんな支援が必要かを調べた。その中で地元の人は動けない。なぜなら、ご家庭や親族の復旧作業のことで精一杯であったり、台風影響が少なかったにせよ、気持ちの整理がついていないように感じた。被災された方が必要としているのは人手と、気持ちが沈んでおり、不安が大きいことがわかった。

人づてに友人S君は、個人経営の自動車工場が、水浸しとなり、車は難を逃れたが、事務所はほとんどつかえない状態と聞いた。台風が通り過ぎた3日後、「よかったら、何か手伝いにいくけれど。どれくらい時間手伝いできる。どんなことでもする。昼飯は持参する」とだけ伝えた。友人は、気にかけていてくれたことを喜んでくれた。あと、当日必要なものを調べた。タオル、バケツ、スコップなど、手に持てる範囲で持ち込んだ。

当日がやってきた。車が邪魔にならないよう、タクシーで現場へとかけつけた。朝から、もくもくと手伝う。手伝いながら、友人は、台風の様子や事前に預かっている車を移動したことなど。話を聞きながら短時間のうちに、大きな影響があり、自然災害の恐ろしさを知った。また、今後の悩みなども聞くことも話してくれた。

夕方5時、まだまだ片付いてはいなかったが、ひと区切りつけた。友人に、何か必要なことができたら、連絡してくれと伝え、その日の作業を終えた。その後、自宅の復旧など落ち着いた同級生たちが、その後の片付けなどを手伝ったと聞いた。

その時は、特に本を読んだりした訳ではなく、自然に感じるところで準備をしたが、今考えてみると、講座などで学んだような支援が10年前にできていたのだと思った。もちろん、不足していことはたくさんあるけれど。それらは、防災士講座などで補える学習をしたので、今後は更に手厚い手伝いができると思う。改めて、事前準備が大切なことをこの経験を通して改めて再認識した。


56歳。また新しい一歩へ

2015年08月30日 13時00分35秒 | ノンカテゴリー

今月20日。56歳の誕生日を迎えた。55歳のテーマを「GO!GO!55歳」と定めは、一日一日を大切にしたい。できることは精一杯やりたいとの思いが通じ、満足できる1年だった。仕事も遊びも、精一杯取り組んだ。朝は5時起き、夜は家事手伝いや勉強もこなした。

振り返ってみると、両親の傘寿祝い・家族揃っての大阪旅行・キャリアコンサルタントと防災士試験合格・新たな勉強への挑戦など、楽しめた一年だった。音楽活動も今年で40周年。もっと自分の中の表現したいことを追求していきたいと強く思うようになった。

10年程前職場でのトラブル、家族の病気やさまざまな問題が集中し、苦しんだあの頃。人知れずもがき苦しんでいた分、今がどんなに幸せかが分かる。

誰を責めることもなく、自分を磨いていく。そんな葛藤を通して、今があることや今の自分の力になっていること。それはある意味、自分の「財産」になって、モチベーションを高めることに繋がっていると思う。

以前亡くなったお爺ちゃんから言われたことがある「生きるということは、今を精一杯生きることだ」と。つまり「今、ここ」にしか生きてることが認識できる瞬間や感覚を意識し、そこを満たすこと「生きる」に繋がっていくのではないか。

気負うこと無く、人の喜ぶ顔を見て喜ぶ。そんな生き方を重ねていきたいと思う。


蒼い日記

2015年01月11日 07時16分40秒 | ノンカテゴリー

40年近く続けている日記。昨日整理していたら、1978年8月15日(金)から綴っていた。
20年近くは手書きで、それ以降はテキストで残している。いつかは処分しようと考えていたが、昨日手書きの日記帳は目を通したのち処分した。



(手書きの日記帳)

日記の主な内容としては、日々の出来事、計画、夢や目標、そしてエッセイやポエム(詩)のようなもの。読み返すと当時の様子などが脳裏に甦ってくる。面白かったのは、高校時代に始めて付き合った彼女との出会いから別れまでが物語り風にまとめられたものがあった。

教室の匂いや漂っている雰囲気などが伝わってきそうだった。その他にも、高校時代付き合っていた彼女との交換日記。まだ持っているの?と言われそうだが、好きな子が進学した高校まで追っかけていくという単純な男だったから、ひとつひとつの恋が甘酸っぱい。

いつも誰かに惚れていて、いつも自信がなく自分を責めている。理想とする自分と現実の姿に、ダメだダメだと書いていた。そんな蒼い時代(高校時代~20歳頃)。そして23歳頃からは、周りのことが見えるようになったのか、人への気遣いを大切にしたいなどの記載が多くなり、すこしづつ自分から周りへと目が向き始めた頃。全体的には、自分自身変わっていないように感じた。

職場の先輩から60歳を過ぎたら、これからいつ何時、この世とお別れする時がくるかわからない。少しづつ始末をつける生き方をしていくことも大切だと教えてもらった。そう考えると不思議と恵まれている現在に感謝、健康に感謝する気持ちとともに、家族や周囲に何を残していく生き方をしていきたいと考える。

日記とはある意味自分との対話。これでいいのか?どう生きるのか?わからないコタエを自分に問い続けること。
それでも、考え続ける中でヒントやアイデアが浮かんでくる。不安が希望に変わり、希望が目標に変わり、目標が足跡に変わる。
足跡が自信に変わる時まで、ひたすら歩きつづけるしか自分自信のコタエは無いのではと思う。

そんな考えもある意味、自分自身の「蒼さ」かもしれない。永遠つづく「蒼」だろう。しかし未熟でよし、成熟に憧れる蒼のままで生きればいいと思う。


黒澤映画並びに日本映画界の最高傑作「七人の侍」

2014年11月26日 04時34分49秒 | ノンカテゴリー



「石榴坂の仇討ち」以来、1週間に3本のペースで邦画が見ている。時代劇が多い。最近観た映画でこころに残っている作品がある。黒澤明監督の「生きる」、高倉健主演の「四十七人の刺客」、「二十四の瞳」などである。

※映画「七人の侍」紹介
(日本の戦国時代(劇中の台詞によると1586年)を舞台とし、野武士の略奪により困窮した百姓に雇われる形で集った七人の侍が、身分差による軋轢を乗り越えながら協力して野武士の一団と戦う物語。

黒澤が初めてマルチカム方式(複数のカメラで同時に撮影する方式)を採用し、望遠レンズによるパンフォーカス、ダイナミックな編集を駆使して、豪雨の決戦シーンなど迫力あるアクションシーンを生み出した。さらにその技術と共に、シナリオ、綿密な時代考証なども高く評価され、アクション映画・時代劇におけるリアリズムを確立した。ウィキペディアより:一部、文章略)

40人近い野武士と戦う為に、立てた戦略のひとつひとつが成功したり、失敗したりすることでドキドキさせられた。死を意識した戦いの前に侍、百姓それぞれの生き方に魅せられたこと。恋、笑いあり涙ありと、さまざまな要素の詰まった素晴らしい作品で、日本映画界の最高傑作と言われるのもうなづける。

※映画「生きる」の紹介
(「生きる」(いきる)は、1952年(昭和27年)に東宝で公開された日本映画である。監督は黒澤明、主演は志村喬。昭和27年度芸術祭参加作品。黒澤監督作品の中でも、そのヒューマニズムが頂点に達したと評価される名作で、その題名通り「生きる」という普遍的なテーマを描くとともに、お役所仕事に代表される官僚主義を批判している。主人公の志村喬は、胃癌に侵される初老の市役所市民課長を熱演した。劇中で彼がゴンドラの唄(吉井勇作詞、中山晋平作曲)を口ずさみながらブランコをこぐシーンは、名シーンとしてよく知られている。ウィキペディアより)

「生きる」では生きていくことへのさまざまな想いから、涙腺が緩んだ。

※映画「四十七人の刺客」の紹介
(「四十七人の刺客」(しじゅうしちにんのしかく)は、1994年東宝製作の時代劇映画。原作は池宮彰一郎の小説。「日本映画誕生100周年記念作品」として東宝の威信を賭けた作品であった。ウィキペディアより)

映画では、仇討ちまでの謀略戦と大石と一文字屋の娘・かるとの恋を中心にした「忠臣蔵」が描かれている。高倉健の持つ人間的魅力と登場する男達の生き方に惹かれた。

先日、高倉健が亡くなった。11月23日、NHKプロフェッショナル 仕事の流儀「高倉健スペシャル」が放送された。その紹介文を掲載したい。

一度きりを生きる

高倉は、「同じことを何度も演じろといわれても、できない」と口にする。その言葉の裏には、演技者としての技量とは別次元の、真摯(しんし)な姿勢が秘められている。役を演じる時、高倉は何より「自分の心によぎる本当の気持ち」を大切にする。心をよぎった本物は、自然とにじみ出ると信じるからだ。だから高倉は、最小限のセリフで演技することを好む。長いセリフや大仰な仕草よりも、たった一言のセリフが雄弁になる、そう考えている。

ロケ地の空気、風景、匂い、スタッフの緊張感・・・。そうしたものから、本当の気持ちにつながる何かを見つけ出し、気持ちを盛り上げる。そして、最高に気持ちが高まった瞬間に「一度きりを、生きる」。そうやって高倉ならではの演技が生まれていく。

生き方が芝居に出る

 高倉は、もともとなりたくて俳優になったわけではない。食い扶持を得るため、仕方なく俳優の道を選んだのが始まりだった。それから半世紀以上たった今も、高倉は「俳優という仕事がなんなのか」分からないという。

だが、これまでの経験の中で、教わってきたことがある。それは、俳優の「生き方」が芝居ににじみ出る、ということだ。ふだんどんな生活をしているか、どんな人とつきあっているか、何に感動し何に感謝をするか。そうした役者個人の生き方が、芝居に出るという。

高倉は「自分が好きになった役しか演じられない」と言う。それもまた、「生き方が芝居に出る」と真摯に考えて臨むからこそだ。

「俳優にとって大切なのは、造形と人生経験と本人の生き方。生き方が出るんでしょうね。テクニックではないですよね。」とは本人の弁。 高倉がこれまで多くの作品で演じてきたのは、まっすぐに生きる不器用な男。その男たちが醸し出してきた空気は、高倉が生きてきた道、そのものなのかもしれない。